8:抜け駆け厳禁
「まだ締めるの……!?」
「はい! ギュギュっといきますよ!」
ヨルミリアのぼやきに、リーナは明るく返事をした。
遠慮のない手つきで、ヨルミリアの腰に巻かれたコルセットをさらに締め上げていく。
カイルとヨルミリアが結ばれた影響か、国民へのヨルミリアのお披露目が決定した。
婚約したての頃に内々でのお披露目会はあったものの、あれから長い時間が経過した。
ヨルミリアは聖女として各地へ赴いているので、ヨルミリアの存在を知っている国民はそこそこいる。
王家の紋章の入った馬車で移動しているのもあり、なんとなく察している者も多いだろう。
だが「形式」というものは大切である。
王家側がしっかりとヨルミリアの存在を示すことが、重要なのだ。
「苦しい……つらい……」
本日はドレスの試着日であり、宮廷の一室で鏡に向かって立たされているヨルミリアは、ギリギリと笑顔のリーナに締め上げられている。
か細い声で泣き言を漏らすヨルミリアに、リーナは困った顔をした。
「それじゃあ、今日はこれくらいにしておきましょうか。当日はこんなもんじゃないですからね」
「リーナの、鬼……」
ぼそっと漏らした呟きに、リーナはすかさず抗議した。
「なんてことを言うんですかぁ! たしかにそのままのヨルミリア様も素敵ですが、当日は一番美しい姿で国民の前に立っていただきたいですからね! 私も殿下も真剣なんですよ!」
リーナがカイルの名前を出したところで、ヨルミリアの表情がげんなりしたものになる。
今は試着中なのもありカイルの姿はないが、ドレスのデザイン決めの際は彼も同席していた。
その時のことを思い出して、ヨルミリアはなんとも言えない表情になったのだ。
「あぁ……カイル殿下、ドレスについて口うるさ……んんっ! 真剣に考えてくださっていたものね」
「はい! そのおかげで、とっても可愛いドレスに仕上がってますよ!」
思い出して、思わず口から出そうになった文句を飲み込む。
ヨルミリアの表情がげんなりしていることには、リーナは気づいていない――もしくは気づいていても、あえて流しているのかもしれない。
ヨルミリアが試着しているのは、アイスブルーのドレスだった。
澄んだ氷を思わせる淡い青が肌の白さを引き立て、柔らかく広がるスカートは、歩くたびに花びらのように揺れる。
胸元と袖口には繊細な銀糸の刺繍がほどこされており、装飾は控えめながらも気品に満ちていた。
「ドレスに合った宝石も、揃えないとですね」
「……そうね」
わくわくした様子のリーナに、ヨルミリアは曖昧に頷いた。
貴族内でのお披露目会の時と同じ色のドレスだが、今回は色味決定の際の流れが違った。
今回、デザインについては概ねヨルミリアの好みを反映してくれたものの、ドレスの色についてはカイルが頑として譲らなかったのだ。
つまり前回のヨルミリアは与えられたものを特に何も考えずに着たが、今回はカイルの強い希望によりアイスブルーのドレスを身に纏っているというわけである。
「私のドレス姿を見て、殿下、なんて言うかしら……」
ぼそりと呟くと、リーナが目を輝かせて答えた。
「『世界中で一番綺麗だよ』とかはどうですかね!?」
「そんなクサイこと言うかしら……いや、もしかしたら言うかも……」
ヨルミリアは両手を胸の前で組み、遠くを見るような目をした。
彼の最近の様子を思い出せば、そんなセリフの一つや二つ、本当に言いかねない。
それも、全力の真顔で。
「髪型も迷いますよね~。いつもみたいに下ろしているのも良いですけど、アップスタイルもすっきりしていて素敵ですし」
「えーと、細かいことはリーナに任せるわ……」
「え、いいんですか? 張り切っちゃいますよ?」
楽しげに鼻を鳴らしながらリーナが櫛を手に取ったとき、ノックの音が響いた。
返事をすれば、控えめな足取りでゼノが入室する。
そして――彼の足が、ぴたりと止まる。
ドレス姿のヨルミリアを見て、ゼノは目を丸くしていた。
ただの驚きというよりは、何かしらの不手際があったかのような表情だった。
「ゼノ様。どうされました?」
不思議そうな顔をしたリーナが、声をかける。
ハッとしたゼノは、軽く咳払いをしてから口を開いた。
「……午後に予定していた、聖女制度の改革についての会議の時間が確定したので、お伝えに参りました。4時からで問題ありませんか?」
「まあ、ありがとうございます。大丈夫です」
ヨルミリアはにこやかに礼を述べる。
だがゼノはどこか落ち着かない様子で視線を泳がせたままだった。
数秒の沈黙の後、意を決したようにもう一歩前に出て、ゼノは眉をきゅっと寄せる。
「用件はそれだけなのですが……ヨルミリア様」
「はい?」
不意に真剣な声音に変わったゼノに、ヨルミリアはわずかに身を引く。
ゼノの顔は、かつてないほどの切実さを帯びていた。
深呼吸をひとつ挟み、彼は言った。
「殿下よりも先にヨルミリア様のドレス姿を見たことは、殿下に内緒にしていただけますか」
「え」
「私の命の危機なので、どうか」
「……え?」
一瞬、何を言われたのか理解できず、ヨルミリアはぽかんと口を開ける。
けれどゼノは冗談ではないとばかりに、ぐっと身を乗り出し、懇願するような目で彼女を見つめた。
「殿下はヨルミリア様のドレス姿を、それはそれは楽しみにしておられました。どうせならと、わざわざ当日まで見るのを我慢して。だというのに私が先にドレス姿を見てしまったことがわかれば、殿下にどんな暴言を吐かれるかは想像もつきません」
ヨルミリアは無言のまま、目を瞬かせた。
「そ、そこまでするかしら」
「言います。絶対に」
ヨルミリアがやや引き気味に言葉を紡ぐが、ゼノは即答だった。
その一言には、長年カイルの側近を務めてきた者にしか出せない、妙な説得力があった。
「しかも最悪の場合、長期間ネチネチ言われる場合もあります。どうか口外禁止、完全秘匿、情報封鎖でお願いできませんか」
「わ、わかりました……」
「ご配慮、感謝いたします」
ゼノの強い意志の宿った言葉に、ヨルミリアは頷くことしかできなかった。
あと5~10話以内に終わります!
明日は更新できるか怪しいですが、明後日は更新できます。
よろしくお願いします!




