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第05話 「宮廷の罠」

 試験受付の広場は、人と刃と布の色であふれていた。各地の隊が列を作り、印章の卓で名を記す。宗廟の白衣も立ち、視線で拍を測っている。私は灰王家の隊章を差し出し、名を言った。


「レン・アッシュレイン」受付の書記は一瞬だけ眉を動かし、紙に筆を走らせた。


 印が押される音が短く響き、木札が手元に滑ってきた。


「第三区」。


 ミリアは別の列で「指導立会」の札を受け取り、私の隣に戻った。ノワは人混みに溶け、足の拍で外側を監視している。開会の合図とともに、枢機卿エルドリックが高壇に現れた。黒い衣、鈍い金の鈴。彼の声は遅い拍で落ち、広場全体の呼吸を重くする。合図を奪うには十分な重さだ。


「贖いの子らよ、剣を正し、詞を慎め」言葉は甘く、内側に棘がある。


 私は舌の付け根で内拍を一つ打ち、重さを逃がした。第一の課題は、基礎の舞節。四拍・六拍の整いと、合図への耐性。審判は宗廟と軍務から半々。広場の一角に、槍騎兵団の若い隊長が腕を組んで立っていた。カイル・ドルン。足の拍が正確で、土の気配をまとっている。


「第三区、開始」合図とともに、四人が一列に並び、四拍を打つ。


 風、火、土、水。私は風。足裏で零を挟み、声を短く置く。周囲の鈴が外から拍を撫でる。私は掌の芯を転がし、ほどく震えを薄く広げた。音は滑り、私の拍は底から立ち上がる。審判の一人が目を細め、筆を動かす。次に六拍。拡張の持続。宗廟の白衣が鈴を縦に振り、上下の拍で揺さぶる。私は肩甲骨で内拍を打ち、足裏の「巻・下」を半拍ずらした。


 可変拍。揺さぶりは空を撫で、六拍は切れずに続く。終わったとき、灰紋は熱を持っていたが、疼きは従順だった。第二の課題は、対抗。形式は一対一の短い交差。相手の拍を崩さずに、自分の拍で“通す”。私は両手に短棒を持つ青年と向かい合った。彼の足は軽く、風に寄っている。開始の合図。私は四拍で前へ、彼は四拍で斜めへ。


 声が重なる瞬間、白衣の鈴がひと鳴り。拍が一枚、滑った。零。底に戻す。私は六拍に伸ばし、巻で彼の足の外側に渦を置いた。彼は一歩、遅れる。刃は当てない。当てずに通す。通ったのは、私の「抜」の拍。審判の札が上がり、わずかな差で私の勝ち。息が少し震えた。ミリアは遠くで小さく親指を立てた。


 休憩の合図の間、高壇から視線が降りてくる。枢機卿。彼は鈴を一度も振らず、目だけで拍を乱そうとしているかのようだった。私は視線を外し、足の内側で零を繰り返した。最後の課題は“合わせ”。四人一組で、舞節を繋いで模擬の陣をつくる。私は見知らぬ三人と組み、風・土・火・盾の役を分け合った。


「目でも奪えるんだな」隣の受験者が小声で言う。


「足で返せば、目は滑る」レン。


 カイルが審判席から一歩前へ出て、短く言った。


「合図は声に頼るな。


 足を見ろ」「了解」レン。合図とともに、私たちは足を肩幅に開き、零を共有した。風の四拍で入口を開け、土の四拍で床を固め、火の四拍で目印を灯し、盾の四拍で側面を守る。鈴が遠くで鳴る。私は掌の芯を転がし、ほどけを薄く広げる。渦で流し、零で落とす。四巡目で、拍はほとんど乱れずに回った。終了の鈴。筆の音。


 カイルは審判台から降りず、ただ短く顎を引いた。


「今の切り方、悪くない」「道が見えた」レン。


 枢機卿は表情を動かさなかったが、鈴をわずかに傾けた。重さが広場へ落ちる。私は肩の力を抜き、ミリアと目を合わせた。彼女は低く息を吐いた。


「ここまでは、予定通り」予定外は、広場の端から来た。


 黒い面が三つ、観覧席の影に立った。鈴を持たない足。彼らは足音だけで、拍を奪いに来る。試験官が動く前に、私は零を打った。足の底が石を掴む。面の足は、一定。なら、可変でほどく。私は掌の芯を強く握り、足の間に不規則な零を挟んだ。二、三、五。拍の網は私を捕まえ損ね、面は苛立ったように角度を変えた。


 その時、カイルが槍の石突きを地面に二度、打った。低い音。広場の足が一瞬でそちらに合い、面の足がずれた。合図を取り戻す合図。私はカイルを見た。彼は見返さず、槍を立てた。試験は続行と告げられ、結果は午後の公開で発表される。私は札を握り、掌の芯を懐にしまった。宮廷は罠を張る。だが、市井と現場は、拍で返す。


 午後、私は再び舞台に立つ。公開試技。八拍の片鱗を——見せすぎないように、見せるために。昼の陽は石畳を熱し、日陰は短い。広場の端に張られた天幕の下、候補生たちが水袋を回し、足の包帯を締め直している。私も靴紐の砂を払い、足裏に短く零を打った。呼吸が落ちる。ミリアが隣に腰を下ろし、私の喉を指でなぞった。


「四拍で吸って、二拍止めて、二拍で吐く。


 声の“抜”は、足の“抜”と重ねる」私は頷き、喉の内側で空気の路を探る。掌の芯は体温で温み、ほどけの震えは薄いが確かだ。天幕の向こうから子どもの声。


「灰王子、がんばれ」——母親が慌てて口をふさぐが、笑いは漏れた。


 重さだけではない。こういう軽さが、場の底を厚くする。天幕の柱に寄りかかっていた白髪の職人が、私の足を一瞥して言った。


「さっきの“置き直し”、良かった。


 石の目に沿ってた。目に逆らうと、足は滑る」「ありがとうございます」「礼はいらん。——舞も仕事も、目と拍だ」言葉は短いが、手の節は太かった。私は頭を下げ、メモ帳の端に小さく「石の目」と書く。忘れないために。ミリアが立ち上がり、日陰から光へ出る前に、私の肩を軽く叩いた。


「午後は風を薄めに。


 土は厚めに。可変は“零→一”を早く」私は深く息を吸い、足の甲を一度だけ上げ下げした。観客のざわめきが遠くなり、拍が近くなる。公開の舞台に出るとき、私はひとつだけ決めた。勝つでも負けるでもない。——落とさない。足と合図を、落とさない。


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