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8:贈り物

 一瞬、意味が理解できなかった。

 けれどカイルの切実で真剣な視線が、本気で言っているということを痛いくらいに伝えてくる。


「え、えっ……? 私たちは、婚約解消のために協力し合う関係でしたよね?」


 混乱と動揺が入り混じった声。自分の声がどこか浮いて聞こえる。

 胸の奥で、何かが軋むように揺れていた。


 ヨルミリアの言葉にカイルは頷いたが、その表情にはどこか迷いの影が差していた。

 まるで、自分の中の何かが変わったことを認めるような声音だった。


「……でも今は、婚約解消する気はないってことですか?」

「そうだ」

「どっ、どうしてですか?」


 問いかけた声は、自分でも驚くほど震えていた。

 戸惑いと期待と恐れが、ぐちゃぐちゃに混ざり合っている。


「君といる時間が、思ったよりも……心地良かったんだ」


 その言葉は飾り気がなく、しかし真っ直ぐに胸に突き刺さった。


 思いがけず、呼吸が浅くなる。

 ほんの一言が、こんなにも重たく、嬉しいなんて。


 温室に差し込む光が、カイルの横顔を柔らかく照らしている。

 それがあまりにも綺麗で、ヨルミリアの心はぐらぐらと揺れてしまう。


「居心地、ですか……?」


 繰り返すように呟いたその言葉は、どこか頼りなかった。


「あぁ。君の前では、なぜだか肩の力を抜いていられるんだ」


 その声には、微笑の気配があった。

 けれどどこか遠くを見るようでもあり、ヨルミリアには彼が心のどこかをそっと預けてくれているのがわかった。


「ヨルミリア……少し、目を瞑ってくれないか?」

「え? はい……」


 不意の言葉に、ヨルミリアは瞬きをした。

 ぎこちなくも従い、ゆっくりとまぶたを閉じる。


 何も見えない世界で、自分の鼓動だけが耳の奥で響いた。


「殿下、あの」

「もう少し待ってくれ」

「あ、はい……」


 首筋に、そっと触れる指先。ひやりとした金属の感触が肌をなぞる。

 何かが掛けられる感覚に、思わず息を呑んだ。


「もういいぞ」


 おずおずと目を開けたヨルミリアの視界に映ったのは――銀の細工が美しい、繊細なネックレス。

 小さな花のモチーフの中心に、薄い青色の宝石が柔らかく揺れていた。


「あの殿下、これって……?」

「前に言っただろう? 近いうちに贈りたいものがあると」


 囁くように言ったその声は低く、耳に落ちた瞬間くすぐったいような熱を残した。


「で、でも……こんな高価なもの……!」

「婚約者にプレゼントのひとつもしない奴だと周りに思われても、困るからな」


 苦笑まじりに言うカイルの声は、軽いものだった。

 面倒ごとを避けたい。あくまで婚約者としてのポーズを取りたい。

 そう言わんばかりのものだった。


 だが渡された品は“面倒を避ける”どころか、あまりにも高価で洗練されている。

 そのことがヨルミリアの心をかき乱し、混乱させた。


 指先でそっとネックレスに触れる。

 わずかに震えたその手に、思いの重さが伝わってくるような気がした。


「君が俺と過ごす日々に、ほんの少しでも心を寄せてくれるなら――それでいい。今はそれだけで、十分だ」

「……はい」

「それに、ヨルミリアが嫉妬する必要なんかどこにもない。俺は君以外の令嬢にうつつを抜かしたりなんかしないからな」


 静かで、確かな言葉だった。

 それは“王太子”ではなく、“一人の男”としてのカイルの本音だった。


 自然な流れで、カイルはヨルミリアの頭に手を置いた。


 思わず身を固くしたヨルミリアだったが、すぐにその温もりに身を委ねる。

 否応なく心がほどけていくようで、涙がにじみそうになるのを、懸命に堪えた。


 泣いてしまえば、この気持ちが溢れて止まらなくなる気がしたから。

 だからヨルミリアは、そっと目を伏せたまま、小さく唇を結んだ。



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