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8:演じる2人と、素顔の距離

 調査の準備を進める中、カイルはヨルミリアにぽつりと言った。


「演技の練習をしよう」

「……演技、ですか?」


 ヨルミリアはぱちりと瞬きをして、きょとんと彼を見上げた。


「あぁ、ここ数日『あからさまな演出をして“あの2人はとても解消なんてできないな”と思わせれば、何か引っかかる反応をするやつが出てくるかもしれない』と考えて実践していただろう?」

「はい」

「……それで、だ。ヨルミリア、非常に言いづらいんだが」

「なんでしょう?」


 前置きされた言葉に、不安が首をもたげる。

 視線を泳がせたカイルは、しばらくモゴモゴ言った後にようやくそれを口にした。


「君は、どうやら演技が下手らしい」

「……え?」


 その一言に、ヨルミリアの思考が一瞬で停止した。

 カイルはどこか申し訳なさそうに、だが誤魔化すでもなく言葉を重ねる。


「これじゃあ誰かを引っかけるどころか、違和感を持たれてしまうかもしれない」

「そ、そんなにひどいんですか……!?」

「ああ」


 取り付く島もないほどの強い頷きに、ヨルミリアは声を上ずらせた。


 内心の衝撃は大きいし、自分ではそこまで酷い自覚はなかった。

 けれど、それが事実であるのならこちらも黙っていられない。


 せっかく作戦を立ててもらったというのに、足を引っ張るわけにはいかないのだから。


「……そこまで言うならわかりました。私も努力します」


 少しむっとしながらも、まっすぐな目でそう返すと、カイルは満足げに頷いた。


「じゃあさっそく、ここで練習しようか」

「はい!」


 やる気を見せたつもりだった。

 だが次の瞬間、ヨルミリアはその決意をあっさりと試されることになる。


 カイルが、自然な動作で彼女の腰に手を添えてきたのだ。


「じゃあ少し歩こうか。こっちには花壇がある」

「えっ、えっ、ちょっ……近いです、殿下」


 背筋がぴんと跳ねる。顔が熱くなる。

 だがカイルはまるで気に留めることなく、穏やかな表情で歩き続けた。


「……努力をするんじゃなかったのか?」

「うっ」

「これくらいで音を上げられては困るぞ」


 耳元で囁かれ、ヨルミリアは飛び上がりそうになった。

 だが同時に、これは全て演技のためだと気がつく。


 部屋を出て廊下を歩いている2人を、すれ違う文官たちが目を丸くして見ている。


 まるで、噂が現実になったとでも言いたげな顔だった。

 その様子に演技の効果はてきめんだと痛感するが、それでもヨルミリアの羞恥心は容赦なく刺激されていた。


 下手なことを口走るわけにもいかず、ヨルミリアはされるがままだった。

 そして小さな庭園に出たところで、カイルはようやく立ち止まった。


「なあ、ヨルミリア」

「はい?」

「俺のこと、好きって言ってくれてもいいんだぞ?」

「は……?」


 一瞬何を言われたのか理解できず、ヨルミリアの思考がまた停止する。


「もちろん“演技”としてな。周囲に“あの2人は相思相愛”と思わせるには、そのくらいの甘さがあった方がいいだろう?」

「それは……そうかもしれませんけど」

「あと、俺が嬉しい」

「そっちが本命の理由じゃないですか!?」


 思わず叫ぶように返してしまう。

 だがカイルは涼しい顔のまま、少し笑って彼女を見下ろした。


「でも、わ、私そういうの慣れてませんし……!」

「だから、練習がてら言ってみてほしい。“殿下のこと、好きです”って」

「うぅ……!」


 頬が、耳が、指先まで熱い。

 戸惑いと恥ずかしさに押し潰されそうになっていたヨルミリアの様子に、カイルはどこか意地悪な笑みを浮かべた。


「じゃあ代わりに、俺が言おうか?」

「え」


 ヨルミリアが何かを言う前に、それは囁くように告げられた。


「――ヨルミリア、好きだよ」


 その一言が、ヨルミリアの胸を撃ち抜いた。


 鼓動が跳ね、息が詰まる。

 さらりと、けれど確かに。まるで“本当”のように優しい声音で。


 頬に熱が溜まっていくが、ヨルミリアはもうカイルを見上げることしかできなかった。


「な、な、なんでそうさらっと……」

「演技だ、もちろん。まあでも俺は、演技じゃなくても言うがな」

「からかいすぎです!」


 楽しそうな言葉が返ってきて、ヨルミリアは目をぎゅっと閉じる。

 だけど、やられてばかりではいられない。そんな気持ちが芽生えたヨルミリアは、ぐっと唇を噛む。


 カイルとの距離は、3歩分だった。

 その3歩分の距離を縮めて、ヨルミリアはとんとカイルの胸に顔を寄せる。


 そして精一杯の声で――震えながらも告げた。


「……私も、殿下のこと、好きです」

「……っ」


 その瞬間、カイルの動きが止まった。

 一瞬だけ、明らかに固まったのが、ヨルミリアにもわかった。


 上を見上げれば、アイスブルーの瞳が揺れている。

 じわりと赤く染まっている耳は、恐らくヨルミリアの気のせいではないのだろう。


 甘ったるい空気が辺りを包んで、ヨルミリアは慌てて言った。


「い、今のは“演技”ですから!」

「わ、わかってる。わかってるから……」

「本当ですか……!?」

「ああ。だから、俺も“演技”のお返しだ」

「へっ?」


 言葉とともに、カイルは彼女の額にそっと唇を落とした。

 おでこに伝わる感触に、ヨルミリアは声を上げる。


「また……! 2回目ですよ!」

「“婚約中の仲睦まじい2人”なら、おでこにキスくらい普通だろ?」

「ふ、普通じゃありません……っ!」


 そう返しながらも、その声にはどこか嬉しさが滲んでいた。

 2人の間に流れる空気は、少しだけ柔らかく、あたたかなものになっていた。



―――――

―――



 喧騒から少し離れた場所で、1人の男がその一部始終を見ていた。

 カイルとヨルミリアのやり取り、おでこへのキス、そして彼女の戸惑い。

 全てを、冷たい眼差しで見つめていた。


「カイル殿下と、聖女ヨルミリア……」


 男は呟く。

 その声は氷のように冷たく、感情が削ぎ落とされているようだった。


 しかし、彼の瞳には確かに――強い憎しみが宿っていた。


 握りしめた拳の関節が白く浮き出ている。

 唇を固く結び、そのまま呟くように言葉を漏らす。


「……アルセリア家のため、彼女には――消えてもらわなければならない」


 その声は誰にも届かない。

 だが、確かな決意を秘めたその一言は、まるで刃のように鋭く、冷たい空気の中に突き刺さった。


 そして男は、音もなくその場を後にした。



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