12:世界でいちばん幸せな女の子
それからあっという間に日々は過ぎて、式典の当日になった。
朝は早くから支度が始まり、ドレスやアクセサリー、髪型に至るまで、すべてが予定通りに整えられた。
手順は何度も確認してきたし、リハーサルもこなしている。
それでも、今のこの瞬間、胸の奥で小さく脈打つ不安を消しきることはできなかった。
式典の流れも、国民の前で話す内容も、すべて頭の中に叩き込んである。
大丈夫、失敗はしないはず――そう自分に言い聞かせるように、ヨルミリアは深く息を吸う。
姿見の前には、全力で着飾られた自分が立っていた。
アイスブルードレスが肌の白さを引き立て、編み込まれた髪には宝石のような髪飾りがきらめいている。肩のラインをなぞるレースの装飾は繊細で、まるで異国の姫のような優雅さを纏っていた。
「……あと、5分」
控室の時計が、カチカチと規則正しく音を立てる。その音だけが、やけに大きく耳に響いていた。
胸が、少し痛む。
緊張とは少し違う、何か別の感情が渦を巻いていた。
今、この瞬間にも、広場には多くの国民が集まり、自分が現れるのを待っている。
果たして彼らは、自分を受け入れてくれるだろうか。
未来の王妃として、ふさわしいと認めてくれるだろうか。
疑念が、冷たい影となって胸に差していた。
「ヨルミリア? 大丈夫か?」
聞き慣れた声に、我に返る。
ノックの音と共に現れたのは、カイルだった。
式典用の衣装に身を包み、背筋を伸ばして歩いてくるその姿は、どこかいつもより大人びて見えた。
金の刺繍が施された上着が、彼の凛々しさを一層際立たせている。
「……殿下」
彼の姿を見て、自然と頬が緩んだ。
どれだけ不安で押しつぶされそうでも、この人がそばにいてくれるだけで、心がふっと軽くなる気がする。
「殿下はやっぱり、きっちりした格好がお似合いですね」
「そうか? ヨルミリアも、とても綺麗だ」
カイルが穏やかに笑みを浮かべた。
その笑顔が、少し眩しく感じる。
「どんなものになるか楽しみだったが、想像以上だった」
「それは、どうも」
思わず照れたように視線を逸らす。
けれど、心のどこかで嬉しくて仕方なかった。
「これから国民たちにその姿を見せるのかと思うと、少し妬けてしまうな」
「もう……」
冗談めかして言うカイルの手が、そっとヨルミリアの髪の毛先に触れた。
もっと触れてほしいような、これ以上は恥ずかしいような。不思議な気分だった。
「過度なスキンシップは禁止だと、ゼノに厳しく言われているからな」
「……ドレスがシワになったり、化粧が落ちたら困りますもんね」
「ああ、でも、これくらいならいいだろう?」
カイルは小さく笑いながら、ヨルミリアの髪に唇を寄せた。
軽く、優しいキス。
触れたか触れないかというほどの、短い仕草だったのに――心臓が一気に跳ね上がった。
「世界でいちばん綺麗だ、ヨルミリア。俺を選んでくれて、本当にありがとう」
「殿下……」
まっすぐに向けられた視線に、胸がいっぱいになる。
それは、ただの社交辞令なんかじゃない。
その実感が、心の底からじんわりと沁みてくる。
堪えようと思ったのに、目の奥が熱くなって涙が滲んできた。
「殿下こそ、私を世界でいちばん幸せな女の子にしてくれて、ありがとうございます」
涙を悟られないように、そっと微笑みを作る。
けれど、そんな努力もカイルには見透かされている気がした。
「国中にお披露目したら、もう後戻りはできないぞ」
少しからかうように言われて、くすっと笑ってしまう。
「私がそれを望んでいるんですから、何も問題はありません」
そう――もう、迷わない。
この手を取り、この人と生きることを選んだ。
たとえこの先にどんな困難が待っていようと、後悔はしない。
控室のドアの向こうから、やわらかな光が差し込んでいる。
あちら側には、歓声と期待、そしてこれから歩む新しい人生が待っている。
ヨルミリアは小さく息を吐き、カイルに一度だけ微笑みかけた。
そして、光のさす方へ、ゆっくりと歩き出した。
投稿日を間違えて設定しており、1日ずれてしまいました……!
申し訳ないです。
明日のエピローグで、一応完結になります。
その後は全体的にちまちま修正していこうと思います。




