11:視察
訓練場に足を運んだ翌日、ヨルミリアは王宮の前庭で小柄な青年と対面していた。
今日は予定されていた地方視察の日。けれど、どこにもカイルの姿がない。
青年は銀の鎧に身を包み、緊張した面持ちで背筋を正していた。
ゼノのような鋭さこそないが、武人らしい静かな真面目さが滲み出ている。
「アディルと申します。本日は聖女殿下の護衛を拝命いたしました。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……あの、ゼノさんは?」
不安を隠しきれずつい問い返すと、その青年のすぐ背後から聞き慣れた声が響く。
「私が直接お供できればよかったのですが、本日は殿下の公務が立て込んでおりまして。代わりに信頼できる者を選びました」
アディルのすぐ後ろから現れたのは、見慣れた冷静な顔――ゼノだった。
冷静な瞳が、いつもと変わらぬ落ち着きを湛えている。
「何かあれば、彼が必ず対処いたします。どうかご安心を」
「……わかりました」
納得したような、どこか残念なような表情を浮かべるヨルミリアに、ゼノは淡く微笑む。
「殿下も、この件には随分と気を配っておられました。くれぐれもお気をつけて。あまり、無理はなさいませんよう」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
言葉の端ににじむ、カイルからの気遣い。それをゼノがこうして届けてくれたことが嬉しかった。
ヨルミリアは静かに頷き、馬車へと乗り込んだ。
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―――
―
視察先の村は都から半日ほどの距離にある。
春の田園を抜け、木々の間を走るうち、空気が次第に冷えていくような気がした。
聖女の加護を求める声に応え、現地の神官たちとの交流を兼ねた訪問。
それが名目だったが、到着してすぐヨルミリアは違和感を覚えた。
「……どうして、こんなにも不穏なんでしょう」
着いた村は、どこか重苦しい雰囲気に包まれていた。
笑顔はあるが、よそよそしい。視線も、敬意というより警戒の色が濃い。
村長との会話の中でも、何度か不自然な間が生まれた。
この村にはヨルミリアと、アディルと、それから数人の護衛で向かっていた。
だから何かあれば、アディルたちが守ってくれる。
だけど村との交流においては、ヨルミリアがなんとかするしかないのだ。
これは……何か、あるの?
ヨルミリアが言葉の裏にある空気を読み取ろうとしていた、その時だった。
村の路地裏で、急に声が上がった。
「おい! そこの馬車隊は何者だァ!?」
数人の男たちが、酒瓶を片手に怒鳴りながら現れる。
片手に酒瓶をぶら下げ、服はほつれ、目つきはすでに正気を失っていた。
村人の1人がそっとヨルミリアに囁く。
「あいつら、最近になってこの辺りに居座るようになった連中でして……村も困ってるんです」
「そうなのですね……」
ヨルミリアは立ち止まった。
聖女として、村人を守りたい。けれど、戦闘ができるわけでもないヨルミリアにできることは限られている。
こういう時、どう動くのが“正解”なのだろう。
思案顔になったヨルミリアを他所に、アディルが素早く前に出る。
鞘に手を添え、構えは取らずとも威圧感を放つ。
「ここは聖女殿下のご一行だ。無用な接触は慎んでもらおう」
「聖女だぁ? ああん? 見てえな、どんなツラしてるか……!」
酔った男がふらふらと近づき、アディルの静止を無理矢理に振り払う。
鈍い音を立てて、アディルの肩が押し戻された。
その瞬間ヨルミリアの護衛達と、群れていた男たちも一斉に動く。
「へっ、なんだよ大したことねぇな。おい、金目のもんでも持ってんじゃねえのか?」
「この馬車、なかなかいい作りじゃねぇか。売ればしこたま飲めるぞ!」
怒号と下卑た笑い声が入り交じる中、アディルはすかさず身を起こし剣を抜いた。
銀色の刃が、くすんだ陽光を跳ね返してきらめく。
「これ以上、近づくな!」
アディルたちは強かったが、相手は明らかに数で勝っていた。
武器こそ粗雑なナイフや棍棒だが、動きに迷いがない。酔っていても、場数を踏んだ連中らしい。
アディルは懸命に前に出て、ヨルミリアとの距離を取らせないよう立ち回った。
だが、2人を囲むように男たちがにじり寄る。
他の兵士たちも、数に押されてこちらに助けに入るのに時間がかかっているようだった。
「くっ……」
アディルの剣術はさすがのものだった。
だが如何せん、数が多すぎた。
ひとり、またひとりと打ち倒すものの――。
肩にナイフがかすった時、アディルの動きが鈍った。
その隙を突くように、1人の男がヨルミリアへと駆け出す。
「へへ……そっちが聖女様かい?」
「いやっ……!」
逃げる間もなかった。
ヨルミリアは咄嗟に後ずさる。その目に、迫る汚れた刃が映る。
――届く、と思った。
恐怖で体が凍りついたその時だった。
「そこから動くな」
雷鳴のような、鋭く低い声が響いた。




