2:揺れる立場と、彼の隣
宮廷内での行事のたびに、ヨルミリアの居場所はじわじわと変わりつつあった。
聖女として参列していたはずの会議席には、いつの間にか「王太子妃候補」としての意味が滲むようになっていた。
誰かが明言したわけではない。
ただ、少しずつ──ほんの少しずつ、視線の重さが変わってきたのだ。
王城主催のガーデンパーティーで、それは確信に変わった。
薄いピンクのドレスに身を包んだヨルミリアは、所在なさげにうろついていた。
「今日の装いも、お似合いですね。お隣は……ああ、やはり殿下が」
ヨルミリアに話しかけてきた貴族の令嬢が、笑みを浮かべて囁く。
悪意ではない。けれどその言葉の裏には、計りかねる探りと好奇の針が含まれているように思えた。
「聖女として、ご指示に従っているだけです」
「それでもお2人は、婚約者ですものね。仲がよろしいようで何よりですわ」
「……ありがとう、ございます」
ヨルミリアは静かに微笑み、形式ばった答えを返す。
知らず知らずのうちに、自分が“誰の隣に立っているのか”が強調される場面が増えた。
それだけなのに、なんだか息苦しいような気がしてしまうのは何故だろう。
「ヨルミリア」
「……殿下」
ふと呼びかけられて振り向くと、そこにはカイルの姿があった。
彼は今日も相変わらず堂々とした佇まいで、どこか他人を寄せ付けない気配を纏っていた。
しかし、ヨルミリアに向ける視線だけは、穏やかで優しい。
「楽しんでいるか?」
「……えぇ、よくしていただいております」
「ならよかった」
柔らかな表情を向けられて、ヨルミリアの胸がきゅうっと鳴る。
カイルは笑みを浮かべたまま、先程までヨルミリアと会話していたご令嬢へと視線を向けた。
「ヨルミリアのお相手をしてくださり、ありがとうございます」
「まぁ殿下、頭を上げてください……!」
「今後とも、よろしくお願いいたしますね」
カイルの微笑みを前に、ご令嬢はコクコク頷くことしかできない。
その様子を眺めながら、ヨルミリアは『また助けられてしまった』と思った。
貴族のルールに慣れていないヨルミリアのために、カイルは間に入ってくれたのだろう。
何も言わないヨルミリアを不思議に思ったのか、アイスブルーの瞳がこちらを向く。
そしてヨルミリアの様子を窺うようにして、カイルは声をかけてきた。
「立ち話は疲れるだろう。こっちに来い。少し休める場所を用意してある」
「ありがとうございます。ですが、そこまでお気遣いいただかなくとも……」
「君の体調は、俺が誰より理解しているつもりだ」
小さな声で囁かれたその言葉に、ヨルミリアはふいに息をのんだ。
顔は動かさず、視線だけを周りに向ける。
『なぜそんなに優しいのかしら?』
『まだ王太子妃になると決まったわけではないのに、律儀ですわね』
『やはり、特別な関係なのかしら……?』
『ええ、まだ正式な立場でもないのに?』
そんな声が、まるで香の煙のように漂ってくる。
カイルが気にかけてくれるたび、何度も自問してしまう。
優しくされるたびに、踏み込んではいけない境界線が滲んでいくようだった。
そんなヨルミリアの胸中を知らないカイルは、軽く手を差し出した。
「一時でも構わない。付き合ってくれ」
その仕草に、周囲の視線が再び集まるのを感じる。
けれど彼は気にした様子もなく、堂々とヨルミリアを誘った。
──まるで、それが当然であるかのように。
「……では、少しだけ」
小さな声で応え、ヨルミリアはそっとその手を取った。
カイルの手は大きくて、温かい。
初めて手を取った日のことを思い出して、ヨルミリアはなんだか泣きたいような気持ちになった。
「……どうかしたか?」
「いえ、何もありません。行きましょう?」
そう言って、ヨルミリアは微笑んだ。
ここに来てからそろそろ2ヶ月経つが、2ヶ月かけて随分変わってしまったように思う。
自分も、そしてカイルも。
もしかしたら、“義務感”や“優しさ”だけじゃ説明のつかないものが、カイルの中にはあるのかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥に、熱くなるような痛みが走った。
きっとこれは、そう望んでしまう自分への警鐘だ。




