呪いの言葉
「愛してる」
その一言を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。
彼女――美咲と付き合って半年。仕事帰りの夜道、いつものように手をつないで歩いていたとき、不意に囁かれた。
恋人にそう言われるのは、本来なら嬉しいはずだ。
だがそのときの俺は、ぞっとしてしまった。
美咲の声は甘く優しいはずなのに、耳の奥でいつまでも反響し、呪文のように消えない。
愛してる、愛してる、愛してる……。
それからというもの、妙な違和感がつきまとった。
電話口で、美咲は毎回のように「愛してる」と言った。
LINEの最後には必ず「愛してる」と打たれていた。
会えば、別れ際に必ず「愛してる」と囁かれる。
最初は「愛情表現が強い子なんだ」と思おうとした。
しかし言葉の回数が増えるたび、逆に空洞が広がっていく感覚があった。
ある夜、ふと夢にうなされた。
狭い部屋で、四方八方から同じ声が聞こえる。
「愛してる」「愛してる」「愛してる」
壁のひび割れから、床下から、天井の隙間から。
目を覚ますと、美咲がベッドの脇に立っていた。暗がりの中で笑みを浮かべ、じっと俺を見下ろしていた。
「ねえ……愛してる」
心臓が冷たくなった。
どうしても気になり、美咲の過去を調べた。
SNSにはほとんど投稿がなく、友人関係も乏しい。
ただ、一つだけ見つけた。三年前、彼女の名前と「婚約破棄 失踪」という書き込み。
彼女には婚約者がいた。しかし突然失踪し、行方は今も分からないという。
胸騒ぎがした。
失踪した彼もまた、美咲から「愛してる」と囁かれていたのではないか。
翌日、思い切って問いただした。
「どうして、そんなに『愛してる』って言うんだ?」
美咲は笑った。唇がきれいに弧を描く。
「だって、それが一番大事な言葉でしょ?」
「でも、毎回すぎる……正直、少し怖い」
俺の言葉に、美咲の目がわずかに揺れた。
「怖い? そんなはずないのに」
彼女は俺の頬に手を当て、爪を食い込ませるほど強く押さえた。
「愛してるって言葉はね、一度口にしたら離れられなくなるの。呪いみたいに」
その目は笑っていなかった。
その夜から、俺の体に異変が起き始めた。
首筋に痣が浮かび、胸の奥で心臓が誰かに握られているように痛む。
鏡を見ると、瞳の奥に美咲の影が映っていた。背後に立っていなくても、映り込む。
「愛してる、愛してる」
耳を塞いでも止まらない。頭の中で響く。
逃げようと試みた。スマホの電源を切り、荷物をまとめて別の町へ行こうとした。
だが電車に乗った途端、隣の席の女性がふいに振り向いて囁いた。
「……愛してる」
顔を見ると、美咲だった。
驚愕して立ち上がると、車内の乗客全員がこちらを振り向いた。
老人も、子供も、サラリーマンも、口を揃えて同じ言葉を吐く。
「愛してる」
鼓膜が破れそうだった。
目を閉じて、気づいたら自分の部屋のベッドに倒れていた。
夢だったのか? そう思いたかった。
だが胸元の痣は濃くなり、心臓の鼓動は美咲の声と同じリズムを刻んでいる。
扉がノックされた。
開けると、美咲が立っていた。いつもの優しい笑みを浮かべて。
「ねえ、これでわかったでしょ?」
彼女は俺の耳元に顔を寄せ、囁いた。
「あなたはもう、愛してる以外の言葉を言えない」
唇を動かそうとしても、声にならない。
ただ一言だけが喉から漏れる。
「……愛してる」
美咲は満足そうに頷いた。
その瞳は底なしの闇のように深く、抜け出すことはできない。
今も俺はこの部屋で、美咲と向かい合っている。
言葉を交わすたびに、体の中の何かが削られていく。
それでも言わずにはいられない。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
それは甘い救いではなく、逃れられない呪い。
そして俺は今、その呪いの鎖を自分から握りしめている。
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画面はスマホサイズで見やすいと思います。
良ければ覗いてください。
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よろしくお願いします。




