5:告げられた報せ
その知らせは、ヨルミリアがカイルにハンカチを贈ってから数日後に届いた。
午後の陽が傾きかけた頃。
執務を終えたカイルは静かに執務室の扉を閉じる。
その音がやけに重たく響き、室内には緊張が走った。
部屋の中にはヨルミリアと、カイルの腹心であるゼノの姿もある。
カイルの険しい表情に、ヨルミリアの胸が自然とざわつく。
眉間に深く刻まれた皺が、ただならぬ事態を物語っていた。
沈黙を破り重々しく口を開いたのは、カイルだった。
「――それで、その書類は確かに手続きが進められていたのだな?」
鋭い瞳で見つめられたゼノは、こくりと静かに頷く。
カイルは冷静を装っていた。
けれど、その声には微かに怒気が滲んでいる。
それがむしろ静かな恐怖となってヨルミリアの背中を冷やした。
「殿下の仰せの通りに調べたところ、婚約解消の申請書類が、王宮の秘蔵文書庫に提出された形跡がありました」
ヨルミリアがこの場に呼び出された理由。
それは、カイルとヨルミリアの婚約を解消するための書類が提出された形跡が見つかったからだった。
ヨルミリアは以前、円満な婚約解消を目指して情報を集めようとしていたことがある。
だけど婚約解消に関するは機密情報であり、ヨルミリアが出入りできる図書館にそれについての資料はなかった。
つまりヨルミリアは、何も知らない。
だから婚約解消のための書類を提出できるはずがないのだが――。
「手続きは、“聖女ご本人の意志”による提出の体裁をとっていました」
聖女、の単語にヨルミリアはびくりと肩を跳ねさせる。
たしかに婚約解消のための情報集めをしていたこともあったが、今は違う。
カイルの思いを知り、ヨルミリアはそれに向き合おうとしていた。
隠れてこそこそ婚約解消のために動くことなど、ヨルミリアは断じてしていない。
「っ……!」
そのことを伝えようとしたが、ヨルミリアが口を開く前に、カイルがそれを制止した。
何も言わなくてもわかっている。
アイスブルーの瞳が、そう強く語っていた。
「……書類は偽造か?」
「はい、恐らく。関係者に信頼できる書記官がいたので、その線から情報が入りました」
「以前ヨルミリアが図書館で資料を探していたのを見た誰かが、利用できると踏んだのかもしれないな……」
淡々とした声でカイルが言う。
「誰が、何のためにそんなことを……」
ぽつりと漏らしたヨルミリアの脳内には、今まで関わった人たちの姿が浮かんでいた。
例えばラフィール。
最初の頃は厳しい言葉もあったが、徐々にヨルミリアを認めてくれているのを感じていた。
ノアティス王国に来たばかりのタイミングならまだしも、このタイミングでヨルミリアを排除しようとするだろうか。
例えばランズ侯爵。
初めての共同公務の際にヨルミリアに意地悪をしてきた人だ。
だが彼はあくまで侯爵であり、国の中枢を担う立場にいるわけではない。
重箱の隅をつつくような意地悪こそされたものの、こんな大それたことを計画するようなタイプだろうか。
神殿の人たちも、侍女や護衛の人たちも、良くしてくれているように感じる。
ヨルミリアを邪魔に感じている人といえば――――。
「……あ」
言葉がこぼれたのと同時に、カイルと目が合った。
カイルのことを思っていて、ヨルミリアのことが邪魔な人物。
知っている中で当てはまるのは、セレナ・アルセリアだった。
ヨルミリアが気づいたことに気づいたのか、ゼノは小さく咳ばらいをしてから話し始める。
「恐らく婚約解消を望む一部の貴族の中に、アルセリア家の者もいると思います。アルセリア公爵家はノアティス王家と幼い頃から親交があり、他の公爵家に比べて発言力や影響力は強いので妨害工作も行いやすいです」
「アルセリア家が……」
「はい。アルセリア家が手を回したのかはまだ不明ですが、裏で文書を扱える人間の手によって、解消が“既成事実”にされかけていたのは事実です」
「……俺の許可なしに、そんな真似を」
怒りを押し殺すように、カイルは拳を握る。
だがハッとしたように顔を上げると、カイルはどこか不安そうな顔をしてヨルミリアを見つめていた。
「……殿下?」
「ヨルミリアは、書類が握りつぶされないほうがよかったか……?」
「えっ?」




