14:特別
「本当に、今日も来てくださるとは思いませんでした」
温室の片隅。
昼下がりの陽光が静かに差し込む中、ヨルミリアは柔らかく微笑んだ。
カイルは日課の視察を終えてから、またもヨルミリアの元へ足を運んでくれていたのだ。
温室でカイルと話した日から、ヨルミリアも温室へと足を運ぶ回数が増えていた。
それに気づいたらしいカイルは、時間を作っては足を運び、そして次の約束をしていくのだ。
「気まぐれじゃない。君の顔を見たくなっただけだ」
「……もう、そういうのは冗談でもやめてください」
「冗談ではないんだが」
カイルの言葉に胸の奥がきゅう、と痛む。
いずれ婚約は解消される。それが決まっている未来なのに。
それなのにどうしてこんなにも、彼の言葉ひとつで心が揺れてしまうのだろう。
「ラフィールとは話せたのか?」
「はい。礼拝にも変わらず参加できているので、徐々に認めてくださっているように思います」
「……ならいい」
短く返されたその言葉には、ほのかに安堵の色があった。
それがなんだか嬉しくて、ヨルミリアはまた笑みをこぼしてしまう。
「まだここに来て1ヶ月と僅かですが……殿下は、少し変わられましたね」
「変わった……?」
カイルは首をかしげた。
まるで自分では気づいていないというような、そんな顔をしていた。
その表情に、ヨルミリアは思わず小さく笑みをこぼす。
「最初にお会いした時は、殿下がこんなふうにしてくださるなんて思っていませんでした。だから……こうして会いに来てくださるたび、まだ少し、混乱してしまうんです」
言葉の余韻が、温室の空気に溶けていく。
カイルは視線を落とし、それからヨルミリアを見た。
何かを探るように、けれど責めるでもなく、ただ静かに。
「変わったというなら、ヨルミリアだって変わったじゃないか」
「そうですか?」
「あぁ、笑う回数が増えた気がする」
「えっ……」
自覚がなかったヨルミリアは、思わず両手で頬を押さえる。
その様子を見て、カイルは笑った。
「俺も変わった自覚はあまりない。だけど、俺は君のことを気にしている。それだけだよ」
「でも、それって……」
恋でも愛でもなく、ただの責任感だったら。
王太子として、仮初めの婚約者である自分に気を配っているだけだったら。
それをこんなふうに心を揺らして受け取っている自分が、滑稽で仕方ない。
「―――じゃあ、逆に聞こうか」
「え?」
カイルの声が静かに落ちる。
ヨルミリアが驚いて顔を上げると、彼は真っ直ぐに見つめ返していた。
返す言葉に迷い視線を揺らすヨルミリアに、さらに畳み掛けるように言葉が続く。
「君は俺が、誰にでもこんなふうに優しくしてると思ってるのか?」
「え、っと……」
「俺が理由もなく温室に足を運んで、誰にでも声をかけて、誰にでもそんな顔をすると?」
不意を突かれたように、ヨルミリアは言葉を失う。
違う。わかっている。自分を「特別」だなんて思ってはいけない。
あくまで神託をきっかけに出会っただけの関係だ。
そう思おうとするのに、心は勝手に熱を帯びていく。
その隙をついて、カイルはふっと目を細めた。
「君は、俺の特別だよ。少なくとも俺はそう思ってる」
「特別、ですか? どうして……」
驚きのあまり、思わず問い返してしまう。
カイルはゆっくりと口を開いた。
「きっかけは――――あの晩餐会だった」
あの夜の記憶が、ふと蘇る。
人々の笑い声と煌びやかな照明に包まれたあの夜。
カイルは一見平然としていたけれど、どこか不自然な様子にヨルミリアは気づいていた。
「誰も気づかなかった俺の不調に気づいて、誰よりも先に気遣ってくれた」
「ですから、あれはたまたま……」
「それでも、嬉しかったんだ。誰も気づかないような、気づいても何も言わないようなものに、君は目を向け気遣ってくれる」
いつもよりも語尾が甘く柔らかいような気がして、ヨルミリアの心臓が跳ねる。
「……殿下は私を、買いかぶりすぎです」
「俺は、そうは思わないがな」
「……」
カイルの真っ直ぐな言葉に何も返せないまま、ヨルミリアはそっと目を伏せた。
2人の間に沈黙が落ちる。
だが、その静けさは不思議と居心地が悪くなかった。
カイルの優しさが、嬉しくて、こわくて、切ない。
そんな感情が、胸の奥でじっと息を潜めていた。




