16:約束
リーナと別れ1人になれる場所を求めて、ヨルミリアは馴染みの温室へと足を運んでいた。
いつものように扉を開けた先には、見慣れた姿が待っていた。
「……ようやく来たか」
カイルは白いシャツの袖をまくり上げ、棚の植物に水をやっていた。
その手元を止めると、振り返って微笑む。
「殿下、何故ここに……?」
「もしかしたら、君も来るんじゃないかと思ってな。仕事が早く終わったから、待っていたんだ」
「……そんなに私、わかりやすいですか?」
ちょっと不満そうにそう言えば、カイルはまた笑った。
その笑顔の柔らかさは、どこか心地よかった。
「1ヶ月以上見てるんだ、段々わかってくるさ」
「じゃあ私だって、カイル殿下のこと少しはわかるようになったってことですか?」
「俺はそう思っていたが、違うのか?」
「……そうかもしれませんね」
言われてヨルミリアはふっと笑みを返した。
そうだ。ここは、肩肘張らずに言葉を交わせる場所だった。
そう思うと、なんだか少し心が落ち着いてくる気がした。
「セレナ嬢に、会ったんだろう」
カイルの言葉に、ヨルミリアの表情がかすかに強張った。
ヨルミリアは少し戸惑ったような顔をして、何かを考えるように視線を下ろす。
「……どうしてわかったんですか?」
「さっき、彼女とすれ違った。なにか言いたげな顔でこっちを見ていたからな。嫌なことでも言われたか?」
「いいえ。そういうわけでは。でも少しだけ、戸惑いました」
「……」
カイルは言葉を待つように視線を向ける。
ヨルミリアは鉢植えの花に目を落としながら、ぽつりと口を開いた。
「彼女、殿下のことを……昔から知っていらっしゃるんですね」
「ああ。幼い頃から何度も顔を合わせていた。家同士の関係も深い」
「そうですか……」
思ったより、胸の奥がざわつく。
平然を装おうとしても、指先に少しだけ力が入ってしまう。
心の中で、何かがふっと引っかかる感覚があった。
セレナがどんな人物で、どんな思いを持っているのか。もう少し知りたいと思いながらも、どこかでその深層に触れることを恐れている自分がいた。
「―――いいなぁ」
ぽつりと、その思いが漏れ出した言葉となったことに、ヨルミリア自身が驚いた。
自分でも予想していなかった言葉が口から出てしまった瞬間、すぐに隣のカイルを見る。
彼の目にも、驚きの色が浮かんでいた。
「あ、いや、えっと、違くて……」
「そんな風に思われていたのは、少し意外だったな」
「ち、違うんです……!」
慌てて言い訳をしようとするが、言葉はすぐにはうまく出てこない。
少し動揺した自分が、どうにか言葉を追いかけようとしているのを感じる。
確かに思った。羨ましいと。
だってセレナはきっと、ヨルミリアが知らないカイルのことをたくさん知っているから。
だけどそれを、口に出すつもりはなかったのだ。
だがヨルミリアの胸中を知ってか知らずか、カイルはずい、と距離を縮めてこちらの顔を覗き込んだ。
「何が知りたいんだ?」
「えっ?」
「知りたいことがあるんじゃないのか?」
突然の問いかけに、ヨルミリアは少し驚いた様子でカイルを見つめる。
アイスブルーの瞳に少し温かみがあるような気がして、心臓がドキドキと跳ねた。
「そう言われても、すぐには思いつかないです」
「じゃあ考えておいてくれ。君に聞かれたら、なんだって答えるよ」
カイルの声色は、穏やかでどこか甘さがあった。
「……ありがとうございます。じゃあとりあえず、1個だけ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「彼女が言っていたんです。“殿下は、誰にでも心を向けるような方じゃない”と……」
「……」
「それを聞いて、少し怖くなったんです。私は神託で“聖女”に選ばれたから、こうして隣にいるけれど。それが終われば、いずれ婚約も解消されるはずなのに……優しくされるたびに、段々境目が分からなくなります」
ヨルミリアの言葉には、どこか切なさと迷いがこもっていた。
それでも、まっすぐにカイルの目を見ていた。
自分がどこまでこの関係に関わっていいのか、どこを引き際とするべきなのか。
色々な感情がごちゃ混ぜになって、ヨルミリアの心を乱しているようだった。
温室の中に、一瞬だけ張り詰めた空気が流れる。
「ヨルミリア」
だけどその名を呼ぶ声音は、思いのほか柔らかくて。
ヨルミリアの胸はきゅっと甘く締め付けられるようだった。
カイルの気持ちがまっすぐに自分に向けられていることを感じ取ると、どこか胸の奥が温かくなる。
だけどその温かさに少し戸惑ってしまう自分がいるのも事実だった。
「君がどう思おうと、俺は……君に優しくしたい。神託だの立場だの、そんなものは関係ない」
「……どうして、そこまで」
「それは―――」




