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10:温室

 カイルが差し入れをくれた日から、少し日が立っていた。

 ヨルミリアは手が空いた時に、何度か婚約解消についての文献を求めて図書室に足を運んでいたのだが、これまで特に収穫はなかった。


 よく考えたら、そういう重要そうな書物は誰でも見れるところには置いておらず、王族だけが入れる場所などがあるのかもしれない。


 対等に手を組んだと思ったがどうやら違ったらしいことに、ヨルミリアはようやく気がついた。

 婚約解消を実行に移すには、もしかしたらカイルにだいぶ頑張ってもらわないといけないのかもしれない。


「私って、無力ね……」


 今日も今日とて図書室で肩を落としていたヨルミリアだったが、気晴らしに温室でも見に行こうとリーナに誘われた。

 詳しい理由は知らないものの、ヨルミリアがしょぼんとしているのが気になったらしい。


 王宮の南にある温室は、陽をたっぷりと取り込みながらも、人の気配は少ない静かな空間だった。

 ヨルミリアはリーナに付き添われながら、温室に足を踏み入れる。

 周囲には香草や果樹、鮮やかな花々が咲き誇り、季節を少し先取りした空気が漂っていた。


「ここが、温室?」


 その瞳に映るのは、幼い頃から神殿に育ったヨルミリアにはあまりにも縁遠い、自由で穏やかな風景だった。


「静かでいいところですね、ヨルミリア様!」

「ええ。こんな場所があるなんて、知らなかったわ」

「天気も良いし、最高ですね~!」


 そう言いながら、リーナは嬉しそうに空を仰いだ。


 温室の天窓から差し込む陽光が、ガラス越しにやわらかく肌をなでていく。

 ヨルミリアの表情も自然とほぐれていた。


「あの、ヨルミリア様」

「なぁに?」


 ふいにリーナの声の調子が変わったことに気づき、ヨルミリアはぱちりと瞬きをする。


「殿下って……やっぱり、ヨルミリア様のことを好きなんじゃないですか?」

「と、突然どうしたの?」

「数日前、お疲れのヨルミリア様に差し入れを下さった件が気になって。それって、“大事にしてる”って意味じゃないですか?」


 リーナの言葉に、ヨルミリアは少しだけ視線を伏せた。

 まつ毛の影が頬に落ち、花の香りに混じってほんのりとした温もりが胸をくすぐる。


 いろんな感情が湧いたが、ヨルミリアは努めて平坦な声を出した。


「……優しさは、彼の義務感でしょう」

「でも……」

「私は“聖女”で、彼は“王子”。そして私たちは婚約している。必要なものを差し出しただけよ」

「……それでも、誰も気づかないような不調に気づいてくれるのは、愛情に他ならないと思いますよ」


 リーナの真っ直ぐな目に、思わずヨルミリアはどきりとする。

 彼女へ返す言葉を探して、視線を遠くに彷徨わせた。


 確かにあの時のカイルの言葉と差し入れは、単なる“務め”だけでは説明のつかない、優しさを帯びていたような気がする。

 だけどそれが何を意味するのかは、わからなかった。


 黙り込んだヨルミリアを見て、リーナはふっと微笑む。


「やっぱり第一印象なんて、あんまり当てになりませんね。もっと冷たいのかと思っていたのに、ヨルミリア様の前だと、なんか……柔らかい気がしますもん。だって、ほら」

「え?」


 リーナが控えめに笑いながら、ヨルミリアの背後に視線をやった。

 その先にあるものを確認するように、ヨルミリアもゆっくりと振り返る。


「来てたのか」


 聞き慣れた、低く落ち着いた声。心臓が一瞬跳ねる。


 ヨルミリアが反射的に振り返ると、そこに立っていたのはカイルだった。

 白い上着を軽く羽織った彼は、温室の奥で植物を見ていたらしい。


「……殿下?」

「ここ、好きなんだ。無駄に広くて、誰も来ない。いつか連れてこようと思っていたが、リーナに先を越されてしまったな」


 カイルの声に、とがったものはない。

 ただ少し、いつもよりも口調がくだけていたように聞こえた。


 突然名前を呼ばれたリーナは、慌てて声を上げる。


「え、あ、あ、も、申し訳ありませんっ……!」

「いや、気にしなくていい。代わりに、少しだけ2人にしてくれないか?」

「はい、もちろんです!」


 リーナはぺこりと頭を下げ、軽やかな足取りで温室の外へと姿を消した。

 途端に辺りは、再び静寂に包まれる。


 ヨルミリアは温室の中に佇むカイルを見て、小さく呟いた。


「殿下、お花とか興味あったんですね……少し意外です」

「そうか? 喧噪ばかりの王宮より、よっぽど落ち着く。君も似たようなものじゃないか」

「そうですね……私も、好きな場所だなって思いました」


 2人の間に流れる空気はどこか穏やかで、けれどほんのりとした緊張も混ざっている。

 春先の曖昧な空気のように境界がはっきりしないまま、心を包み込む。


 しばらく温室の中を2人で歩いていたが、何かを見つけたらしいカイルが顔を上げた。

 カイルに促されるままに、ヨルミリアは白い花に視線を向けた。


「これは“カレントの誓花”。王族の婚約式にも使われる」

「誓花……」

「ただ、使われるのは咲いて3日目のものだけだ。4日目には散るからな」


 目の前に広がる白い花々―――カレントの誓花と呼ばれるそれらは、ひとつひとつが繊細でまるで硝子細工のように儚い。

 花弁の縁は朝露を閉じ込めたようにかすかに光を宿し、風のない温室の空気の中でさえどこか淡く揺れているように見えた。


「この区画の花は、式典で使わなかった余りだ。もうすぐ手入れで落とされる」


 そう言いながら、カイルの指がひとつの白い花にそっと触れる。

 そして慎重に茎を折ったかと思うと、ひょいとヨルミリアの前に差し出した。


 微かに指先が触れて、心臓がドキリと跳ねる。


「えっと、摘んでいいんですか……?」


 ヨルミリアの問いに、カイルはふっと笑った。


「……ここは、王族だけが自由に手を触れていい場所なんだ。余計な規則もない、俺のの逃げ場のひとつだ」

「逃げ場……」


 いつもの冷静さの奥に、どこか遠くを見るような響きがあった。

 この場所がカイルにとってただの庭ではなく、“心を置ける場所”なのだと、言葉の端々が語っていた。


「……綺麗ですね、誓花。たった3日しか咲かなくても」


 ヨルミリアの言葉に、カイルは僅かに微笑んだ。


「ヨルミリアは、白が似合うな」

「え? あ、ありがとうございます……?」


 不意に告げられた言葉に、頬がかすかに熱を帯びる。

 うつむくヨルミリアの指先が、誓花の茎をきゅっと握り直す。


 ヨルミリアはなんだか恥ずかしくなってしまって、何も言うことができなかった。


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