4:庭園散歩
カイルとヨルミリアに挨拶を済ませた貴族たちは、徐々に2人に視線を向ける回数を減らし、貴族同士で歓談を始めていた。
確かに今日の晩餐会の主役はカイルとヨルミリアだが、貴族同士の横の繋がりもとても重要だ。
会話が交わされ、薄い笑顔とともにワイングラスが軽く触れ合う音が響く。
だがその光景を眺めながら、ヨルミリアはどこか自分が浮いているような感覚を覚えていた。
そんな中人目を盗んだヨルミリアは、タイミングを見計らって晩餐会の喧騒から抜け出し、1人中庭の回廊へと足を運んだ。石畳が続く道は静かで、月明かりが薄くその上を照らしている。足元を照らす青白い光に、ヨルミリアは心の中で少しだけ安堵の息を吐いた。
ようやく深く呼吸ができる気がして、ヨルミリアは大きく息を吸う。
夜の空気は冷たくて、澄んでいた。
「逃げたのか?」
不意に後ろから声がかかって、ヨルミリアは振り返る。
月明かりの下にカイルが立っていた。彼の金色の髪が、風に揺れながらほんのり光っている。
先ほどまで晩餐会の席で疲れた表情を見せていたはずなのに、その表情はどこか軽やかで、彼らしい余裕を感じさせるものだった。
「……いえ。人混みが少し、苦手なだけです」
「そうか」
カイルはあっさりとした返事をして、隣に並ぶように歩き出す。
「カイル殿下も、逃げてきたんですか?」
「……まぁ、俺も似たようなものだな」
「主役が2人も抜け出して、大丈夫なんですかね?」
「さあな」
短く、しかし少しだけ親しみを帯びた声に、ヨルミリアは隣で歩くカイルの横顔に目を向けた。
彼の顔には、今まで見たことがないほど穏やかな表情が浮かんでいた。
晩餐会の席では、立場上の気配りと礼儀ばかりが目立っていたが、今は違う。まるですべての仮面を外したような、素のカイルの表情がそこにあった。
そのことに気づいた瞬間、ヨルミリアは少し恥ずかしくなり、目を伏せる。
「さっきのこと、礼は言っておく」
「お気になさらず。たまたま気づいただけなので」
「いや。気づいても、言わない奴がほとんどだった」
「え……殿下の体が第一なんじゃないんですか?」
不思議に思ってそう聞けば、カイルはどこか自嘲気味に笑った。
「スケジュールはいつも詰まっているのだから、多少の体調不良では休めないさ。俺自身、隠すのも年々上手くなった」
「そうなんですか……」
ヨルミリアは少し驚きながらも、カイルの言葉を受け止める。
「だから今回も気づかれないと思っていたが……君は違うようだな」
そう言って、カイルは歩みを止めた。
ヨルミリアも立ち止まり、自然と顔を向ける。
月明かりが二人の顔を淡い光で包み込み、沈黙の中にひとときの静けさが広がった。
「……変なやつだな。聖女なのに、聖女ぶらない」
「それは……褒め言葉でしょうか?」
「褒め言葉として受け取ってほしい。俺はそういうところを────悪くないと思っている」
その一言に、思わず言葉が詰まった。
カイル殿下の横顔はどこか楽しげで、けれど決して軽薄ではなかった。
彼のことを、冷たいだけの人だと思っていた。
必要以上に心を開かず、礼儀だけで接してくる人だと。
でももしかしたら、ほんの少しだけ────違っていたのかもしれない。
「……殿下は、いつもこんなふうに言葉を選ばずに話されるんですか?」
「ん? 今のが気に障ったなら謝るが」
「いえ。逆に、少し新鮮だっただけです」
「君も結構言うな」
「私は、聖女ぶらないようなので」
冗談めかして返すと、カイルは肩を揺らして笑った。
笑い声は、静かな夜の中で心地よく響いていた。
「……確かにそうだな」
「そうですよ」
この人はこんなふうに笑う人だったのか、とふと思う。
最初に出会った日も、晩餐会までの間に会った時も、彼の微笑みはどこかよそ行きの仮面のようだった。
けれど今、目の前の笑みは確かに、心からのものに見えた。
「……君と話してると、なんだか変な気分になる」
「変な……?」
「言い方が悪かったな。……居心地が悪くないって意味だ」
そう言って、カイルはそっと視線を横に流す。それから、真正面を見つめていたその瞳がほんの少しだけこちらに向く。
微妙な距離感が心地よく、しかし少し緊張も感じさせるような。
不思議な気分だった。
「だから、今夜は少し眠れそうだ。変な気分のまま、な」
それ以上言葉を交わすことはなかったけれど、代わりに心に小さな波紋が広がった。
月明かりが二人を包み込み、夜の空気がさらに柔らかく感じられる。
───この人は、きっと思っていたよりもずっと、繊細なんだ。
「……よかったです」
ヨルミリアはそれ以上は踏み込まず、静かに微笑んだ。
夜の空気がやわらかく頬を撫で、沈黙さえも温かいものに感じられた。
第5話は17時過ぎです。
そちらが本日最後の更新になります!
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