16:部屋の中
ヴァルターが去った後、ヨルミリアは体を軽く伸ばすと周囲を見回した。
縛られているわけではないので、部屋の中でなら比較的自由に動けたのだ。
部屋の中は静かで、外からの音が全く聞こえない。
ヨルミリアは重く下がっているカーテンに駆け寄り、それを引いた。
「……もう、夜だったのね」
カーテンを引くと、外は真っ暗だった。
黒衣の男たちがヨルミリアを誘拐したのは午前中だったから、恐らく長い間眠っていたのだろう。
ぽっかりと浮かぶ月と爛々と瞬く星々が今の状況に似合わなくて、ヨルミリアはそれらをぼんやり見上げることしかできない。
体は過度の緊張で疲れていた。この静かな部屋の中で、何もすることがないという状況が、心の中でさらに不安をかき立てていた。
「殿下……」
ヨルミリアは思わず呟いた。
ほんの少し前まで当たり前だと思っていた日常が、音を立てて崩れようとしている。
真っ暗な空とひとりぼっちの状況が、ヨルミリアの心をじわじわと蝕むようだった。
今、自分がどれほど危険な状況にあるのか、カイルはどれほど心配しているのか。カイルのことを思うと、胸が締め付けられるような思いにかられた。
「会いたい……カイル殿下……」
ヨルミリアの言葉は小さく響き、夜の闇に溶けていった。
ヨルミリアはしばらく夜空を見上げていたが、ふと見下ろしてみると、この部屋は2階に位置していることがわかる。
窓から見える景色は、暗く静まり返った庭が広がっているだけで、外部との接触は何も感じられない。
ドキドキしながらそっと鍵の部分に手をやれば、窓はあっさりと開いた。
このまま飛び降りることができれば、脱出する手段として有効かもしれない。
だが、2階とはいえ思ったよりも高さがある。
飛び降りたとしても、無傷で済まないかもしれない。
打ちどころが悪く骨折でもすれば、すぐに発見されて逃げることすらできなくなるだろう。
あくまで最終手段。実行するのはまだ早い。
そう結論付けたヨルミリアは、少し冷静に考えてみることにした。
「もし、このままここに閉じ込められていたら、どうなるんだろう?」
ドアには見張りが立っている。
もしここから逃げ出せたとしても、その先に待つものは何か。
自分がまだ完全に状況を把握していないのに、行動を起こすのは得策ではない。
ヴァルターは、『危害を加えるつもりはない』と言っていた。
あれはどういう意味なのだろう。
もし本当に彼の言う通り、殺すつもりがないのであれば、なぜこんな方法を取るのか。
ヨルミリアは、疑念がさらに深まるばかりだった。
「殺してしまうことのほうが簡単だと思うけれど……」
思わずそう呟く。
ヨルミリアがいなくなりさえすれば、ヴァルターはいろいろと行動を起こしやすくなるのではないだろうか。
自分の頭ではそんな考えしか思いつかないだけで、何か他の意味でもあるのだろうか。
ヨルミリアは『聖女』であり『第一王子の婚約者』である。
肩書きだけは立派なものなので、もしかしたら高く売れるのかもしれない。
高く売れる──つまり自分の命が、取引材料になるかもしれない。
そう思うと、背筋が冷たくなる。
「私、売られるのかも……」
その考えが浮かぶと、体が震えた。
窓を開けて脱出することはできても、きっとすぐに捕まってしまうだろう。
ヴァルターが見張りを立てていることを考えると、無駄に命を危険にさらすだけだ。
この部屋に閉じ込められたままでも、やるべきことはある。
冷静に状況を見極め、脱出のチャンスを待つことだ。
どんな思惑があろうとも、絶対に屈しない。
何より、カイルが必ず自分を助けに来ると信じているのだから。
「必ず、助けに来てくれる」
そう呟いたヨルミリアは、再び窓の外に目を向けた。
暗い夜空に一筋の星が光っている。
その光が、彼女にわずかな希望を与えるような気がした。
静かな部屋で、ヨルミリアはじっと待つことにした。




