表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
闇の栞、ホラー短編集  作者: 猫森満月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/26

図書館の守り人

 市立図書館で司書として働く優子は、ここ最近、説明のつかない現象に悩まされていた。


 毎朝出勤すると、前日にきちんと整理したはずの本が散らかっている。最初は夜間の警備員が何かの拍子に倒してしまったのかと思った。

 聞いてみると警備員は震え出した。


「……児童書コーナーは、児童書コーナーには」


 聞いてみると、あそこには幽霊が出るんだ、と言う。俺は犯罪者や不法侵入者のために雇われているんで、幽霊は管轄外だと言うのだ。


 そんな馬鹿なと思ったが、警備員は本気で怯えていた。


「……また散らかってる」


 三週間ほど同じことが続いた頃、優子はある規則性に気づいた。散らかるのは決まって児童書コーナーで、しかも特定の本ばかりが床に落ちている。


『赤ずきん』『シンデレラ』『白雪姫』。

 幼い子供たちに人気の絵本だけが狙われていた。


 夜の図書館に潜むのは誰か。あるいは――何か。

 不気味な予感に胸を締めつけられながらも、優子はついに決意した。真相を確かめるため、自ら残業を装い、閉館後の館内に身を潜めることにしたのだ。


 午後十時。

 静寂に包まれた図書館は、昼間の賑やかな姿とは別世界のようだった。天井の蛍光灯は落とされ、窓から差し込む月明かりが、本の背表紙を冷たく照らしている。


 ――ぺた、ぺた、と。


 突如、奥から小さな足音が響いた。裸足で床を踏むような湿った音。

 優子の心臓が跳ね上がる。


 書架の影から現れたのは、五歳ほどの女の子だった。

 白いパジャマ姿で、長い髪が顔にかかっている。だが、その足は床に触れていなかった。ふわりと宙に浮きながら、まっすぐ児童書の棚へと向かっていく。


 少女は絵本を一冊抜き取り、床に座り込んでページをめくった。

「……あ、赤ずきんちゃんだ」

 小さな声が静けさを破る。だが、数分でパタンと閉じ、本を投げ出す。


「知ってる……つまらない」


 また別の本を手に取っては、すぐに放り投げる。繰り返される動作は、いたずらというよりも、満たされぬ渇望の表れに思えた。


 恐怖と同時に、優子の胸に悲しみが広がる。

 ――この子は、新しい物語を求めているのだ。


「ねえ」

 優子は勇気を振り絞り、声をかけた。


 少女が振り返る。大きな目が、月光を映して揺れている。

「怖くないの……お姉ちゃん?」

「怖くないよ。本を探しているんでしょう?」

 少女は小さくうなずいた。


「でも、知ってる本ばっかり。新しいのが読みたいの」

「新しい本なら、別の場所にもあるわ」


 優子はそっと手を差し伸べた。冷たく、しかし確かな重みを持つ小さな手が、それを握り返した。


 それから二人の夜の読書会が始まった。

 『星の王子さま』『不思議の国のアリス』『モモ』――優子は少女のために新しい本を選び、少女は夢中になってページをめくった。


 やがて、少女の名が分かった。

 十年前、この町のアパート火災で命を落とした田中花音。新聞には「本が大好きな子」と記されていた。


「花音ちゃんって呼んでもいい?」


 問いかけに、少女は涙を浮かべてうなずいた。

「久しぶりに名前で呼ばれた……」


 その言葉に優子はそっと抱きしめた。

「もう一人じゃないよ。私がいるから」


 三ヶ月が過ぎた夜、花音は微笑んで告げた。

「お姉ちゃん、花音、もう行かなくちゃ。本当にいるべき場所に」


 その身体が淡い光を帯び始める。


「寂しいよ……」

 優子の声は震えた。


「大丈夫。花音はずっとお姉ちゃんを忘れない。この図書館で本を読む子たちを、これからも見守ってる」


 花音は光に包まれ、柔らかな笑みを残して消えた。


 翌朝。児童書コーナーは、今までで一番整然と美しく整えられていた。おすすめの本には小さなリボンが結ばれ、まるで優しい手が添えられたかのようだった。


 その後も、図書館には不思議な現象が起きた。迷子の子供は必ず親と再会でき、良い本を探す子にはぴったりの一冊が見つかる。本を粗末に扱う子の前では、ページがひとりでに閉じてしまう。


 優子は知っていた。――花音が、この図書館の守り人になったのだ。


 やがて館内の片隅に、小さな碑が置かれた。

「田中花音ちゃん 永遠の読書家 この図書館を愛した天使」


 今日も子供たちの笑い声が本棚にこだまし、時折、風もないのにページがめくられる。

 それは花音が、子供たちと一緒に物語を楽しんでいる証。


 死によって途切れた読書の時間を――永遠に紡ぎ続けながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ