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12:ふたりきりの時間

 それからしばらくは、大きな動きもなく、静かな日々が続いた。


 ヨルミリアは変わらず神殿で祈りを捧げ、公務としての儀式や民との面会をこなしていた。

 宮廷ではカイルの婚約者として、微笑みを絶やさぬよう心がけ、誰からも不審に思われないよう気を配り続けていた。


 ――だが、それはあくまでも“表向き”だ。


 カイルとは必要最低限の場で顔を合わせる程度になり、個人的な会話の機会はめっきり減っていた。

 おそらく、彼が忙しいのだろう。

 ヴァルター公爵とアルセリア家に関する調査が進んでいると聞いた以上、無理に呼び止めることもできない。


 寂しさと焦燥感。静かに胸の中で膨らんでいくその感情に、ヨルミリアは時折、自室の棚に飾ったカイルからの贈り物――小さな香炉や、ささやかな手紙を眺めることで気を紛らわせていた。


 そんなある日のことだった。

 神殿の仕事を終え、午後のひとときを庭園で過ごしていたヨルミリアは、カイルと偶然鉢合わせた。


「やっと見つけた、ヨルミリア」

「で、殿下……!?」


 低く、それでいて少し安堵を帯びた声。

 ベンチに座っていたヨルミリアは弾かれるように顔を上げて、そして目を見開いた。


「1人か?」

「はい。ちょっと休憩中です」

「……ふぅん」


 何気ない返事のあと、彼は自然な仕草でヨルミリアの隣に腰を下ろす。

 木製のベンチがわずかにきしみ、互いの距離が一気に近づいた。


 指先が、ほんの一瞬、かすかに触れ合う。


 思わず背筋を正すヨルミリア。

 しかし、カイルは気にした様子もなく、体を軽く預けるようにしていた。


「最近あまり顔を見れていなかったが……疲れていないか?」

「それは、殿下のほうでしょう? 毎日お忙しいんですよね、ゼノさんもずっと一緒に」

「そうだな……調査はもう少し時間がかかりそうだ」


 いつもよりも、少しだけ弱音を見せたカイル。

 珍しいその表情に、ヨルミリアの胸がきゅっと痛む。


「……やっぱり。殿下、お疲れの顔してますよ」


 そう言って、思わずカイルの頬に手を伸ばした。

 彼の肌は思ったよりも熱を帯びていて、驚くと同時に心配になる。


 カイルは一瞬目を丸くするが、すぐに微笑みの仮面を被った。

 そしてヨルミリアの手を覆うように、自身の手を重ねる。


「……珍しいな。演技の練習をしたかいがあったか?」

「私だって、いつまでも慌ててばかりいられませんからね」


 そう言って、ヨルミリアはふいっと目を逸らす。

 カイルが手を重ねているせいで、カイルの頬から手を離すことができなかった。


「それに、私のおでこにキスしたんですから、殿下だってこれくらいどうってことないでしょう?」


 小さな抵抗のつもりだった。

 しかし、カイルはその言葉に穏やかな笑みを浮かべたまま、真っ直ぐにヨルミリアを見つめた。


「そんなことない。好きな人に触れられたら、いつだって嬉しいものだぞ」

「もう、からかわないでください……」

「からかってないさ。ほら」


 添えていた手をそっと外したカイルは、ヨルミリアの肩を引き寄せた。

 ぎゅ、と力強く抱きしめられたその瞬間、彼の心臓の音が耳に届く。


 その音が思ったよりも大きくて、早くて。

 ヨルミリアはなんだか恥ずかしくなってしまった。


「あの、いきなりぎゅってされると、びっくりします……!」

「こうでもしなきゃ、伝わらないだろ」


 ヨルミリアの声は上ずっていて、照れが含まれていた。

 カイルは腕の力を緩めることなく、彼女をそっと抱きしめ続ける。


 胸元に押しつけられるように身を預けさせられ、彼の心臓の音が間近で響く。

 カイルの匂いがふっと鼻先を掠めて、胸の奥がひどく落ち着かなかった。


「ほんとに、もう……」


 照れくさそうに俯くヨルミリアの髪を、風がそっと撫でていく。

 その様子を見つめながら、カイルは声のトーンを落とした。


「なあ、ヨルミリア」

「……なんですか」


 少しだけ、拗ねたような、あるいは照れ隠しのような声になってしまっていた。

 カイルは彼女の様子に小さく笑みをこぼすと、言葉を紡いだ。


「好きだよ。ヨルミリア。――もう、誰にも渡す気はない」


 その言葉が落ちた瞬間、頬がかっと熱くなって鼓動が跳ねた。

 バッと離れたヨルミリアは、カイルの顔を見上げる。だがカイルの表情は、真剣そのものだった。


「ど、どうしたんですかいきなり……!」

「いきなり言われて困るなら、明日は予告してから言おうか?」

「そういう問題じゃなくて!」


 心の準備もなく、まっすぐな愛情を投げかけられるのは反則だ――そう言いたかった。

 けれどカイルの表情には、からかいの奥に寂しさが含まれている。


「……最近、あんまり話せなかったしな」

「それは……そうですけど……」


 カイルの声色には、どこか寂しさと安心が混ざっていた。

 ヨルミリアもまた、自分だけが寂しさを抱えていたわけではなかったのだとようやく気づく。


「それに調査の関係で、今までよりゼノと話す機会が増えたのも気に食わない。ゼノとばかり話すな」


 そう言いながら、カイルはベンチの橋に視線を落とした。

 微かに眉間にしわが寄っていることに気づいたヨルミリアは、慌てて声を上げた。


「さ、さすがにそれは殿下の考えすぎです!」

「……そうか?」


 カイルの視線には、疑いが混じっている。

 ゼノとは単に調査の進行上、情報を共有していただけで、それ以上の何かがあるわけではない。


 そんなこと、カイルだってわかっているはずなのに。


「変なヤキモチ焼かないでくださいよ」

「ヨルミリアが俺に構わないのが悪い」


 拗ねたように呟くカイル。

 大人びて見える彼の、時折見せる不器用な感情表現に、ヨルミリアの胸がふっと温かくなる。


「だとしても、ゼノさんと何かあるわけないじゃないですか……」

「何故だ?」


 カイルの声が、少し低くなる。

 その響きには、ただの嫉妬ではない、根の深い“不安”が滲んでいた。


「え?」


 ヨルミリアは戸惑って、思わず聞き返す。

 その顔を真剣に見つめながら、カイルはもう一度、同じ問いを投げかけた。


「何故、ゼノとは何もないと言い切れるんだ?」


 まるで――彼女が他の誰かに心を奪われる未来を、どうしても想像してしまう自分自身を、責めているような声音だった。


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