7:気づいてしまった想い
午後の柔らかな陽光が、神殿の回廊を金色に染めている。
ヨルミリアは1人、人気のない廊下を歩いていた。
手には新しい祈祷の文言が書かれた紙束。けれど、その目は文字を追ってはいても、心はそこになかった。
最近、なんだか……変だ。
自身の変化を自覚していたヨルミリアは、セレナのことを思い出す。
可憐で、聡明そうな彼女。
けれどカイルの前では、どこか少しだけ距離が違っていたような気がする。
ほんのわずかな手の触れ合い、意味深に見上げるまなざし。
気のせいだと言い聞かせていたが、『カイルもまんざらでもなさそうだったら……?』とどうしても考えてしまう。
モヤモヤした気持ちは数日経ってもおさまらず、ヨルミリアは僅かに表情を歪める。
「なんで、こんなこと考えてるんだろう……」
ぽつりと漏れた独り言。
誰もいないのをいいことに、壁に寄りかかって深く息を吐いた。
だって――――別に、関係ない。
カイルは王太子であり、ヨルミリアは形式上の婚約者だ。
いずれ解消される運命なら、誰を好きになっても誰と結ばれても、彼の自由なはずなのに。
疲れていることに誰よりも早く気づいてくれた声や、 そっと差し出されたカイルの手を思い出す。
胸の奥が、きゅうっと痛む。知らない感情が、こわばったように脈打つ。
自分以外の誰かにカイルが笑いかけているのを想像すると、どうしようもなく胸がざわつく。
誰かに優しくしている姿を見たくない。
「――――あ」
静寂の中に、ヨルミリアの声が落ちる。
「……嫉妬、してたんだ」
気づいてしまった。
これは、嫉妬だ。
そして、それが芽生えるのは――もう、自分の気持ちが、彼に傾いてしまっている証拠だ。
「どうしよう、私……」
紙束を胸に抱きしめたまま、ヨルミリアはそっと俯いた。
神の祝福を授かる身として、冷静であらねばならないのに。
この感情は、きっと、祈りでは消せない。
―――――
―――
―
風が和らいだ夕刻。
温室の前庭に足を踏み入れると、カイルと鉢合わせた。
自分の嫉妬心を先程自覚したばかりのヨルミリアは、若干の気まずさを覚える。
気づかれる前に去ってしまおうか。
そんな考えが頭を掠めたが、ヨルミリアが去るよりも早く、視線を上げたカイルと目が合った。
「あ……」
ヨルミリアに気づいたカイルは、こちらに歩みを進める。
思わず後退りしてしまったせいで、じゃり、と小さく足元から音がした。
「カイル殿下……」
「来てくれたのか?」
「あ、え、えっと……無意識だったというか……」
視線が定まらないまま、ぎこちなく返事をする。
そうだ。最近は温室で会うことが多かったのだから。
ここに来るのを避けるべきだったのに。
ヨルミリアは特に何も考えずに足を運んでいた。
まるで、そうするのが当たり前になってしまったかのようだった。
「そうか。でも、顔が見られてよかった」
「え……?」
「最近2人で会う時間が、あまりとれていなかっただろう?」
カイルの問いに、ヨルミリアは曖昧に頷いた。
それはヨルミリアがカイルを避けているからだ、とは言えなかった。
「忙しいのか? 必要以上に仕事が詰まっているなら、調整してもらうが」
「えー……あ、いや、そこまででも……」
ヨルミリアは視線を彷徨わせながら、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
少しずつ逃げ道が奪われているような、息苦しいような気持ちになる。
カイルはただ、こちらを案じてくれているだけだ。
後ろ暗い気持ちを抱えているのは自分だけで、カイルは何も悪くない。
「……体調でも悪いのか?」
「っ、いえ! そんなことありません!」
心配されているのが、嬉しい。
けれどその嬉しさが、ますます自分の嫉妬心を際立たせるようで苦しかった。
ヨルミリアは言葉を探して、俯いた。
カイルはヨルミリアが話し始めるまで、黙って待っていてくれた。
「違うんです……自分が、情けなくて……」
「……どういう意味だ?」
「私、嫉妬してしまったんです」
言葉にした瞬間、喉がきゅっと締まるようだった。
口にするにはあまりにも恥ずかしくて、情けない感情だった。
「殿下が誰に好意を向けようと、私には関係ないのに。全ては殿下のお考え次第で、私はただの聖女なのに……」
声が震えた。だけど止められなかった。
ヨルミリアの言葉に、カイルは僅かに眉を寄せる。
「確かに、俺たちは円満な婚約解消を目指す関係だ」
「……はい」
「だが、今の俺の考えは違う」
想定外の言葉に、ヨルミリアは顔を上げた。
カイルは真っ直ぐに、こちらを見つめていた。
「俺は、“婚約解消”をするつもりはない。今はな」
「……はい?」




