11:理想の王子、理想の聖女
それからしばらくは、揺れる花々を見て2人で歩いた。
ヨルミリアが『お仕事は大丈夫なんですか?』と聞いてもカイルは微笑むばかりなので、ヨルミリアは開き直って満喫することにしたのだ。
……本当にマズかったら、きっとゼノが迎えにくるだろう。
「ヨルミリア」
名前を呼ばれたヨルミリアは、カイルが導くままに道を進んでいた。
いつの間にやら自然な形で手を取られた指先が、なんだか熱いような気がする。
温室の奥、淡い緑のカーテンのように蔦が垂れるアーチの先―――そこは小さな中庭だった。
「……誰もいませんね」
「奥まっているし、知っている奴はほとんどいないだろうからな」
ヨルミリアの声が、静けさの中に落ちた。
周囲は静まり返っていて、かすかに風に揺れる葉の音と、遠くで水の滴る音だけが聞こえる。
「俺が温室によく足を運ぶことは周りにも知られているが、この場所は知らないはずだ」
「そんな場所に連れてきていただいて、よかったんですか?」
「別に構わない」
カイルは、近くのベンチに腰を下ろす。
その隣に座ったヨルミリアは、少しだけ間を置いて問うた。
「……それは私を信頼してくれた、という意味でしょうか?」
声に出してしまったあとで、少しだけ照れが走った。
けれどカイルは、肩をすくめて言う。
「君は警戒心が強いと思ってたが、時々、真っすぐすぎる質問をするな」
「不躾でしたか?」
「いいや。嫌いじゃないって言っただろう?」
「なら良かったです」
そう言って、カイルはふっと笑った。
その表情が穏やかだったからか、ヨルミリアもつい、口を緩めてしまった。
「こんなところにまでつれて来てくださるなんて……殿下って、本当に変わっていらっしゃいますね」
「そうか? ……俺は、君のほうが変わってると思うが」
「そうでしょうか?」
花の香りと土の匂いがまじる空気の中で、言葉の端々にふたりだけの距離が染みこんでいく。
「“聖女”って、もっと祈りがどうとか清らかに笑うとか、そういう型に収まってるイメージだった」
「それは、世間が求める理想の“聖女”です。私は、その型に嵌まるにはちょっと雑すぎますから。前に聖女らしくないって言ったのは、殿下のほうじゃないですか」
「それもそうだな。……なら、俺も“理想の王子”じゃないってことにしてくれ」
「え?」
ヨルミリアが少し驚いたように目を見開くと、カイルは首をすくめるように言った。
自嘲めいた言葉ではあったけれど、そこにこめられた本音に、確かに触れたような気がする。
何も言えないヨルミリアよりも先に、カイルは続きの言葉を口にした。
「そういうの、たまに疲れるんだ。言葉のひとつで人が離れて、所作のひとつで評価が決まる。“本物”なんて誰も見てないような気がしてしまう」
「……本物、ですか」
ヨルミリアはそっと視線を落とした。
手に持っている誓花を見つめながら、ヨルミリアは口を開いた。
「もしかしたら私も、似たようなものかもしれません。『聖女だから』って、何をしても“正しいこと”として処理される。どこまでが自分なのか、わからなくなる時があるんです」
「……やっぱり、似てるな。君と俺は」
「ふふ、そうですね」
晩餐会の時のやり取りを思い出して、ヨルミリアはふっと笑った。
風が揺れる。
蔦の隙間から光が漏れ、2人の間をやさしく照らした。
「君とこうして話してると……少しだけ、“王子じゃない自分”に戻れる気がする」
「……私もです。あなたといると、なんだか落ち着けます」
2人は黙ったまま、同じ風を受けた。
言葉がなくても通じるものが、確かにそこにあった。
「秘密の場所、教えてくださってありがとうございました」
「礼を言うな。……君だから教えた。それだけだ」
その言葉に、ヨルミリアは柔らかに笑った。
かすかに触れた指先の温もりが、まだそこに残っていた。