表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/77

3:控えの間

 2人きりになれる控えの間は、重厚な扉で外界と隔てられていた。

 陽の差す窓辺に並んで腰かけると、宮廷の喧騒が嘘のように静まる。


「この部屋、覚えてるか?」

「……え?」


 突然の問いかけに、ヨルミリアは目を瞬かせる。

 カイルは窓の向こうに視線を向けたまま、低く穏やかな声で続けた。


「顔合わせの日、君と言葉を交わした場所だ」

「あぁ……」


 ヨルミリアは、あの時の光景をぼんやりと思い出す。

 重たい空気、交わらぬ視線、そして──深いため息。


「俺は王太子として、君に“結婚を望む顔”をして見せるべきだったのに。あんな態度を取ってしまって、後悔している」


 少し気まずそうに言うカイルの横顔に、ヨルミリアは目を細める。


 そもそもヨルミリアも、乗り気じゃないまま顔合わせに臨んだのだ。

 カイルを責める権利などない。


「全然気にしていませんよ。私だって、どう振る舞えばいいか分からなかったんですから」


 ぽつりとこぼれる本音に、カイルは目を伏せて微かに笑った。


「それに殿下は、最初から結構優しかったですよ」

「……君は、“優しい”のハードルが少し低いんじゃないか?」


 皮肉めいた返しだったが、声に棘はなかった。

 むしろ照れ隠しのような響きがあって、ヨルミリアはくすりと笑う。


「そんなことありませんよ。だって殿下は、私のことを思って『円満な婚約解消を目指そう』と申し出てくれたんでしょう?」


 カイルの眉がわずかに動く。意外だった、というように。


「神託に従い、形式だけの結婚をして、私を放っておくことだってできたのに。そうしなかったのは、殿下の優しさに他ならないです」

「……そんな風に言われるとは、思わなかった」

「そうですか?」

「君は、物事をプラスに見るのが上手いんだな」


 カイルが呟くと、部屋にまた静寂が戻る。


 ヨルミリアは、ふとカイルの横顔を見つめる。

 誰よりも強いその人が、自分にだけはこうして穏やかな顔を向けてくれる。


 その事実が、胸の奥を温かく満たしていく。


「最近周囲が騒がしい。君が“俺の隣にふさわしいか”を測るような目で見られているのも分かってる。だが、気にしなくていい」

「気にしていないわけではありません。でも、それより……」


 少し言い淀んだヨルミリアに、カイルが視線を向ける。


「それより?」

「……殿下は、どうしてそんなに私を大事にしてくださるのですか?」


 ずっと胸の奥にくすぶっていた疑問だった。

 優しさだけでは説明がつかないそれに、ヨルミリアは答えが欲しかった。


 カイルの瞳に、一瞬だけ迷いのようなものが浮かんで──そして、すぐに消える。


「そうしたいからだ……君のことが、放っておけない」


 それは揺るぎない声だった。

 ヨルミリアは目を見開き、そして戸惑いの中で答えを探すように口を開いた。


「俺が君に甘いのは自覚してる。甘くしたいと思ってるし、そうしてる」

「でも、それではまるで……」

「まるで、何だ?」


 返ってきた問いに、ヨルミリアは口をつぐんだ。


 “まるで、恋人みたい”

 そんな言葉を飲み込み、代わりに立ち上がる。


「そろそろ、戻らないと」

「……そうだな」


 短い返事が返ってくる。

 それに頷いたヨルミリアが、扉に手をかけたその時──。


「ヨルミリア」


 名前を呼ばれ振り返ると、カイルは椅子に座ったまままっすぐにヨルミリアを見ていた。


「そうだ。近いうちに、渡したいものがあるんだ」

「え?」

「届いたらすぐに渡しに行くから、受け取ってほしい」


 その一言はまるで祈りのように静かで、深かった。


 思わず心臓が跳ねる。

 手のひらが、じんわりと熱を帯びる。


「……わ、わかりました」


 それだけを残して、ヨルミリアは扉を開いた。

 どこか名残惜しさにも似た感情を胸にしまいながら。


 ──その背後。

 控えの間から少し離れた廊下の陰に、1人の令嬢が立っていたことには、誰も気づいていない。


 セレナ・アルセリア。

 濃紫のドレスに身を包んだ彼女は、ふっと微笑んだ。


「ふうん……やっぱり、そういう関係なのね」


 優雅に扇を閉じる仕草に、計算された女の勘が滲んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ