18:カイルの本音
夕暮れの街角。
日が落ち始めると、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていく。
行き交う人の姿もまばらになり、石畳の道にはやわらかな橙の光が落ちていた。
2人は人通りの少ない裏通りを歩いていた。
店先の灯りがぼんやりと照らす石畳に、肩を並べた影が寄り添うように落ちる。
ヨルミリアは手の前で軽く指を組みながら、穏やかな歩調で隣を歩くカイルをちらりと見た。
「……今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
ヨルミリアの素直な声に、カイルは少し肩の力を抜いたように小さく頷いた。
「こちらこそ。こうして過ごすのは、思っていたよりずっと……いいな」
「思っていたより?」
「もっとよそよそしくなるかと思ってた。君が、俺を避けるんじゃないかって」
「え……」
それは冗談めいていたけれど、確かに滲んだ本音だった。
カイルの声の奥には、ほんのわずかな不安が混じっている。
ヨルミリアは目を丸くして、慌てて首を横に振った。
「そんなこと、ありません。私……」
言いかけて、視線を落とす。
感情がうまく整理できなくて、言葉がうまく出てこない。
そんなヨルミリアをカイルはしばらく見つめていたが、不意に立ち止まると、何かを思い出したように小さな包みを差し出した。
「これ、今日のおまけだ。こういうの、好きだろう?」
「えっ……?」
不意に差し出された包みを、ヨルミリアは両手で受け取る。
中には、小さな押し花のしおりが入っていた。
ラベンダーと小さな白い花が、丁寧に透明な紙に閉じ込められている。
「花屋の前を通ったとき、君が少し立ち止まっただろう。気づいてた」
驚きと、少しの照れ。
それでも心の奥に、じんわりと温かさが広がっていく。
ヨルミリアはしおりを手のひらにのせたまま、じっと見つめた。
「見ていたんですね、全部」
「ああ。君のことは、もう見逃せないからな」
「……でも、そんなに見られてたと思うと、ちょっと恥ずかしいです」
「好きな人を見ていたいと思うのは、普通のことだろう?」
その声音は穏やかで、優しくて、真っ直ぐだった。
冗談のようでいて、けれどどこか真に迫るものがある。
何かを返さなければ、とヨルミリアは思った。
与えられるばかりではなく、自分の気持ちを、少しずつでも形にしたい。
「……あの、私も……ちゃんと、返したいんです。何かを。まだうまく言えないんですけど」
「その気持ちだけで十分だ」
「でも……」
「本当に、今はそれだけで十分なんだ」
カイルはそう言って、軽くヨルミリアの頭を撫でた。
最初の頃なら、驚いてしまったかもしれない。
けれど今は、その手が心地よいと思える。
「……また、一緒に出かけてくれないか?」
返事を待つカイルに、ヨルミリアは頷いた。
それは“婚約者”としての義務ではなく、1人の女性として“望んだ”選択だった。
―――――
―――
―
夜、部屋に戻ったヨルミリアは、静かな空間にそっと安堵の息を落とした。
明かりの下、机の上にそっと置かれたしおりを見つめる。
透明な紙の中で、ラベンダーが静かに横たわっていた。
その控えめな紫色が、頬に残る熱とどこか似ているように思えた。
伝えられた気持ちは、確かにあった。
でもそれ以上に、伝え“続けてくれる”ことが、嬉しかった。
「……この気持ちに名前をつけるのは……まだ早いのかな」
ぽつりとつぶやいた声は、自分自身への問いかけのようでもあった。
けれどその胸の奥に、確かなぬくもりが宿っていることを、ヨルミリアはもう否定できなかった。
カイルの存在は、確実にヨルミリアの中で特別なものになっている。
手のひらの上の小さなしおりが、今日の記憶をそっと閉じ込めている。
そしてきっとこの記憶は、これからの日々の中で静かに花開いていくのだ。
3章はここまでです。
4章からは2人の婚約解消を目論む人物となんやかんやありつつ、2人のイチャ度を上げていきたいと思っています。
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