12:心配
風を裂くような気配とともに、男の手から刃が弾かれる。
鋭い打撃音。そして、呻き声。
現れたのは、漆黒の軍馬にまたがった、見覚えのある青年だった。
「殿下、どうして……?」
ヨルミリアの唇から、かすれた声がこぼれる。
カイルは無言のまま馬から飛び降りると、そのまま地面に着地した。
マントが翻り、戦場の将を思わせる鋭い気迫をその身にまとっている。
その剣の柄を握る手には、一分の隙もなかった。
「お前たちが手を出そうとしている相手が誰か、わかっていないようだな。今すぐ退け」
その静かな威圧に、男たちはたじろいだ。
村の空気が、一気に変わる。鋭く張り詰めた緊張が辺りを覆い尽くしていた。
ヨルミリアはその背中を見つめながら、胸の奥で確かに何かが動いたのを感じた。
カイルはヨルミリアの前に立ちはだかった不穏な男たちに、冷たい視線を向けた。
闇を纏うようなその瞳は、決して揺るがず、静かに怒りを燃やしている。
「ここは俺の守るべき場所だ。無礼な真似は許さん」
短く、鋭いその一言に、男たちの動きが一瞬止まる。
だがまだ怯まぬ者が1人、剣を抜いて向かってきた。
カイルは即座に身を翻し、鋭い身のこなしでその攻撃をかわす。
体はしなやかに動き、まるで戦場の風のように冷静で、無駄な力が一切なかった。
「甘いな」
吐き捨てるような声とともに、カイルの剣が空を切る。
男の腕にかすかに傷をつけ、鋭く警告を与えた。
その一撃に気勢を削がれたのか、男は後退する。周囲の連中も、それに倣ってじりじりと後ずさった。
「二度とこの場所に現れるな」
カイルの言葉には、命令ではなく“絶対”の力があった。
男たちは互いに顔を見合わせると、唾を吐き捨てるようにして散り散りに退却していった。
カイルは冷たく見送り、ヨルミリアの元へ戻った。
「……怪我はないか?」
「大丈夫、です」
彼の問いに、かろうじて返す声は震えていた。
カイルはそっとヨルミリアの前に立ち、そのまま視線を落とした。
そしてヨルミリアの震える手を取り、ぎゅっと握った。
「あの、殿下……どうしてここに?」
ヨルミリアがそう問えば、カイルはじっとこちらを見つめる。
その視線には、怒りとも呆れともつかぬものが滲んでいた。
「君が何も言わずに、出て行こうとするからだ」
「え?」
「視察の件はゼノから聞いていた。だが、まさかこの村とはな」
カイルの声音は低く静かだったが、そこには確かな苛立ちが滲んでいた。
「もともと予定されていた場所です。王都から近い場所でしたし、私は聖女としての務めを果たそうと……」
「危険を顧みずに、か?」
言葉が遮られた。
ヨルミリアは、アイスブルーの瞳を見つめることしかできない。
「アディルをつけていたとはいえ、現地の様子を把握していないまま向かうのは無謀だ。君自身の身を軽く扱うような真似は、してほしくない」
「……すみません」
声が掠れる。
ヨルミリアはただ素直に頭を垂れた。
強く言い過ぎたと思ったのだろうか。
カイルは気まずそうに視線を逸らし、吐息をついた。
「……いや、言い方がきつかったな。すまない。ただ、心配だった。それだけだ」
それだけ――という言葉に、ヨルミリアの胸がざらりと波立つ。
それだけ、の中に込められた真意をどこまで信じていいのか。
どこまで期待していいのか。わからない。
けれど彼が自分を『心配した』とはっきり言葉にしたことだけは、間違いではない。
「……ありがとうございます。助けてくださって」
ヨルミリアは、視線を下げたまま言った。
目を合わせたら、何かがばれてしまいそうだった。
「まったく、君は……本当に困らせてくれるな」
苦笑のような声が、風に紛れて聞こえた。
そのあと、ふとした静寂が落ちる。
アディルが控えている距離が遠く、周囲の村人たちも2人に気を使って近づいてこない。
その沈黙のなか、カイルの低い声が唐突に落ちてきた。
「……なあ、ヨルミリア」
「はい」
名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。
カイルは珍しく迷うような顔をしていた。
「君は、俺が婚約解消のために動くことを望んでいるか?」
「……え?」
思わず顔を上げる。視線がぶつかる。
彼の瞳の奥にあったのは、冗談でも皮肉でもない――ただ真摯な問いかけだった。
何も答えないヨルミリアを、責めることはしなかった。
カイルはヨルミリアの言葉を聞くよりも早く、歩き出す。カイルを追いかけることもできず、ヨルミリアは口をつぐむだけだった。
その後すべての後処理を終えるために働きづめだったカイルとは、ゆっくり会話をする余裕もなかった。




