13:淡く、確かな気持ち
「ゼノさんと何もない理由……ですか?」
「そうだ」
「ええと……私は、カイル殿下の婚約者ですし」
「仮初めのな」
とりあえず思いついたものを述べれば、ぴしゃりとした言葉が返ってくる。
カイルの声は淡々としていたが、そこににじむ微かな痛みに、ヨルミリアの胸はちくりとした。
「だとしても! 殿下の気持ちに答えを出す前に、別の人とどうこうなるなんて有り得ません!」
声がわずかに震えた。
だが、それでもヨルミリアは必死に言葉を繋げた。
――誠実でありたい。自分の心をごまかしたくない。
そう思う気持ちだけが、言葉に確かな熱を宿らせていた。
カイルは一瞬視線を落とし、それからそっと問いかけた。
「じゃあ、別に今、好きな奴や気になっている奴がいるわけじゃないんだな?」
「当たり前じゃないですか……何をそんなに不安になっているんですか?」
カイルの言葉は軽く装っていたが、その奥にある真意は明らかだった。
確認したかったのだ。
自分が、彼女の世界で特別でいられているのかを。
「……気持ちを自覚してから、可能な限り傍にいられるようにしていた。だがこんなに離れるのは初めてで、不安になってしまったのかもしれない」
「もう……今の私は、殿下だけで手一杯ですよ」
何か言い返されるかと思っていた。
だけどしばらく待っても返事がないので、ヨルミリアは首を傾げる。
俯くカイルの表情を覗き込めば、じんわりと耳を赤く染めながら、カイルは唇を噛み締めていた。
「……あれ、殿下?」
「な、なんでもない」
「なんでもなくないですか? え、大丈夫ですか?」
照れ隠しするカイル。
あんまりよくわかっていないヨルミリア。
「ああ、今はこれで十分だ」
「……えーと、とりあえず、不安じゃなくなったならよかったです」
嫉妬パートが終わったカイル
真剣な顔で言う
「なあ、もう“殿下”って呼ぶのやめてくれないか」
「え……?」
不意に差し込まれた言葉に、ヨルミリアは思わず硬直する。
「俺が“ヨルミリア”って呼ぶように、お前も“カイル”って呼んでほしい」
カイルの言葉は真剣だった。
だからこそ、ヨルミリアの心はざわめいた。
「いや、それは流石に……」
「じゃあ練習だ。今ここで、1回だけ」
「えっ」
「仲睦まじい婚約者同士の演技に、役立つかもしれないだろう?」
その冗談めいた口調に少しだけ救われる。
演技の一環――そう言われれば、逃げ道にもなる気がしてしまう。
「わ、わかりました……」
重くなる胸を誤魔化すように、ヨルミリアはこくりとうなずいた。
「……」
「……」
沈黙。
けれどそれは苦しいものではなく、どこか甘さの混じった時間だった。
「えっと、カ……」
「……」
「……」
言葉が喉の奥で止まる。
たったひとことが、こんなにも恥ずかしくなるなんて。
カイルの横顔が近い。
彼の視線を意識するほど、口が重くなっていく。
「照れてる様子も可愛いが、日が暮れそうだぞ」
「わ、わかってます……!」
そして――。
「……カ、カイル、様」
「様は要らない」
間髪入れずに返された言葉に、ヨルミリアは思わず息を呑んだ。
「…………カイル」
名前を呼ぶだけのことなのに、まるで心を差し出すかのような緊張感があった。
でもその名を口にした瞬間、どこか心の奥が柔らかくほぐれていくのを感じた。
照れ隠しのように少し早足になるヨルミリアの横で、カイルは心底嬉しそうな顔をしている。
まるで、長い旅の果てに宝物を見つけた子どものような笑顔だった。
「よし、1週間は上機嫌で過ごせそうだ」
「わ、私の一言でそんなにですか!?」
「そりゃあ、俺の“好きな人”が名前を呼んでくれたんだからな」
「…………」
顔を真っ赤にして俯くヨルミリア。
その横で、彼女の反応を楽しむように、カイルはからかうような笑みを浮かべた。
――それは、穏やかで、ささやかで、それでも確かに愛おしいひとときだった。
ふたりの間に流れる時間が、“本物”へと近づいていく。
まだ不安も、距離も残っている。けれど、確かな一歩を踏み出した感覚があった。
しかし、その優しい時間の裏で、陰謀の気配は着実に近づいていた。




