一人娘の場合(一)
生田明人はシュークリームが好きである。
何となく先週も買ったかもしれないが、そんな昔のことはもう忘れた。今日は金曜日だ。今週も中々にハードな日々であった。
怒号が飛び交う荒んだ職場。主に『ディスプレイに向けて』であるのが、まだ救いであると言えよう。
だから『お土産』さえも買って帰れない日々が続いていた。
もしかして家族が自分のことを、『忘れてしまっている』のではないかと気を揉んだもんだ。かと言って長期休暇を取れば逆に、会社の『自分の席』が、無くなってしまうのではないかと思う。
そう言えば、来週から『全席自由席』になるらしい。
新幹線とは真逆の発想である。となると、机の前後左右にある『書類の山』は、一体何処へ引っ越せば良いのだろう。
どう考えても『ロッカー』より大きなダンボールなのだが。
いやいや、そんな未来のことなんて判らない。
それより何より、これから始まる『終末』もとい『週末』という時間を、家族と有効に過ごすことの方が大事。
会社のことは一旦、月曜日の朝まで忘れよう。
「ただいまぁ。今日のお土産はシュークリームですよぉ」
玄関のドアを開けると、リビングから賑やかなテレビの音が聞こえている。それがパッと消えた。あぁ、録画再生を止めたのか。
「お帰りなさいっ! あなたっ!」「パパだっ!」
シュークリームが入った箱を前に突き出すと、それを目掛けて愛しい妻が一目散に廊下を走って来る。
何だか大げさな恰好で走っているが、余り速くはない。
足元には小さな愛娘が、嬉しそうに歩みを進めている。おぼつかない足元。まさか『酒』でも飲んだのではあるまいな。
そんな訳ないか。先週、二歳の誕生日を迎えたばかりだし。
「あら、今週はシュークリームなのね」「要らない?」
「まぁさぁかぁ。頂くわぁ。ありがとぉ♪」
ご機嫌で行ってしまった。確かに先週は『誕生ケーキ』だった気もするが、毎週同じケーキ屋に行ってはならぬという法はない。
あったら確実に『暴動』が起きるだろう。
「パパぁ、薫のはぁ?」「んん?」
美雪の行方も気になるようだが、自分を指さしてこちらと交互に見ている。違う。気になるのは『シュークリーム一箱』の方か。
どうやらそちらは、『妻・美雪のお土産』と認識したようだ。
良いぞ良いぞ。流石は女の子だけのことはある。中々に覚えが宜しいのも、成長著しい証拠だ。父親として実に嬉しい。
何故なら先週は『薫のお土産』として、大きな『誕生ケーキ』一箱を買って来た。そして確かに、薫の小さな手に持たせたのだから。
しかし薫よ。我が愛しき娘よ。忘れて貰っては困る。
誕生ケーキは『薫の』だから持たせたのだ。それを、親子三人で大事に運んだではないか。ロウソクだって灯したし、上下左右に分割して、美味しく食べたではないか。あっという間だった。
「じゃぁ、これなぁ」「はーい。ありがとっ!」
咄嗟に『代わりの物』を持たせると、薫は喜び勇んで走り出す。
『ギャーッ! ちょっとナニコレ! 靴下なんて要らないっ!』