9:会議
聖女に関する制度を変える。
口で言うのは簡単だが、長い歴史の中で積み重ねられた信仰の重みを変えることは難しい。
聖女としてその現実を理解しているつもりだったが、ヨルミリアは目の前の光景に、思わずため息をつきたくなっていた。
会議室の中には、ノアティス王国の政治を担う重鎮たちが顔をそろえている。
室内の空気は重苦しく、ひんやりとしていた。
一言の失言が場の空気を凍り付かせ、誰かの立場を根底から揺るがしかねない――そんな緊張感が張り詰めていた。
『制度の改革と仰いますが、今までのやり方で問題は発生しておりません。それなのに変化をもたらせば、問題発生のリスクが高まるのでは?』
『ノアティス王国の王家の一員になれることはこの上ない誉れだというのに、なんと身勝手な……』
『どうせ政治のコマにしかなりえぬというのに、権利を与えてはつけあがるのでは?』
あちらこちらから飛び交う言葉は、冷静な意見とは言い難く、感情の色が濃かった。
まるで当事者の存在など眼中にないような議論に、ヨルミリアは心の中で毒づく。「現代の聖女が今ここにいるのですが……」と。
隣に座りカイルは、その様子を不機嫌そうな顔で眺めていた。
彼はイラつきを隠そうともせず、トン、トン、と人差し指で机を叩いている。
その音が妙に耳に残った。
一定のリズムで打ち鳴らされるその音に、ヨルミリアは無意識に背筋を正した。
静かな怒りが、カイルの中で燃えているのがわかる。
暴発はしないだろうが、彼の我慢も限界に近いのだろうか。
「殿下はどのようなお考えで?」
この場には大きく分けて、改革反対派、現状維持派、改革派の3つの派閥がある。
現状維持派である初老の男が、カイルへ声をかけた。
口調は丁寧だが、視線の奥に探るような鋭さがある。言葉ひとつで、誰が敵で誰が味方かを量ろうとしていた。
カイルは会議室にいる全員を見回したあと、静かに口を開いた。
「……聖女も、ひとりの人間だ」
室内の空気が明らかに変わった。
温度が一段階下がったような、重苦しい沈黙が場を包む。
「今までの聖女が望まぬ結婚に胸を痛めることも、突然始まる妃教育に嫌気がさすことも、容易に想像できたはずだ。その部分を見て見ぬふりしてきたのは、我々の怠慢に他ならない。問題が発生していないと本気で言うのならば、それは周りが全く見えていない愚か者なだけだ」
カイルの言葉に誰もが口を閉ざし、顔を見合わせることすらできずにいた。
ヨルミリアは顔合わせの際に、現国王の姿を見たことがある。
王妃は数年前に亡くなったと聞いていたが、その後誰とも結婚していない姿を見る限り、国王の心の中には今でも亡き王妃の姿があるのだろう。実際に見たことはなくとも、愛し合っていたんだろうなと想像はつく。
そして現代の聖女であるヨルミリアは、カイルを心から愛している。
問題が起きていないと重鎮たちが口にする理由も、わからなくはないのだ。
だって実際、自分たちが生きている時代の中で問題は起きていないのだから。
「何も、自由結婚に変えろと言っているわけではないのだ。神託は今まで通り行えばいい。その上で、聖女の人格や意思が尊重される仕組み作りをしていこうと言っているだけだ」
淡々とした口調の中に、譲れぬ芯がある。
ヨルミリアは彼の横顔を見つめながら、その強さに胸を打たれていた。
「で、ですが……」
誰かが反論を試みる。
だがその声も、カイルの次の言葉で完全に押し切られた。
「この件について神殿側の見解も聞いているが、神殿側は全面的にヨルミリアを支持すると言っている」
「なっ……!?」
会議室にざわめきが広がる。
その瞬間、ヨルミリアはラフィールの姿を思い浮かべた。
彼は何かあったら頼ってほしいと言っていたが、ヨルミリアが何も言わなくても、カイルに神殿側の思いを伝えていたらしい。
確かに、神殿に政治的な権力はない。
だが、代々聖女と第一王子が結婚させられてきたこの国において、神殿の立場は象徴的であり、無視できない存在だ。
その神殿側が「全面的にヨルミリアを支持する」と言っている。
その意味を理解した反対派たちは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ヨルミリア殿が、神殿側と内通していない証拠は?」
「していないことを証明するのは不可能だ」
カイルの返答は淡々としていた。
それとは対照的に声を荒げた男の顔は赤くなり、こぶしを握りしめている。
だが、その姿はもはや滑稽だった。
「だとしても、ヨルミリア殿を通して神殿側に有利な法律を作ることを画策しているのでは!?」
男の言葉に、カイルは小さくため息をついた。
「この国では、国王の独断で施策を進めることはできない。それは王妃も同じだ。今後ヨルミリアが施策に口出しをしたとして、神殿側の思惑を感じたならそれに足る理由を持ってその施策は却下すればいい」
理路整然としたその提案に、誰もが再び黙り込む。
「お前たちの審美眼に、期待しているぞ」
その一言が、決定的だった。
会議室に残っていた反論の火種は、みるみるうちに小さくなっていく。
反対派の者たちは視線を逸らし、沈黙に逃げていった。
その後も会議は長時間にわたり、細部について議論が重ねられた。
同意なき結婚義務を課さない。
聖女に補佐役を置き、責任を1人で負わせないようにする。
最終的な落としどころは、この辺りになりそうだ。
まだまだ反対派の根は深い。決定に至るまでには、もうしばらく時間がかかるだろう。
けれど、それでも――。
この日、確かに一歩、世界が動いたような気がした。




