3:褒め言葉
「……殿下」
ラフィールが呟く。
ヨルミリアは、その場で息を呑んだまま2人の間に流れる緊張を感じ取っていた。
カイルは一歩、また一歩とラフィールに近づいていく。
「導師。彼女を“導く”ために必要な言葉なら、俺は否定しない。ただ……それが彼女を押し潰すものであるなら、それを見過ごすつもりはない」
「……つまり殿下は、甘やかせと仰っているのですか?」
「いいや、彼女を信じろと言っているんだ」
カイルは低い声で、しかし明確に言い放った。
ラフィールはしばし黙した後、わずかに視線を伏せた。その目に、一瞬だけ微かな戸惑いがよぎる。
それは、誰よりも信仰に厳しい男が、答えを探そうとする僅かな揺らぎだった。
「……畏まりました。これ以上は控えましょう」
ラフィールは静かに頭を下げ、背を向ける。
けれどその背には氷のような冷徹さの中に、どこか“引っかかり”のような感情が滲んでいた。
ただ命じられたから引き下がるのではなく、何かを思い、迷いながら、納得しきれぬまま退くような足取りだった。
扉の前でラフィールは立ち止まり、振り返らずに言葉を落とす。
「殿下のご意志が変わらぬ限り、私はそれに従います。……どうか、聖女殿が、それに見合う方であるよう祈っております」
その声には皮肉や否定ではない、静かな“願い”が滲んでいた。
そして、扉が静かに閉じた。
残された空間に、再び静寂が戻る。
ヨルミリアは立ったまま、その余韻を胸に留めていた。
────まさか、助けてくれるとは思わなかった。
ただの仮初めの婚約者のために、あんな風に言葉を割いてくれるなんて。
ヨルミリアは思いもしなかったのだ。
「……ありがとうございます、殿下。助けてくださって」
「ん? 別に礼なんていらない」
助けてくれて、たしかに嬉しかった。
だけど、ラフィールが言っていたことも全部が間違いというわけではない。
ヨルミリアはまだ、何もしていないのだ。
晩餐会でもカイルに頼りきりで、日々の公務もおぼつかなくて。
王国の聖女として、不安も迷いも、祈りの正解すら分からないことばかりで。
「私、頑張ります。もっともっと、頑張りますから」
「……」
「だからもう少しだけ、時間をください」
ヨルミリアの言葉に、カイルは僅かに目を丸くする。
“聖女殿が、それに見合う方であるよう祈る”。
ヨルミリアの脳内では、ラフィールの言葉が脳内でこだましていた。
あれはただの皮肉ではなく、本当にそう願っているのだとヨルミリアは感じていた。
「……あぁ、無理はするなよ」
それならば、誰かの庇護のもとで守られるだけじゃなく、自分の足で立てるように。
“王子の婚約者”でも“聖女”でもなく、自分自身として、誇れるようにならなければならない。
ヨルミリアの言葉に、カイルはふっと目元をゆるめて笑った。
「でも、私のために言葉をかけてくれて、嬉しかったです」
「……直球だな。まぁいいが」
「でも、どうして助けてくれたんですか? というか、約束の時間はまだですよね?」
「思っていたよりも早く手が空いたから、様子を見にきたんだ」
「そうなんですか……」
「助けたのも、別に特別な理由はない。君が潰されてるのが、気に入らなかっただけだ」
そう言ってふと目を伏せたカイルの声音が、わずかに和らぐ。
「でも、ちゃんと立ち向かおうとしていたな。目を見ればわかる。……君は、思ってたよりずっと芯がある」
ヨルミリアは目を瞬かせた。
そして小首を傾げてから、カイルに問いかける。
「それ、褒めてくださってますか?」
「君がそう受け取るなら、そうかもしれないな」
「えーっと……?」
問い返すようなカイルの言葉に、ヨルミリアは余計に混乱してしまう。
だけど、こちらをからかうような素振りを見せていたくせに、わずかに視線を逸らした彼の横顔がどこか照れくさそうに見えた。
その表情を覗き込んで見てみたかったけれど、ヨルミリアは僅かに赤い耳元を見つめ続けていた。
カイルの言葉が、ほんの少しヨルミリアの胸の奥を温かくする。
それだけで、今日の祈りは少し報われた気がしたのだ。
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