5:周りの評価と、初めての共同公務
夜の礼拝堂は静寂に包まれていた。燭台の火が揺れ、白い石床に長い影を落とす。
ラフィールは祈祷を終えると、静かに神官会議室へと足を向けた。 そこでは数名の神官がすでに集まり、中央の円卓を囲んでいた。
「……本日の聖務報告について、まずは確認を」
主神官の1人が淡々と口を開く。
内容は日常的な公務の範囲を出ないものばかり────だが、今夜の議題はそれだけではない。
「それから。新たな聖女、ヨルミリア殿についてだ」
その言葉に場の空気が微かに緊張する。 ラフィールは黙って瞼を伏せた。
誰よりも早く、誰よりも厳しく彼女を見たのは自分だ。
『現時点では“仮初の聖女”に過ぎません』
『王子殿下との婚約も、形式を整えるためのものかと』
『正直なところ、御役目を全うするには──力量不足では?』
次々に上がる否定的な意見に、ラフィールは眉ひとつ動かさなかった。
そして、静かに言葉を継ぐ。
「……力量とは、“神に応える意志”があるかどうかで測るものです」
周囲が一瞬、静まり返る。
「彼女は未熟です。だが無知ではない。問いには正面から答えたし、聖務に対する態度も、我々の想像より──真摯だった」
「……ラフィール導師、お言葉ですが」
1人の年配神官が、苦言を呈する。
「あなたは彼女に、かなり厳しい言葉をおかけになったと聞いていますが……」
「だからこそわかるのです。あの目には、逃げる意思がなかった」
ラフィールはゆるやかに立ち上がると、手元の祈祷書を閉じた。
「私の務めは“甘やかすこと”ではありません。 ですが聖女にふさわしい存在かどうかを、見極める意志はありますよ」
それだけを言い残し、ラフィールは静かに席を立った。
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―――
―
朝靄の残る中庭を抜けて、ヨルミリアは王宮の正庁へと足を運んでいた。
重厚な扉の前で立ち止まり、静かに深呼吸を一つ。
“今日は”失敗できない……。
そう自分に言い聞かせる間もなく、扉の向こうから現れたのは──。
「やっと来たな。おはよう、ヨルミリア」
ヨルミリアの婚約者である、カイルだった。
王族らしい威厳に満ちた立ち姿で、彼女を迎える。
「おはようございます、殿下」
ヨルミリアは礼儀正しく頭を下げながらも、どこかぎこちない。
それも無理はない。今日が“仮初の婚約者”として、初めて公務を行う日なのだから。
「緊張してるな」
「……してないと言ったら嘘になります」
「正直でよろしい」
カイルは口元に薄く笑みを浮かべた。
「なら、俺が横に立っている意味はあるな」
その声は意外なほど優しく、どこか“庇護”に似た温度を含んでいた。
昨日ラフィールと対峙した際の冷静で強引な感じとは違い、『頼れる人』に見えた。
「無理に笑わなくていい。だが、背筋だけは伸ばせ。君は“国の聖女”で、俺の────」
一瞬、言葉を切る。
そして、いつもより低い声で囁いた。
「……俺の、婚約者だ」
心臓がひとつ、大きく跳ねた。
だけどヨルミリアは、それに気づかないふりをした。
扉の向こうの謁見の間には、既に文官や廷臣たちが集まっていた。
カイルとヨルミリアは並んで王座前に進み出て、儀礼的な挨拶を交わす。
……文官や廷臣たちが多く集まるこの場所で、ヨルミリアが何かしでかしたら。
きっと一瞬のうちに噂は広まってしまうだろう。
ヨルミリアが第一王子の婚約者としてふさわしくないと思われれば、婚約解消はできるかもしれない。
だけどそれは、円満ではない。
きっとカイルはその方法を、よしとはしないのだろう。
目的のために手段を選ばないのかと思いきや、意外と優しい人なのだ。
ヨルミリアの動きは堅かったが、公務中に失敗はなかった。
「──聖女殿下は、どうお考えですか?」
「え?」
だが途中で、少しだけ言葉を詰まらせた。
ヨルミリアに言葉をかけてきた相手と、目が合う。視線が絡み合ったその先で、その男は下卑た笑いを滲ませていた。
ランズ侯爵。ヨルミリアは心の中で名前を呟く。
恐らくヨルミリアをよく思っていないため、わざと意地悪な質問をしたのだろう。
周りの人々も、『なぜそんな質問を……?』とざわついている。
可能な限りノアティス王国について勉強してきたはずだったが、重箱の隅をつつくような質問に、嫌な汗がじんわりと背中を伝う。
早く何か言わなければ……とヨルミリアが乾いた唇を開いた時、それよりも早く静かな声が降った。
「彼女の答えは、私と同じ意志を持っています」




