王妃補佐官アニエス・マネジット
※冒頭は第一章より前の話です。
「王妃殿下がご臨席する式典について確認したいことがあるのですが、担当の方はいらっしゃいますか?」
アニエスが式典課の執務室で声をかけると男性文官が立ち上がったため、彼の机に向かう。
「侍女の方ですか?」
怪訝な顔で聞かれたアニエスは、
「新しく王妃補佐官に配属になりましたマネジットと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に挨拶した。ただし、笑顔は全くなかった。
アニエスには通常だが、文官は面食らったようで、「はあ」とため息ともうなずきとも取れない声を発したあと、
「式典課のパソラルです。マネジットというと、王都の近くに領地があるマネジット伯爵家ですか?」
「はい、そうです。それで、こちらの書類なのですが」
「あ、はい」
雑談をぶった切ってアニエスが話を進めると、パソラルは顔を引きつらせた。
アニエスは構わずに、書類を差し出し、
「招待者一覧に、エーリット伯爵夫妻のお名前がありますが、本当に夫人を招待したのですか?」
「は? どういうことですか?」
「伯爵夫人は三か月ほど前にお亡くなりになったと記憶しています。伯爵が再婚された話は聞かないのですが、どなたをご招待したのでしょう?」
「え? 亡くなった?」
パソラルは椅子に座り直すと、机の前に立ててあったファイルを取り出しパラパラめくり出す。
すると、アニエスの話が聞こえていたのか、彼の隣の席の文官も話に入ってきた。
「ああ、エーリット伯爵夫人の訃報は俺も聞いたことがある」
「そうなのか? 教えてくれよ」
「いや、お前が担当している式典の招待者なんて俺が知るわけないだろ」
二人がそう言い合うのを聞いて、アニエスは眉をひそめる。
(担当している式典しか知らなかったら、その担当者が急に仕事に来られなくなったときはどうするのかしら)
事前に決まっている退職なら引き継ぎができるが、急病や事故だってありうる。
(それに、今調べているということは、招待状を送る前に調べていなかったってことでしょ?)
アニエスは黙っていられずに口を開いた。
「例年の式典だからって昨年をそのまま踏襲するのではなく、内容を精査して更新するべきではありませんか?」
「は?」
二人の文官は、アニエスをそろって見上げた。
「亡くなった伯爵夫人宛てに招待状が届いたら伯爵はどう思われるでしょうか」
貴族の出生や死亡は貴族戸籍課に届け出る義務があるので、伯爵もそうしているはずだ。王城の文官が知らなかったではすまされない。
「あ……」
「今からでも謝罪のお手紙を送るべきではありませんか」
「それは……でも、そんな時間は……」
口ごもるパソラルに、アニエスは冷たい目を向ける。
「国の式典ですよ? あなたの失態で王家がそしられるのです。責任重大なのがわかりませんか?」
「はあ? それはもちろんわかってますよ!」
パソラルが立ち上がって声を荒げると、隣の文官も立ち上がって慌てて間に入ってきた。
「ちょっ、落ち着けよ。悪いのはお前だろ。謝罪の手紙は出せよ」
彼はそう言ってパソラルを宥め、アニエスに振り返った。
「マネジットさんも言い方ってものがありますよ。最初から喧嘩腰になる必要ありますか? そりゃ、そっちは学院の主席で卒業してすぐに王族の補佐官になれるくらい優秀かもしれませんけどね。そんな態度じゃ、受け入れられませんよ」
「別に喧嘩をするつもりはなく、私はただ作業の手順の問題を」
「あーあー、はいはい。わかってます」
「…………」
遮られてアニエスは口を閉じる。
周りを見ると、式典課の文官のほとんどがアニエスたちに注目していた。そして、アニエスに向けられるのは好意的な視線ではなかった。
「パソラル様には失礼なことを申し上げました。謝罪いたします。申し訳ございませんでした」
アニエスは丁寧に頭を下げた。当然、笑顔はない。
「こちらこそ、不手際で申し訳ありません。エーリット伯爵には謝罪の手紙を送ります」
パソラルも取り繕った表情で頭を下げた。
間に入っていた文官が、「それじゃあ」と明るい声を上げる。
「これで一件落着ということで! マネジットさん、他に何かありますか?」
「いえ、ございません。手紙の件、よろしくお願いいたします」
アニエスは部屋の中に向かって礼をする。
「お騒がせいたしました。それでは失礼いたします」
廊下に出て、扉を閉めるまでの一瞬。
「女なんだから、かわいい笑顔でお願いしますって言ってくれりゃ、こっちも気持ちよく仕事するってのにな」
と、誰かの声が聞こえた。
どっと沸き起こった笑い声を閉めた扉で遮ると、アニエスは大きくため息をついた。
(笑顔ね……)
いちおうは貴族として社交界デビューもしているアニエスだ。社交的な笑顔の訓練はしている。
(私だってやればできるのよ)
それが職場で必要だと思っていなかっただけだ。
もう一度深くため息をついてから、アニエスは歩き出す。
上手くいかない。
学院時代から可愛げがないだとか生意気だとか、散々言われてきたけれど、就職してからのやりにくさは比ではなかった。
先ほど間に入ってくれた文官のように、アニエスの経歴を知っている者は多かった。
それなのに「かわいい笑顔」を期待されるのは納得いかない。
(愛嬌を磨いても試験の点数が上がるわけじゃないし、私には必要なかったもの)
親しくない相手に愛想よく対応したら面倒なことになるのは子どもの社交のときに経験済みだ。
それで職場では事務的な対応に徹しているが、今度は「男を馬鹿にしている」と言われるのだから、ため息もつきたくなる。
アニエスは憂鬱な気分を抱えながら国王夫妻が暮らす薔薇宮までの近道を通っていたが、騎士団の訓練場の前に来たときに、建物の影から現れた人とぶつかりそうになった。
「おっと!」
相手の方が先に気付いたため、アニエスはぶつからずに済んだ。
目の前には騎士団の濃紺の制服。ずいぶん背が高いのか、アニエスの視界には相手の腹のあたりしか入らない。
「失礼。怪我は?」
「いいえ、ぶつかっておりませんから。お気遣いありがとうございます」
相手が一歩下がり、アニエスはやっとその顔を見上げた。
短い黒髪に青い瞳の騎士だった。
(この瞳は王家の青? だとしたら、年齢からしてミナパート公爵家の次男の方かしら?)
そんなことを考えていると、訓練場から「ミナパート隊長!」と呼びかける声が聞こえ、アニエスはやっぱりと内心うなずく。
「では」
呼ばれた彼は軽く会釈をしてそちらに向かって走り出す。
アニエスはなんとなく彼の背中を見送った。
(ええと、確か、フィリップ・ミナパート様だったかしら。姉様たちから聞いたことがあるわ)
アニエスの長姉バルバラはフィリップと同年齢、ひとつ下の次姉マリーズも年が近いため、学院の在籍期間が被っている。ふたりはアニエスと違って社交に長けていたので、真偽に関わらず噂には詳しかった。
バルバラいわく、フィリップは「大柄で強面で力も強くて熊みたいだから、令嬢に人気があったかと言われるとそうでもなかった」らしい。
「でも、公爵令息なんだから、政略結婚の打診はいくらでもあるわけよ」
「それなのに縁談を断り続けていたんですって」
「騎士を目指しているからって理由らしいけれど、結婚と騎士は関係ないわよね」
「何かあるんじゃないかって、一時期お茶会の話題になっていたわ」
姉たちは口々にそう言っていた。当時すでに婚約者のいた姉たちには完全に他人事だった。
(フィリップ様も目指していた騎士になったのね……)
彼は訓練場にいた騎士たちに囲まれている。
おそらく部下だろう。彼らの表情から、フィリップが慕われているのがわかる。
何か言われたフィリップは、からりと明るく笑った。
周りの騎士たちも笑うが、先ほどの式典課の笑い声とはずいぶん印象が違った。
「いいわね……」
自然とアニエスの口から羨む言葉がこぼれる。
騎士のひとりが立ち尽くしたままのアニエスに気づき、フィリップに何か言った。彼はアニエスを振り返る。
気持ちの良い笑顔だった。
そんなフィリップが強面で人気がないとは思えない。
(笑顔だから、かしら)
アニエスは肩の力が抜ける。
会釈をして、歩き出した。
その足取りは軽い。
(そうね。笑顔は無理でも言い方は変えられるはずよ)
試験と違って、仕事は人が相手なのだ。
円滑な人間関係の構築は必須に違いない。
アニエスは決意を新たにしたのだった。
「――ということがあったんですが、覚えてらっしゃいますか?」
アニエスはフィリップにそう尋ねた。
「申し訳ないが、全く記憶にない……」
フィリップは少し考えたあとに首を振った。
王城ですれ違ったフィリップと結婚してお茶を飲んでいるなんて、あのときの自分に話しても絶対に信じないだろう。
(人生ってわからないものね)
アニエスはくすりと小さく笑う。
職場でのアニエスの態度も、今では反省している。
(あのころは若かったわ)
試行錯誤しながら少しずつ他の部署の文官にも受け入れてもらえるようになった。退官時に惜しんでくれる人がたくさんいたのはうれしかった。
――ちなみにあのときやりあったパソラルは、最終的には「執務室の妖精から最初に冷たい目を向けられたのは自分だ」と自慢するほどのアニエス信奉者になるのだが、アニエスは知らないことだった。
「覚えていない……。そんな出会いがあったなんて」
うなだれてぶつぶつつぶやいていたフィリップは、ばっと顔を上げると、
「俺は変な態度を取っていなかっただろうか?」
「いいえ、全く」
アニエスはあのときを思い出す。
「笑顔の素敵な方だと思いましたわ」
そう言ったアニエスがふわりと笑顔を浮かべたため、フィリップは「君には敵わない」と顔を両手で覆った。




