表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/77

14:特別

「本当に、今日も来てくださるとは思いませんでした」


 温室の片隅。

 昼下がりの陽光が静かに差し込む中、ヨルミリアは柔らかく微笑んだ。


 カイルは日課の視察を終えてから、またもヨルミリアの元へ足を運んでくれていたのだ。


 温室でカイルと話した日から、ヨルミリアも温室へと足を運ぶ回数が増えていた。

 それに気づいたらしいカイルは、時間を作っては足を運び、そして次の約束をしていくのだ。


「気まぐれじゃない。君の顔を見たくなっただけだ」

「……もう、そういうのは冗談でもやめてください」

「冗談ではないんだが」


 カイルの言葉に胸の奥がきゅう、と痛む。


 いずれ婚約は解消される。それが決まっている未来なのに。

 それなのにどうしてこんなにも、彼の言葉ひとつで心が揺れてしまうのだろう。


「ラフィールとは話せたのか?」

「はい。礼拝にも変わらず参加できているので、徐々に認めてくださっているように思います」

「……ならいい」


 短く返されたその言葉には、ほのかに安堵の色があった。

 それがなんだか嬉しくて、ヨルミリアはまた笑みをこぼしてしまう。


「まだここに来て1ヶ月と僅かですが……殿下は、少し変わられましたね」

「変わった……?」


 カイルは首をかしげた。

 まるで自分では気づいていないというような、そんな顔をしていた。


 その表情に、ヨルミリアは思わず小さく笑みをこぼす。


「最初にお会いした時は、殿下がこんなふうにしてくださるなんて思っていませんでした。だから……こうして会いに来てくださるたび、まだ少し、混乱してしまうんです」


 言葉の余韻が、温室の空気に溶けていく。


 カイルは視線を落とし、それからヨルミリアを見た。

 何かを探るように、けれど責めるでもなく、ただ静かに。


「変わったというなら、ヨルミリアだって変わったじゃないか」

「そうですか?」

「あぁ、笑う回数が増えた気がする」

「えっ……」


 自覚がなかったヨルミリアは、思わず両手で頬を押さえる。

 その様子を見て、カイルは笑った。


「俺も変わった自覚はあまりない。だけど、俺は君のことを気にしている。それだけだよ」

「でも、それって……」


 恋でも愛でもなく、ただの責任感だったら。

 王太子として、仮初めの婚約者である自分に気を配っているだけだったら。


 それをこんなふうに心を揺らして受け取っている自分が、滑稽で仕方ない。


「―――じゃあ、逆に聞こうか」

「え?」


 カイルの声が静かに落ちる。

 ヨルミリアが驚いて顔を上げると、彼は真っ直ぐに見つめ返していた。


 返す言葉に迷い視線を揺らすヨルミリアに、さらに畳み掛けるように言葉が続く。


「君は俺が、誰にでもこんなふうに優しくしてると思ってるのか?」

「え、っと……」

「俺が理由もなく温室に足を運んで、誰にでも声をかけて、誰にでもそんな顔をすると?」


 不意を突かれたように、ヨルミリアは言葉を失う。


 違う。わかっている。自分を「特別」だなんて思ってはいけない。

 あくまで神託をきっかけに出会っただけの関係だ。


 そう思おうとするのに、心は勝手に熱を帯びていく。

 その隙をついて、カイルはふっと目を細めた。


「君は、俺の特別だよ。少なくとも俺はそう思ってる」

「特別、ですか? どうして……」


 驚きのあまり、思わず問い返してしまう。

 カイルはゆっくりと口を開いた。


「きっかけは――――あの晩餐会だった」


 あの夜の記憶が、ふと蘇る。

 人々の笑い声と煌びやかな照明に包まれたあの夜。


 カイルは一見平然としていたけれど、どこか不自然な様子にヨルミリアは気づいていた。


「誰も気づかなかった俺の不調に気づいて、誰よりも先に気遣ってくれた」

「ですから、あれはたまたま……」

「それでも、嬉しかったんだ。誰も気づかないような、気づいても何も言わないようなものに、君は目を向け気遣ってくれる」


 いつもよりも語尾が甘く柔らかいような気がして、ヨルミリアの心臓が跳ねる。


「……殿下は私を、買いかぶりすぎです」

「俺は、そうは思わないがな」

「……」


 カイルの真っ直ぐな言葉に何も返せないまま、ヨルミリアはそっと目を伏せた。


 2人の間に沈黙が落ちる。

 だが、その静けさは不思議と居心地が悪くなかった。


 カイルの優しさが、嬉しくて、こわくて、切ない。

 そんな感情が、胸の奥でじっと息を潜めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ