15:噂は風に乗って
「聖女様、第一王子殿下とよくご一緒ですね」
「え?」
聖堂への帰り道、祭服の裾を気にしながら歩いていたヨルミリアは、不意にかけられた言葉に足を止めた。
声の主は、同じく聖堂の奉仕を担う若い神官見習いの女性だった。
あどけなさの残る表情に、興味とほんの少しの好奇心が混ざっている。
何を答えようか迷ったヨルミリアは、僅かに思案顔をした後、結局当たり障りない返事をすることを選んだ。
「いえ……殿下のお仕事が、偶然重なることが増えただけです」
「……ふふ、そうですか?」
なるべく自然に返したつもりだったけれど、その言葉に彼女は小さく笑って首を傾げる。
そして嬉しそうな顔をしながら、言葉を続けた。
「でも第一王子殿下が人前であれほど柔らかい表情を見せるのは、聖女様とご一緒のときだけですよ?」
「いえ、そんな……」
「私だけではありません、周りの者も同じように思っております」
……やっぱり、目立ってるのね。
彼女の言葉に、ヨルミリアは胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。
自分たちの関係が公務の名を借りていたとしても、外から見ればそれ以上に見えるのかもしれない。
それが良いことなのかは、よくわからない。
「噂、ご存じですか?」
「……噂ですか?」
「王都では、聖女様と第一王子殿下のご婚約が“本物になった”って話が広まってます」
「本物……?」
「はい。“恋愛関係になった”とか、“すでに結婚の準備に入っている”とか……。ふふ、皆さん、嬉しそうでしたよ。祝福の噂です」
祝福。
本来なら、心が温かく満たされるはずの言葉。
なのになぜか喉の奥に小さな違和感が引っかかって、胸がざわついた。
嬉しいと感じる自分と、怖いと怯える自分。
相反する感情が胸の中でせめぎ合う。
ヨルミリアは笑みを返しつつも、曖昧に頷くことしかできなかった。
足取りは少しだけ、重くなっていた。
聖女の居室に戻ったヨルミリアは、窓辺に立ち尽くしたまま、沈黙していた。
“祝福されている”。
それは、良いことのはずなのに。
それでも、どうして心はこんなに落ち着かないのだろう。
カイルは確かに真剣だった。
あの夜の言葉も、その後の態度も、すべてが嘘じゃないと分かっている。
けれどそれでも――――。
「……怖い、のかな」
声に出してみて、ようやく少し自分の本心に気づいた。
もし本当に“好き”になって、でも、私だけが夢を見ていたら……。
政略の糸に縛られたまま、いつか関係が終わるのだとしたら。
心のどこかに、そんな不安が巣食っている。
「聖女として、冷静でいなきゃいけないのに……」
けれども、感情は理屈を超えて揺れてしまう。
あの人の言葉に、ぬくもりに、視線に、また会いたいと思ってしまう。
「もう……遅いのかもしれない」
自覚したその想いに、ヨルミリアは小さく目を伏せた。
その時、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
「ヨルミリア様、殿下よりお手紙が届いておりますよ!」
「手紙?」
「はい! いつもは何かあれば直接会いにいらっしゃったのに、なんだか珍しいですね……?」
リーナが差し出した封筒には、王家の紋章。
けれど、封蝋の下には、本人の手で書かれた文字が見えた。
『ヨルミリアへ』
震える指で封を切る。中には短い手紙があった。
『今日は話せなくて残念だった。次の休日、時間をくれないか? “2人きりで”出かけたい。』
……2人きり、で?
心の中でそう呟く。
胸の奥で何かが跳ねた。
怖さ、嬉しさ、期待、そして不安が入り混じって押し寄せる。
もし、あの人に会ったら、もう二度と目をそらせなくなるかもしれない――。
そう思うと、ヨルミリアはなんだか胸が苦しくなった。




