実家に帰省した場合(四)
薫は小さいながらも良く知っている。明義爺さんが顔に似合わず優しいことを。言葉もぶっきら棒だが、薫のどんなお願いにも『ダメ』と言わないのは周知の事実。だから一番の味方である。
何しろ母親の美雪は、妹の椛に掛かりっきりなのだから。
「あらあら。おじいちゃん、誘拐されちゃったみたいねぇ」
明義爺さんだって椛を抱きたい。ダメならもうちょっと近くで。
最近老眼が酷くなって老眼鏡が手放せないのだが、普段使わないだけに行方不明になってしまうのだ。一応『お気に入り』である。
「じゃっ、お邪魔しますということで」「はいはい」
明人の態度は『帰って来てやった感』が否めない。
胡桃婆さんは自分の息子とは言え呆れてしまった。しかし口が悪いのは今に始まったことではない。
美雪の方が恐縮し、渋い顔で頭を下げているではないか。
「皆で南無南無ですよぉー」「はーい」
明人が声を掛けると、薫が『判ってる』とばかりに角を曲がった。
二間続きの奥の部屋、床の間の隣に仏壇がある。そこへ向かっているのは明らかだ。理由は至って単純である。
「火ぃ点けるぅ!」「一緒ならいいぞ」「うん!」
会話だけ聞くと物騒だが、火を点けるのはロウソクである。
しかもマッチ。最近はとんとお見掛けしなくなった『便利道具』なのだが、生田家では尚も健在である。
理由は『立派な放火魔を育成するため』ではないはずだ。
「ほら、この色の濃い所で擦るのじゃ」「ここぉ?」
「そうじゃ。しっかり狙って。『立派な放火魔』になれないぞっ」
違った。只今絶賛育成中であった。明義爺さんがマッチ箱をしっかりと握り、薫に『良い感じ』の場所を指し示している。真剣だ。
「深呼吸」「スーハー」「良いぞぉ。行けっ!」「やぁっ!」
孫とは言え、決して『新しい箱を用意しておけば良かった』なんて思ってもいない。教育は常に厳しく。それが明義爺さんの信念だ。
寧ろどんな状況下であっても素早くロウソクに火を点け、放火現場から離脱することを学ばせている。正に英才教育だ。
『シュッ!』「点いたっ!」
薫が喜んでいる。しかし明義爺さんは目的を見失わない。
あくまでもマッチによる点火は『放火魔への第一歩』に過ぎない。
「はいはい。そーっとロウソクに点けて。そーっとそーっと」
孫の手が火傷しないように、自分の手をかざしながら動かす。
肝心の薫の方は『ミッション・コンプリート』と思っていたのだろう。『どうだぁ』とばかりに胸を張り、振り返ってしまっている。
明義爺さんに導かれて、ロウソクに火を点けただけだ。
「ついでにお線香あげて、南無南無しちゃって」
明人からの一言が。父親と目が合った薫は大きく頷く。
本来なら『順番』というものがあるのは事実だが、それを今言った所で仕方がない。明人は横から割り込んで腕を伸ばし、シュークリームの箱を仏壇に供えた。
明義爺さんが薫と一緒に線香へ火を点けている。直ぐに火が付いて大きく燃え上がった。それを薫の手を使って消しに掛かる。
きっとこれも『放火魔育成カリキュラム』の一端に違いない。