永遠の美貌 前編
四十五歳。高岡雅美は、洗面所の冷たい照明の下、鏡に映る自分の顔を憎悪の目で睨みつけていた。深く刻まれたほうれい線、重力に負けてたるんだフェイスライン、そして、分け目からのぞく数本の白いもの。それは紛れもなく自分自身の顔なのだが、記憶の中にある「私」とは、もはや別人だった。
「老いるって、罰なのね……」
誰に言うでもなく、乾いた唇から言葉がこぼれる。離婚して一人になってからというもの、雅美は自分の容姿が崩れ落ちていくのを、なすすべもなく見ていることしかできなかった。かつては誰もが振り返る美貌だと自負していた。だが、その自信は時間という容赦ない暴君によって、跡形もなく踏み潰された。街で見かける、肌の弾けるような若い女たちが眩しく、同時に、その若さが憎くてたまらなかった。
そんな絶望の淵にいた雅美に、蜘蛛の糸が垂らされたのは、一本の電話からだった。
「雅美、すごいエステサロンを見つけちゃったの。一回行っただけで、本当に十歳若返るって評判なのよ!」
旧友の智子の声は、興奮で上ずっていた。
「そんなうまい話、あるわけないでしょ。高額な化粧品でも売りつけられるのが関の山よ」
「でも、同じマンションの田中奥様、見た? 五十代後半のはずが、今じゃ四十そこそこにしか見えないわよ! あのサロンに通い始めてからなの!」
確かに、田中さんの変化は異常だった。すれ違うたびに若返っていく彼女の姿は、雅美の心に嫉妬と焦燥の火をつけた。藁にもすがる思いで、雅美は智子から教えられたサロンの予約を取った。
「エターナル・ビューティー」。繁華街の裏通り、古びた雑居ビルの最上階に、そのサロンは隠れるように存在していた。ドアを開けると、そこは別世界だった。静かなクラシック音楽が流れ、アロマの香りが漂う、高級感あふれる空間。
「ようこそ、高岡様。お待ちしておりました」
受付に立つ女性は、陶器のように滑らかな肌を持つ、二十代前半にしか見えない美女だった。だが、その話し方や優雅な仕草には、年齢とは不釣り合いな、妙な落ち着きと威厳が感じられた。
案内された施術室の中央には、見たこともない近未来的なカプセル型の装置が鎮座していた。
「こちらは最新の『セルリバース・マシン』です。お客様の細胞情報に直接アクセスし、老化のプロセスを逆転させます」
担当だというエステティシャンもまた、人形のように美しい若い女性だった。しかし、その瞳の奥には、まるで老婆のような、全てを見透かすような深い光が宿っている。
一抹の不安を覚えながらも、雅美はカプセルの中に横たわった。柔らかな光が全身を包み込み、心地よい微振動が体の芯まで伝わってくる。いつの間にか、雅美は深い眠りに落ちていた。
施術後、鏡を見ても、特に変化は感じられない。「効果が現れるまで、一週間ほどかかります」とエステティシャンは微笑んだ。騙されたのかもしれない。そんな疑念を抱えたまま、雅美は日常に戻った。
だが、五日目の朝、異変は起きた。
鏡の中の自分が、明らかに違う。気にしていた目尻のしわが薄くなり、肌全体に内側から発光するようなハリが戻っている。
「うそ……本当に……!」
雅美は歓喜の声を上げた。その日、街を歩いていると、若い男性たちが自分に視線を送ってくるのを感じた。何十年も忘れていた、あの高揚する感覚。
一週間後、再びサロンを訪れると、スタッフたちは我がことのように喜んで迎えてくれた。
「素晴らしい効果ですわ。今回は、さらに深層レベルまでアプローチしましょう」
二回目、三回目と施術を重ねるたび、雅美の時間は劇的に巻き戻っていった。白髪は艶やかな黒髪に変わり、たるんでいた体は引き締まり、四十代半ばだった彼女の姿は、誰もが羨む三十代前半のそれへと変貌を遂げた。
同窓会では、旧友たちが驚きの声を上げる。
「どうやったの!?」
「魔法みたい!」
その羨望の眼差しが、何よりの快感だった。失われた人生が、輝きを取り戻したのだ。私は生まれ変わった。もう何も怖くない。
有頂天になっていた雅美が、自分の体に浮かび上がった小さな異変に気づいたのは、四回目の施術を終えた、ある晴れた日の午後だった。カフェの窓から差し込む光に、ふと自分の手の甲をかざした時。
肌の下に、薄っすらと黒い線のようなものが、血管に沿って走っているのが見えた。
「……何、これ」
よく見ると、それはまるで、細い糸で描かれた影のようだ。気味が悪い。すぐにサロンに電話をすると、受付の女性は落ち着き払った声で答えた。
「ご安心ください、高岡様。それは『リバース・サイン』と申しまして、古い細胞が新しい細胞へと生まれ変わる過程で現れる、一時的なものです。好転反応の一種ですわ。すぐに消えますので」
その言葉に、雅美は胸をなでおろした。そうだ、この美しさが手に入るのだ。少しくらいの異変、我慢しなくてどうする。鏡に映る若く美しい自分に微笑みかけると、雅美は手の甲の黒い影のことなど、すぐに忘れてしまった。




