新婚夫婦の場合(二)
「ただいまぁ」
おや。返事が無い。でも聞こえてはいるだろう。
その証拠に『トントントン』と、小気味よいリズムで鳴っていた包丁の音が止まる。美雪が台所から顔だけ出すに違いない。
『ジューッ。シャッシャッシャーッ』
フライパンに強火か。醤油を回したのか良い香りがたちまち漂う。
明人は玄関から一人寂しく上がり込んだ。調理中なら仕方ない。
もしここで『カサカサ』とビニール袋の擦れる音がすると、連動して『カチン』と火を止める音がする。美雪はそれ位耳が良い。
直後に『お帰りなさいっ! あなたっ!』と台所を飛び出す所までは素早く。その後は腕を大きく振りながら近付く。
動作は何故か『スローモーション』である。視線は下の方。
いや、持っている『お土産』を正面に突き出せば視線も上向く。
喜びに満ち溢れた可愛い笑顔だ。しかしその眼差しは『持ち主』ではなく、『ビニール袋』に向かってまっしぐら。
『ガッ』「お帰りなさーい」
お土産を効果音付きで奪い去ると、中身を見ながらお声掛け。
早く冷蔵庫へ入れたいのだろう。帰り道はサササッと三倍速。
『ジューッ。シャッシャッ。ガコン』「あらっ」
また何か失敗したのだろうか。大きな音の後に大きな呟き声。
明人はヒョイと台所を覗き込んだ。何だか『生きの良い奴』が紛れ込んでいたのだろう。必死にリカバリー中。火を通せば問題ない。
「ただいまぁ」「お帰りなさーい。早かったのね」
「うん。電車がトントンっと来てね」「もうちょっと待ってねぇ」
調理はまだ続くようだ。明人は先に着替えることにした。
いつも残業で夜遅くなる。だから夕飯の支度が結婚以来、空回りする日々が続いた。故に家で夕飯を食べるときは、十八時前に連絡を入れる約束をした。今日連絡を入れたのは、十七時五十八分だ。
『あぁ、今日はカップラーメンにでもするかぁ。ホジホジ』
と構えていた所に、突然旦那から『帰りまーす。夕飯ある?』のメッセージ。文字だけ。きっとそれから重い腰を上げたのだろう。
とりあえず返事は、絵文字付きの『今から作りまーす』だ。
有難いではないか。明人の好物である豚肉インゲン巻である。
しかもあの量だと、きっと明日の朝食もだろう。しめしめ。
明人は鼻歌混じりでご機嫌だった。
今日『お土産』は無いが、昨日のシュークリームも有ることだし、食後のデザート付きではないか。
お茶菓子は洋菓子だから、コーヒー牛乳でも淹れて貰おうかなぁ。
「出来ましたよぉぉぉっ」「はーい。手洗って来るぅ」「はーい」
部屋着に着替えた所で、丁度夕飯の支度が出来たらしい。
台所から出て来た美雪とすれ違う。そのままカウンターの前に立ち、並べたお皿を食卓へと移動し始めた。明人は洗面所へ。
食卓に戻ると、すっかり夕飯の支度が出来上がっていた。
長椅子の手前に美雪が立っている。明人の席が奥なので、先に座るのを待っているのだ。四人掛けのテーブルに夫婦は並んで座った。