第08話 「遺構の舞詞」
荒地は風の層が薄く重なり、土は乾いて割れていた。午前の訓練で四拍と六拍を整え、昼に短い休憩を挟んで、私は八拍の“入口”だけを踏む準備をした。ミリアは距離を取り、カイルは槍を立てて見張り、ノワは周囲の影を見ている。零。四、六。呼吸が整い、足裏の感覚が土に沈む。八の“起”を、足の奥で静かに鳴らす。灰紋が応える。
胸の内側で熱が膨らみ、視界の縁が少し白くなる。私はすぐに切った。片鱗。体は、先へ行きたがったが、足で止めた。ミリアが遠くから親指を立て、カイルは顎を引いた。
「置ける。
だが、代償はまだ見えない」「見えないなら、借りを増やすな」カイルの言葉は短い。私は頷いた。午後、道を外れて小さな丘に寄った。ノワの案内で、丘の陰の割れ目から中へ降りる。涼しい空気。古い石。壁に刻まれた模様は、風と土と火の交差。ミリアが小さく声を漏らす。
「ここ、舞場だ。
——遺構」床には円が二つ、交差している。片方は四拍の印、もう片方は六拍の印。交差点に、擦り減った八つ目の印が薄く残っていた。私は膝をつき、指でなぞる。灰紋が微かに震え、指先に冷たさが宿る。奥の壁の隙間に、布で包まれた板が挟まっていた。取り出すと、木の板に掘られた舞詞の断片。
八拍の「転」と「結」に相当する部分が、かろうじて読めた。転——「捩・和」、結——「留・散」。
「捩と和、留と散……。
力を捩って、衝突を和らげ、留めを打って、散らす。——収束であり、拡散でもある」私は呟き、足の裏で小さく四拍を刻んだ。遺構は呼吸を返し、拍が壁で静かに反響した。ミリアは板を布に包み直し、懐に入れた。
「持ち出す。
辺境砦で師範に当ててみる」洞の外へ出ると、風の層が一枚、薄くなっていた。丘の上に黒い面が一つ、こちらを見ている。鈴はない。足だけ。彼は丘の縁を指で叩き、一定の拍をこちらへ投げた。合図の網。私は舌の付け根で内拍を打ち、足裏で零を挟んだ。可変で乱す。網は私を捕まえられず、面は苛立って一歩踏み出した。
その瞬間、カイルの槍の二打。低い音が風を切り、面の足がわずかに滑った。私は四拍の風で面の肩を撫で、六拍の渦で足の外側を空にした。面は体勢を崩し、丘の裏へ消えた。追わない。追えば、拍を奪われる。足を守るのが先だ。夕刻、荒地の端に小川が現れた。水は少ないが、音は拍を落ち着かせる。私たちは水際で足を洗い、火を起こした。
ミリアが板を広げ、八拍の「捩・和・留・散」を指でなぞる。
「“捩”は体幹で、“和”は呼吸で、“留”は足で、“散”は視線で——多分、そう」「体幹、呼吸、足、視線」私は繰り返し、零で底を打った。
「全部を一度にやるのは、今はまだ無理だ」「だから、片鱗でいい」ミリアは笑った。
「片鱗は、本体の形を教えてくれる」星が出る。
風は昼より柔らかい。私は八拍の板を見つめ、灰紋の疼きを指で撫でた。疼きは、少しだけ優しくなっていた。その夜は浅く眠り、古い舞場の夢を見た。石の円に裸足で立つ誰かが、四・六・八を重ね、最後に零を深く打つ夢。音は鳴らないのに、体が鳴る。目を開けると夜が薄く、東の雲が灰色に明るんでいた。
朝の冷気で喉を洗い、小川の縁で足を拭う。ミリアが板を出し、指で「捩・和・留・散」をなぞる。私はその指先の動きを目で追いながら、足で四拍を刻む。捩は軸、和は呼吸。留は——地。散は——視。言葉に置き換え、体に戻す。丘の上に昨日の面はいない。だが、遠くの稜線に短い光。見ているやつはいる。
私は舌の付け根で内拍を一度打ち、見えるものを見えるままにして、放っておくことにした。合図は、こちらから奪われない。出発前、ノワが水筒を振り、「今日の風は軽い」と笑った。私は零を打ち、荷の紐を締める。板は布に包まれ、胸の内側で静かにあたたかい。八拍は遠くなく、近すぎもしない。——片鱗を、正しい場所に置く。
歩き出すと、荒地の割れ目の間を風が走り、草の穂が小さく揺れた。足は乾きを選び、湿りを避ける。石の目は右へ流れ、私はそれに沿って足の角度を少しだけ変えた。ミリアが横目で頷く。音のない承認。背でノワが歌の一節を短く口ずさみ、歩調が整う。午前のうちに小さな丘を三つ越え、昼は浅い影で喉を潤した。空は高く、灰ではなく青が多い。
私は胸の底に零を置き、八拍の板の感触を思い出す。捩・和・留・散。四つは一直線ではなく、輪になっている。輪は、急がないほど、速い。午後の風は背中を押し、私たちは遺構から持ち出した板の重みを確かめながら、次の谷へ歩を進めた。息は軽く、足は静かだった。進むだけだ。足の裏で、道は続く。




