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12:義務と好意

 執務を終えた後の夜。

 第一王子専用の私室には、明かりを抑えたランプの光がぽつりと灯っていた。

 机の上には書類が数枚。だが、それらに向き合うカイルの視線は、空白の一点に落ちたまま動かない。


「……随分と静かですね。考え事でも?」


 部屋の扉がノックもなく開き、黒衣の青年―――ゼノが姿を現した。

 カイルの腹心であり、王宮で彼の唯一といっていい友人でもある。


「勝手に入るな、ゼノ」

「殿下が“入るな”と言ったことがありましたか?」

「……言ったことはないが、言えばいいのか?」

「それはそれで寂しいので、今後も勝手に入ります」


 あっさりと言ってのけるゼノに、カイルは呆れたように小さく息を吐く。


「で、なんの用だ」

「いえ、そろそろ“気持ちの整理がついた頃”かと思いまして」

「……なんの話だ」

「とぼけますね、殿下。聖女殿下への話です。気づいておりますよ、最近妙に距離を詰めようとしているのを」


 ゼノの言葉に、カイルは肩をわずかに震わせた。

 ほんのわずかな動揺。それでも、ゼノにはすべてお見通しだった。


「……詰めてなどいない」

「おや、以前差し入れをしたのは、誰でしたか?」

「だからそれは、喉が枯れていたから実務に支障が出ると思って―――」

「思って“心配”したんですよね?」


 鋭く言葉を重ねてくるゼノに、カイルは返答を飲み込んだ。

 否定する言葉が喉まで上がったが、嘘をつくのも面倒だった。


「……あれは、ただの義務だ」

「義務ならわざわざご自分で届けなくても、侍女経由で届ければ済みましたよ」

「……」


 ゼノの言葉は常に的確で、厄介だ。

 だからこそカイルは彼を側に置いているのだが、こういう時は少々、疎ましくなる。

 だがそうした態度の裏には深い信頼と、共に過ごしてきた年月が凝縮されていることを、カイルは無意識に理解していた。


「……お前には、関係のない話だ」

「本日にいたっては聖女殿下が温室に訪れていると聞き、わざわざ時間を作って足を運んだのに……今さら何を仰るのやら」

「なっ……」

「それとも、抱きしめようとしてできなかったヘタレな殿下の話でもいたしましょうか?」

「それは掘り返すな!」


 カイルの慌てた声に、ゼノはため息をつく。

 そしてやれやれと言わんばかりの様子で、言葉を続けた。


「関係ないと思うなら、それでも構いませんが。ただ―――」


 そこで一度、ゼノは言葉を切った。

 そしてカイルの表情を観察してから、再度口を開く。


「聖女殿下は“無理をしている”のではなく、“無理をしなければいけないと信じている”方なように見えます。誰かが“その必要はない”と伝えなければ、彼女はずっと自分を律し続けるでしょう。殿下の前でも、例外ではありません」

「……」


 その言葉は、カイルの心に残った。


 “聖女”として、王国の象徴として、常に“正しく”あろうとするヨルミリア。

 だが、ほんのわずかに表情が緩む時―――笑みの奥にある疲れや迷いが、どうにも気になってしまう。


 見なければ、気づかなければよかった。

 けれど、もうそれは遅い。


「……俺は、“間違っていない”と思っていた」


 ぽつりと零した言葉に、ゼノは表情を変えずに答える。


「間違っていなければそれで良い、というものでもないですよ」

「……そうだな」

「感情って、結構難しいんです」

「なんだ、まるで人を感情がないみたいに言って」

「以前は常時冷たい顔をしていたので、そんな風に見えてましたけどね」

「な……」


 カイルは言い返そうとして、結局何も言わなかった。

 あの日―――最初にヨルミリアと出会った日の、透明な瞳を思い出す。


 一度閉じた唇を開き、カイルはゼノに問いかけた。


「……俺に彼女を笑わせることは、できると思うか?」

「努力次第では」

「……努力、か」


 苦笑とも嘆息ともつかない音を漏らして、カイルは椅子にもたれかかった。

 その視線は書類に戻ったが、まるで目の前に並べられた文字が、遠くにぼやけて見えるような気がした。


「だったら、もう少しだけ……“義務”を果たしてみるか」


 ゼノはそんなカイルの姿を見て、深く一礼する。


「ご武運を。殿下の不器用な“好意”が伝わる日を、影ながら応援しております」

「誰が“好意”などと言った。あくまで“義務”だ」

「あれ、そうでしたか?」


 涼しい顔でそう言いながら、ゼノは扉を閉めた。

 残されたカイルは再び書類に視線を戻すが、その手元に一枚の薬草の調合メモが無意識に置かれていることに気づく。


 ヨルミリアに差し入れをした時のことを思い出して、カイルは何かを考え込むように瞳を伏せた。


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