4:図書館の片隅
「……あの、ヨルミリア」
「はい?」
ハンカチをプレゼントしてから、数日後。
廊下で呼び止められたヨルミリアは、振り返って驚いた。
少し困ったような顔のカイルが、こちらを見つめて立っていたからだ。
いつも自信に満ちた物腰の彼には珍しく、どこか言いにくそうに視線をさまよわせている。
いつになく歯切れの悪い様子に、ヨルミリアは不思議そうな顔をして首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「いや、その、プレゼントしてくれたハンカチなんだが……」
「はい」
「……本当に“感謝の気持ち”だけで、選んだのか?」
思わぬ言葉に、ヨルミリアは思わずまばたきをした。
カイルの手には、自分が贈ったハンカチが丁寧にたたまれて握られていた。
淡いピンクのバラの刺繍が、窓から差し込む光を受けてふわりと浮かび上がるように見える。
「はい、もちろんです。感謝の気持ちを伝えたくて……」
「つまり、この花に込めたのは感謝の気持ちということだな?」
「はい」
何をそんなに……と思ったところで、ヨルミリアはようやく違和感に気づいた。
ヨルミリアの返事に対し、カイルが微かに眉を寄せている。
そんな顔をされる筋合いはないのだが、なんだかヨルミリアは不安になって思わず確認してしまう。
「殿下、昨日仰ってましたよね? バラの花言葉を知っていると」
「そうだな」
「……ピンクのバラの花言葉は『感謝』ですよね?」
だって――昨日、彼は確かに言ったはずだ。「花言葉を知っている」と。
だが予想に反して、カイルは目を丸くして驚きの表情を見せる。
「違う」
「えっ?」
「ピンクのバラの花言葉は、『愛している』だろう?」
「あ、愛……!?」
一瞬、時間が止まった気がした。
ハンカチに目を落としたヨルミリアは、自分が贈ったはずのそれが急に恥ずかしいものに思えてきてしまう。
「待ってください、違いますよ。絶対感謝です」
「いーや、俺は昔図鑑で見た記憶がある」
「私だって昔教えてもらいました!」
どちらも譲らず、2人は言い合いになってしまう。
なぜ感謝を示そうとしたのに、言い争いになってしまっているのか。
わけがわからないヨルミリアは、頭痛がする思いだった。
いつになく頑ななカイルは、埒が明かないと言わんばかりにくるりと踵を返す。
そして顔だけこちらを振り返ったかと思うと、ヨルミリアについてくるよう促した。
「そこまで言うなら、図書館に調べに行こうか」
「望むところです!」
売り言葉に買い言葉。
2人はずんずんと王宮の図書館に向かい、花の図鑑を探した。
そして古びた植物図鑑を引っ張り出したかと思うと、勢いよくページを捲り出した。
しばらくページをめくったところで、お目当ての場所に辿り着く。
「……」
「……」
「……えーと」
気まずい沈黙を破ったのは、ヨルミリアだった。
2人はじっと、図鑑の一点を見つめている。
『ピンクのバラの花言葉:感謝・上品・愛している』
図鑑には、そう書かれていた。
その文字を読んだヨルミリアは、うめき声のように「うそ……」と呟き、ハンカチを見つめて言葉を失った。
自分の思いを込めて、時間をかけて縫った刺繍。
けれど、その意味が――思いがけず“愛の告白”と受け取られていたなんて。
「“感謝”の部分しか知りませんでした……。そんな、そんな意味まであるなんて……」
「正直、結構舞い上がってしまったんだが」
「そんなことを言われましても……」
真っ赤になった顔を両手で覆いながら、ヨルミリアは弱々しい声で言った。
「ゼノに見せびらかしたら、『ちゃんと確かめた方がいい』と言われてな。まさかとは思ったんだが、一応確認に来たんだ」
「う……す、すみませんでした……」
言いながらも、カイルの声音には怒気はない。
むしろ、楽しそうな響きすら混じっていた。
「偶然ならそれでもいいんだ。ヨルミリアが“愛している”って意味もあるものを、俺にくれたってことが、嬉しい」
「そ、それは……ちが……っ、そういうつもりじゃ……!」
否定する声が震えているのを、自分でも自覚してしまう。
“違う”と簡単に言い切れないほど、心の奥がぐらぐらと揺れていた。
「じゃあ、“そういうつもり”になるまで待つさ。だけど――」
カイルは穏やかに言いながら、そっと図鑑を閉じた。
そして、そっとヨルミリアの手に触れる。
温かな体温が、伝わってきた。
「もう渡された以上、大事するのは構わないだろう?」
「……っ、だめ、とは言いませんけど……」
手のひらの温度に、ヨルミリアの肩がかすかに揺れる。
思いがけず“告白のような贈り物”をしてしまったことに戸惑いながらも、それをまっすぐに受け止めてくれるカイルに、ヨルミリアは否応なく心を動かされていた。
図書館の片隅。古い本の香りと、静けさに包まれた空間で、ふたりの距離がまた一歩近づいた。
「あと、色んな奴らに見せちゃったしな」
「え!?」
聞き捨てならない言葉に、ヨルミリアは慌てて身を乗り出した。
「それって、また変な噂が立つやつですよね!?」
「でもまぁ、ピンクのバラの刺繍をしてくれたのは事実だしな」
「外堀から埋めようとしている……!?」
少し得意げな笑みを浮かべるカイルに、ヨルミリアは思わず両手で自分の頬を覆った。




