9:交差する思惑と、静かな火花
朝の陽光が差し込む一角で、ヨルミリアは静かに待っていた。
気を緩めるとおでこにされたキスのことを思い出してしまうので、ヨルミリアは表情が崩れないように必死に意識を逸らしていた。
場所は王宮内の小広間。
訪れる人の少ない場所だが、ヨルミリアにとっては数日間通い続けた“待ち伏せ”の場でもあった。
――今日こそ、セレナ様と話をしよう。
ヨルミリアはそう決めていた。
カイルとの会話の後、彼女はある“確信”を持っていた。
セレナ・アルセリアと、もう一度きちんと向き合わなければならない、と。
そしてその時は、思ったよりもあっさりと訪れた。
「……あら、聖女様ではないですか」
細いヒールの音がタイルを叩き、ふわりと香水の香りが漂う。
現れたのは、紛れもなくセレナだった。
一瞬、その美しい顔に驚きの色が走ったが、すぐにいつもの微笑みに戻る。
ヨルミリアは小さく息を吸い、覚悟を決めて口を開いた。
「ごきげんよう、セレナ様」
「お久しぶりですわね、お元気でしたか?」
「えぇ、まあ。不躾で申し訳ありませんが、少しお時間をいただけますか?」
問いかけに、セレナは優雅に微笑みながら頷いた。
ただ、その目元に浮かぶ陰りにヨルミリアは気づく。
かつてもっと自信に満ちていたその瞳が、今はどこか――警戒を含んでいた。
過去のやり取りを思えば当然な気もするが、それでもヨルミリアは話さなければならないのだ。
ヨルミリアは先程まで待機していた小広間に移動し、セレナにそっと椅子をすすめる。
その向かいに座ったところで、口を開いた。
「セレナ様に、お話ししたいことがあったんです」
「あら、何かしら」
言葉こそ穏やかだが、空気には針のような緊張が漂っていた。
優美な所作に乱れはない。けれどその完璧さが、むしろ壁のようにも感じられた。
ヨルミリアは心を決め、視線を逸らすことなく言った。
「率直に申し上げます。婚約解消のための書類が提出されたことは、ご存じですか?」
一瞬だけ見開かれた瞳。その表情が答えだった。
セレナははすぐに表情を整え、静かに問い返してきた。
「婚約解消って……聖女様と、殿下のですか?」
「そうです」
「私は知らないですけれど……それで、その書類は受理されたのかしら?」
言葉の応酬は冷静だった。
しかし、その内側では互いに何かを探り合っていた。
言葉の端々に揺れる“本音”を見逃すまいとする、静かな攻防。
「いいえ。途中で殿下が気づいて書類は握りつぶされました」
「…………そう」
ヨルミリアの言葉に、セレナは静かに目を伏せる。
そのまつ毛の陰で揺れる表情に、わずかな動揺を読み取る。
声色が僅かに沈んでいるような気がした。
「それで、どうしてその話をわたくしに?」
「……」
「まさか、わたくしが犯人だとでも?」
顔を上げたセレナは穏やかだったが、どこか挑発的だった。
確信を持ったような声色に、ヨルミリアは表情を強張らせる。
ヨルミリアはどう答えようか一瞬考え、だけど結局正直に胸の内を明かした。
「……最初は、少し疑ってしまいました。でも、今セレナ様と話していて、違うのではないかと思い始めています」
ヨルミリアの言葉に、セレナは小さく目を細めた。
何かを探るような視線に対し、ヨルミリアは真っ直ぐ見つめ返す。
セレナは小さく笑い声を上げたあと、言葉を続けた。
「人を見る目に、随分自信がおありなのね?」
「そういうわけではありませんが……でも、私は私の直感を信じてみたいと思っています」
「何も根拠はないというのに、愚かなくらいお人好しね」
セレナの声には、ほんの僅かに――感情の揺らぎがあった。
「あなたって、変な方ですわね。あれだけ敵意を向けられたはずなのに、こうして話そうとするなんて」
「よく言われます。殿下にも言われました」
「まあ。変な女とわかっていて傍に置くなんて、殿下も変わっていらっしゃる……」
セレナは皮肉めいた微笑を浮かべたが、その目元はどこか寂しげだった。
その意味を、ヨルミリアは理解していた。
一瞬息が詰まったが、ヨルミリアは静かに告げる。
「……でも私は、セレナ様に感謝もしているんです」
「感謝?」
「あなたの言葉があったから、私は自分の気持ちを見つめ返すことが出来ました」
その一言が、空気を変えた。
ふっと風が通り抜ける。緊張が、ほんのわずかに緩む。
しばし沈黙が流れた後、セレナがぽつりと口を開く。
「聖女様が自身を見つめ直すきっかけになれたなら、何よりですわ。でも、それなら余計に困りますの」
「えっ……?」
「だってあなた、わたくしの気持ちに、気づいてるんでしょう?」
セレナの瞳が揺れる。
唇を開きかけ、言葉を呑み込む。その姿には、苦しげな色が浮かんでいた。
「あなたが、何に巻き込まれているかはわかりませんけれど。わたくしには関係ないことですわ」
「……そうですね」
「でも私は、殿下に顔向けできないような真似はしませんわよ」
その言葉を最後に、セレナは立ち上がった。
椅子を引く音が小さく響く。
徐々に小さくなっていくその背中は、凛としていて美しかった。
セレナを見送りながら、ヨルミリアは考えていた。
セレナが黒幕なのかどうか、見極めなければならない。
普通に更新時間までに仕事が終わらなくて、微妙に時間すぎてしまいました……すみません……!
恐らくあと20~30話くらいで終わりそうなんですが、投稿が滞りそうな場合は報告いたします。




