第06話 「試験場の可変拍」
午後の陽は硬く、石畳に拍が跳ね返った。公開試技は各自一度、任意の舞節と応用を披露する。私は風と土の連結を選び、八拍の手前で“片鱗”を置くつもりでいた。見せすぎれば、灰紋が疼く。見せなければ、舞を疑われる。順番は三番目。前の二人は火と盾で、それぞれ堅実だった。私の名が呼ばれ、広場の中央に立つ。観覧席から重い視線。
枢機卿の鈴は黙し、カイルは槍を立てている。ミリアは端で腕を組み、内拍だけをこちらへ寄せてくる。零。空気が一度薄くなる。四拍、風。
「軽・払・切・抜」。
足の裏から頬へ、頬から指先へ。観覧席で小さな衣擦れ。次に土、四拍。
「固・受・返・踏」。
床が硬く、体が止まる。ここから六拍へ。風の「巻・下」を足の後半に置き、渦で通路を作る。土の「返・踏」を半拍遅らせ、足の裏に“受け”の底をつくる。可変拍。鈴の音が一度、遠くで滑った。誰かが小さく鳴らしたのだろう。掌の芯を懐で転がし、ほどけを薄く広げる。外の拍は、滑って行った。私は風と土を二巡。観客の呼吸が揃う。
空気の厚みが変わり、刃のない刃が周囲に立つ。八拍の手前——“零の一拍”を挟んで、足を交差。内拍で舌の付け根を打つ。八拍の最初の「起」を、声ではなく足の奥で鳴らす。観覧席がわずかに前のめる。私はそこで切った。八拍には入らない。片鱗だけを置く。終わりの印として、私は最後に四拍の風で礼を返した。審判の筆が止まり、鐘が一打。
観客のざわめき。枢機卿の鈴は鳴らず、彼の目は笑っていなかった。カイルは顎を引いた。
「今の切り方、悪くない」「片鱗だけ」ミリアは親指を一度だけ、胸の前で立てた。
公開試技が続く間、私は日陰に座り、灰紋の疼きを指先で撫でた。疼きは怒ってはいない。ただ、足りないと言っている。八拍は、体にとって“正しい幅”なのだろう。だが、代償はまだ見えない。見えないものは、戦場では刃より怖い。夕刻、結果の掲示。合格の札に「レン・アッシュレイン」の名があった。
声がどっと広場に満ち、誰かが私の名を呼んだ。振り向くと、槍騎兵団の列の端で、カイルが片手を上げていた。そこへ宗廟の使いが歩み寄り、封書を差し出す。印は黒。
「宮廷より通達。
合格者のうち、数名は特別課程として“辺境砦”へ派遣。指導は現地で。——レン・アッシュレイン、該当」「やっぱり来たか」ミリアが小さく笑う。
「行く」レン。
罠だ、と私は思った。だが、悪い罠ばかりではない。現場は、拍が試される場所だ。私は封書を受け取り、封を解かずに懐へ入れた。ミリアが近づき、短く言った。
「行くのは避けられない。
なら、行って取ってくる」「何を」「八拍の、体の置き場」ノワは肩をすくめ、「砂漠でも雪でも、足は二本」と笑った。私は笑い返し、掌の芯を指で弾いた。震えは弱い。ほどけは、遠い土地でもほどけるだろうか。夜、宿で荷をまとめる。市井の店主が背の籠にパンを詰め、「灰を肥やしに」と言って笑った。私は礼を述べ、零で心を落ち着けた。
出立は明朝。王都の鐘は、夜をゆっくり刻み始めた。灯を落としかけたとき、昼の対抗で当たった短棒の青年が戸口に立った。目は赤く、手には削りたての木札。
「返すよ。
——さっきの“返し”、助かった」「当てずに通すのが、課題だったから」「俺、当てることしか考えてなかった。拍を“置く”って、こういうことかって……」彼は言い淀み、札を握り直した。
「辺境、気をつけて」私は頷き、札の角を指で探った。
木目はまっすぐで、石の目ほど複雑ではないが、向きはある。向きを読む。人にも、向きがある。天井の梁に目をやり、暗がりで短く四拍を刻んだ。足音が二階の床に移り、宿の軋みと重なる。音は、すぐに消えた。机に紙を広げ、「可変拍の要点」と書く。——零を厚く/四と六の段差を消す/外からの鈴は“内拍”で捌く/石の目に沿う。
行を空け、「八の片鱗の注意」。——捩は軸を短く/和は呼吸を深く/留は一点・短く/散は視線で、長くしない。文字を書いていると、灰紋の疼きが静かに引いた。言葉は拍ではないが、拍の跡をとどめる。紙を畳み、胸の袋にしまう。寝台に横になり、指で床の節を撫でながら、舌の付け根で内拍を二度打った。眠気は零の底から来る。
明日の道は長い。だが、足は二本ある。窓を少し開けると、遠くで太鼓の音が二度、間を置いて鳴った。誰かが練習しているのだろう。二打の間に、小さな“空き”。私はそこへ零を重ね、呼吸を合わせた。街は眠っていても、拍は生きている。目を閉じ、胸の奥で「行く」と一語だけ数えた。眠りは、零の底から静かにやって来た。
夢の底で、太鼓がもう一度だけ鳴った。静かな夜だった。朝はすぐ来る。目覚ましの鐘は要らない。深く眠った。おやすみ。




