7:心のうち
初めての共同公務から、気づけば1週間が経っていた。
朝の礼拝を終えた聖堂は、まだ静かな余韻を宿している。長椅子の並ぶ大広間から一歩外れた控室で、ヨルミリアは薄い蒸気の立つ茶にそっと口をつけた。
「お疲れ様でした! 今日の礼拝、なんだか穏やかな雰囲気でしたね」
明るいでリーナが言う。
動きに合わせて、三つ編みに結った赤毛が揺れた。
リーナの言う通り、祈祷訓練も順調に進んでいたヨルミリアは、礼拝にも参加できるようになっていた。
礼拝は集団でおこなう祈りの儀式のため、ラフィールに『多くの人の前に出ても問題ない』と思ってもらえたのかもしれないと密かに喜んでいたのだ。
「そうだ、今日はちょっとだけ濃いめにしてみたんです。昨日の夜、少しお顔が疲れてた気がして……気のせいだったらすみません!」
「……ありがとう。心配してくれて」
ヨルミリアは小さく笑った。
変化に気づくほど、リーナが自分を見ていてくれたことが不思議と嬉しかった。
「もちろんですっ。だって、私はヨルミリア様の専属侍女ですから!」
そう言って、リーナはえへんと胸を張る。
そして続けてぺらぺらと、遠慮のない口調で喋り始めた。
「それに、最近は殿下とご一緒のお仕事も増えてますし。聖女様ってお立場、ただでさえお忙しいのに……緊張とかされませんか?」
「緊張は……まだ正直あるわ。慣れないことばかりだから」
「うう、やっぱり! でも殿下ってやっぱり優しいっていうか、意外と気にしてくれてるのかも? って思うんですけど……違います?」
リーナの言葉に、ヨルミリアはカップの中を覗き込むばかりで何も答えなかった。
そういう気もするけれど、やっぱりカイルのことはよくわからない。絶妙な距離感のまま、日々だけが過ぎていくのだ。
でも、彼の不器用な優しさに、ヨルミリアは救われている。
誰かが見ていてくれる。そう思うと、なんだか頑張れる気がするのだ。
ぼんやりそんなことを考えていると、強い視線を感じた。
そちらを見れば、リーナがキラキラした目でこちらを見ている。
「どうしたの?」
「ヨルミリア様って、笑うとすっごく優しい雰囲気になりますよね。癒し系っていうか……見てるだけで心が落ち着く感じです!」
「そんな……」
「ほんとですってば! たぶん、殿下もそう思ってるんじゃないかな〜って」
リーナの何気ない一言に、空気がふっと止まる。
「か、からかわないで」
ヨルミリアは茶を一口すすり、拗ねたように呟く。
リーナはその様子を見て、小さく笑っていた。
けれど、リーナには心のうちがバレているような気がして、ヨルミリアはなんだか恥ずかしくなってしまう。
「えへへ……じゃあ、からかわない代わりに、これ差し入れです! 厨房から分けてもらったジャムパイです、ほかほか!」
「……ありがとう、リーナ」
「ヨルミリア様に笑ってほしいからですよー? それに私のほうこそ、こうしてお世話できるの結構嬉しいんですから!」
―――――
―――
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午後の陽光が差し込む執務室は、書類の山と静寂に包まれていた。
カイルは机に肘をつき、視線を目の前の報告書に落とす。
その向かいでゼノが黙々と紙束を整えていたが、ふと何かを思い出したように手を止めた。
「……殿下」
「なんだ」
「最近、“妙な詮索”が増えています」
「詮索……?」
ゼノの言葉に、カイルは若干眉を寄せる。ゼノはその様子を一瞥した後、再び口を開いた。
「聖女殿下に対する関心という名目で、ですが。それでも、殿下のご様子にも目を光らせている者がいることに変わりはありません」
「……」
カイルは答えず、手元のペンを握ったまま無言を保つ。
「神殿での一件は、私の耳にも入っております。それに先週初めて行った共同公務の後にも、聖女殿下を連れ出していたでしょう?」
「……そうだな」
「公的には“婚約者”ではありますが、あまりに“関心が深すぎる”ように見えると…………一部の者には好機と映ります」
「別に、見せてるつもりはないが」
「……けれど、気持ちは隠しきれないものですよ。人の心は、どうしても滲み出てしまうものですから」
ゼノはいつになく、慎重な口調だった。
まるで怒らせないように言葉を選びながら、それでも見過ごせないとでも言いたげに。
カイルは持っていたペンを置き、椅子に背を預けた。
そして薄く目を伏せたまま、微かに笑う。
「まるで、俺が冷静じゃないとでも言いたげだな」
「私は、殿下が“冷静を装っている”のだと見ています」
短い沈黙が落ちた。
ゼノはわずかに目を細めた。
「殿下。“気づいてしまった”のなら、ご自覚を」
「……なんのことだ?」
カイルの問いに、ゼノは何か考えるような素振りを見せた後、瞳を伏せる。
「……いえ、出すぎた真似をしました」
ゼノは静かに頭を下げ、再び書類整理に戻った。
執務室に流れる沈黙はどこか深く、意味を含んでいた。




