5:月の夜に
なんだか全然眠れなくて、ヨルミリアは庭へ足を運んだ。
月が綺麗だったから、外に出たかったのだ。
月は満ち、高い空から柔らかく銀の光を降らせている。
葉の影が風に揺れ、淡い影を地面に落としていた。
ヨルミリアは静かに庭に足を踏み出した。
冷たい石畳を踏むたび、靴音が小さく響く。
肌をなでる夜風も心地よく、少し熱を持った体にはちょうどいい涼しさだった。
「……ヨルミリア?」
突然聞こえた自分の名前に、彼女ははっとして振り返った。
視線の先には、見慣れた人影。
「で、殿下……?」
月明かりの中、彼の金髪がほのかに輝いて見えた。
いつもの落ち着いた雰囲気のまま、けれどどこか驚いたような顔をしている。
ヨルミリアは胸の奥が跳ねるのを感じながら、問いかけた。
「どうしてここに」
「それはこちらのセリフだ。こんな時間にどうしたんだ?」
「それは、えっと……」
思わず、言葉を濁してしまう。
カイルの姿を見た瞬間、脳裏に浮かぶのはセレナとのやり取り。
頭の中でぐるぐる会話が回っていて、ヨルミリアは何も言えずに混乱していた。
カイルはそんな彼女の様子に、首を傾げながら言った。
「顔が赤いようだが」
「へ?」
「体調でも悪いのか?」
「い、いえ、別に大丈夫です……」
慌てて首を振るヨルミリア。けれど、顔の熱は引かない。
頭の中のセレナが、「あなたがきちんと言葉にしないから、殿下が不安になるのではないかしら?」と言っている。
ヨルミリアは上目遣いで、カイルの名前を呼んだ。
「……あの、カイル殿下。少し、お話できますか?」
「ああ、構わない。俺も、もしかしたら話せるかもしれないと思って出てきたんだ」
その言葉が嬉しくて、ヨルミリアの心臓がまた跳ねた。
庭園の端、月の光に照らされたベンチに二人で腰を下ろす。
風がふたりの間をすり抜けていった。
ヨルミリアは手を膝の上に置き、指先をぎゅっと握る。
「あの、その、殿下」
「ん?」
カイルはいつもの優しげな表情で、彼女の言葉を待っていた。
だが、そんな穏やかさすら、今のヨルミリアには心をかき乱す要素だった。
伝えたい言葉はもう決まっているのに、胸の奥に詰まって出てこない。
「えっと、そのですね……」
「ゆっくりでいいぞ」
「……す」
ヨルミリアは、震える唇を開いた。
「…………す、好き、です」
ヨルミリアは背筋を伸ばして、少し上の方にあるカイルの頬へキスを落とした。
唇が触れたのはほんの一瞬。
だけど恥ずかしさに耐えきれず、彼の顔を見ることができない。
今日が夜で良かった。
こんな赤い顔、絶対に見られたくない。
そんなことを思いながらカイルの反応を待っていたのだが、彼はいつまで経っても何も言わなかった。
まるで時間が止まったかのように黙っているカイルは、顔を手で押さえて呆然としている。
「………………夢か?」
「え?」
「これは、夢か?」
そう言って、彼は自分の頬を軽くつねった。
ヨルミリアは驚いて「何やってんですか!?」と声を上げるが、カイルはじわじわと顔を真っ赤にして「痛い……」と小さな声で言うだけだった。
月明かりに照らされた頬が赤い。
ヨルミリアにその赤さが見えているということは、カイルもヨルミリアの赤い顔に気づいているのだろう。
真っ赤な顔をしたまま、2人は黙り込んでいる。
沈黙を破ったのは、カイルの方だった。
「どうやらこれは、夢ではないらしい」
「はい、現実です」
「まだ受け入れられそうにない……」
「もしかして、私にキスされるの、そんなに嫌でした……?」
思わず出てしまった言葉。想定外の反応に、少しだけ傷ついた気持ちが顔に出た。
けれど、カイルはすぐに首を振った。
「そんなわけない。嬉しいに決まっているだろう!?」
「じゃあ、どうして」
「ヨルミリアは、そういう触れ合いが苦手だと思っていた。前に演技した時も、ぎこちなかっただろう?」
「それは……」
カイルの言っていることは正しいので、ヨルミリアは思わず俯く。
確かに演技は下手くそで、カイルに触れられるたびにドキドキして、自分から触れるなど考えたこともなかった。
現状はセレナに乗せられた結果だ。
メロメロにしたいと、そんなことを考えていたのだから。
だけど目の前のカイルは、メロメロというよりは、嬉しさを噛み締めるような表情をしている。
「ちゃんと伝えるようにすると言ってくれたものの、ここまでしてくれるとは思わなかったんだ」
だけどその言葉に、ヨルミリアの胸がじんと温かくなった。
不安にさせたくない。自分の気持ちが100%伝わってほしい。
今のヨルミリアは、そんなことを考えていた。
「それにしても、どういう風の吹き回しだ?」
「え?」
「誰かに入れ知恵されたのか?」
「いや、えっと……」
ぐいぐいと詰め寄ってくるカイルに、ヨルミリアは思わず体を引く。
逃がさないと言わんばかりに背中に腕を回されて、ヨルミリアはどうすることもできなかった。
「別に、言いたくなったから言っただけです!」
「え?」
「何か問題でも!?」
勢いに任せて言い切ると、ヨルミリアはぷいっと横を向いた。
カイルはその様子に目を細め、ふっと笑う。
「ありがとう、ヨルミリア。俺も……君が好きだ」
月は相変わらず静かに照っていた。
好きと言われてこんなに嬉しくなれるなら、もっとちゃんと伝えよう。
カイルの腕の中で、ヨルミリアはそんなことを考えていた。




