セシルとアニエス
※第一章より前の話です。
セシル・ヘリターは第一騎士団の騎士だ。第一騎士団は城内警備を担当しているが、セシルは王妃からの依頼でとある女性文官を護衛していた。
しかも騎士とわからないようにメイドに変装しての護衛だ。セシルは初めての経験だった。
「一見して護衛がいるとわかるほうが抑止にはなるけれど、特別扱いに見えて余計に反感を買ってしまいそうですからね。実力行使に出る者はさすがにいないと思いますので、念のためです」
王妃はそう言っていた。ヒラの騎士が、第一騎士団長に連れられて直々に言葉を賜るのも異例のことだ。――王妃を前に、セシルと、もう一人選ばれた騎士のマリーはひたすら直立不動だった。
護衛対象のアニエス・マネジットは重要人物のようだ。
セシルはそう思ったのだけれど、周りの男性騎士からは「お気に入りの文官に王妃が戯れに護衛をつけた」「女だけで護衛ごっこ」などと揶揄された。
(ま、結局、負け惜しみなんだけどね)
始めにこの話が持ち込まれたとき、アニエス・マネジットが護衛対象だと聞いた男たちが浮き足だったのを知っている。それなのに女騎士が選ばれたのだから、妬まれるのも理解できる。
城内警備につく第一騎士団だから、アニエスを見たことがある者も多い。小柄で可憐な容姿は確かに目を引いた。
そのアニエスが王太子執務室の自席から立ち上がる。
扉の横で待機していたセシルに「迎賓館に書類提出に行くから、よろしくね」と声をかけた。彼女が笑わないのにも慣れた。
「ちょっと出てきます」
アニエスが出がけに挨拶すると、他の補佐官は「いってらっしゃい」だとか「気をつけて」などと送り出す。
アニエスは王太子補佐官に異動して半月ほど。
最初は遠巻きにされていたアニエスだったけれど、今はすっかり馴染んでいるように見える。
アニエスが書類綴りを持っているのに付き従うセシルが空手なのもおかしいため、何も入っていない平箱を持って歩く。
「いつも悪いわね。私はそれほど出歩くわけではないから、ずっと待機しているなんて退屈じゃない?」
一歩前を行くアニエスがそう尋ねた。
「普段は扉の前で立哨なので、それが室内に変わっただけですから」
「まあ、そうなのね」
アニエスは少し驚いた声を上げてから、
「王妃殿下は心配症でらっしゃるのよ。いくらなんでも、城内で危険なことなんてないでしょう? 今までも私は王妃補佐官だったけれど、特に何もなかったわよ」
「不自由に思われるかもしれませんが、堪えてください」
「いいえ! 不自由なんて思っていないわ。ただ、あなたやマリーさんの時間を無駄にさせてるんじゃないかって考えると、ね」
ちらりと振り返って目を伏せたアニエスに、セシルは首を振った。
「無駄になるなら最良ですよ」
そう言ってセシルが笑うと、アニエスは「それもそうね」とうなずいてくれた。
「私が王太子補佐官に相応しいと認めてもらえればいいのよね。早くそうなるようにがんばるわね」
アニエスは真面目な顔で、ぐっと拳を握る。
「応援してます!」
セシルも拳を握ってみせると、アニエスは初めて目の前で微笑んだ。
ふわりと綻ぶような一瞬の笑顔だ。
(うわ、確かに妖精だ……)
そんな奇跡に気が緩んだセシルは、つい口を開く。
「男ばかりの職場では、やはり実力がものを言いますか?」
部屋の隅でずっと見ていたセシルには、アニエスが実力で王太子執務室での立場を得たのがわかった。
騎士団は圧倒的に男が多い。そんな中でどうやって生き残っていくか、セシルはときどき考える。
近衛騎士なら女性王族の護衛などの需要がある。諜報部も女は歓迎される。
しかし、城内警備の第一騎士団ではなかなか難しい。一見で強そうな騎士が立っているだけで圧力になるのだから、女にはあまり向いていない。
セシルの声音から真剣味を察したのか、アニエスは立ち止まった。
「それはどんな職場でも同じじゃないかしら?」
アニエスは続ける。
「何を『自分の力』と定義するか、なのよ」
「…………?」
セシルが首をかしげると、アニエスは補足してくれた。
「書類捌きや段取りがうまいのも能力だけれど、笑顔で男を手玉に取って仕事をさせるのだって得難い能力よね」
「まあ、そうとも言えますね」
セシルは苦笑する。
(マネジット様は苦手に思ってるんだろうなぁ)
側から見ればアニエスも、と思ったところで、不審な影に気づいたセシルはアニエスの腕を引いた。
「きゃっ!」
小さく悲鳴を上げるアニエスと場所を入れ替わったセシルは、横から伸ばされた手を平箱で切るようにして叩き落とした。
「痛っ! くそっ! メイド風情がっ!」
叫びながら飛びかかってきたのは、貴族らしき若い男だった。
彼が出てきた通路の手前の部屋の扉が開いている。そこにアニエスを引き込むつもりだったのか。
セシルは容赦せずに男の腹に蹴りを入れた。
ただ一発。
それだけで男は吹っ飛んだ。
騎士団で男相手に稽古することもあるセシルは、呆気なさに驚いてしまう。
反撃がくるのでは、と身構えたものの、相手は起き上がることもできずに床に転がっている。
「セシルさん、大丈夫?」
不審者が無力化されたのを確認したアニエスがセシルに駆け寄った。
「私は全く問題ありません。マネジット様はご無事ですか?」
「ええ。あなたのおかげよ。ありがとう」
二人が無事を確かめ合っていたところ、男が呻き声を上げた。セシルはアニエスを背後に庇う。
半身を起こした男は、
「メイドがこんなに強いなんて、聞いてない……」
恨みがましくこちらを見た。
(騎士なら弱いって舐められるけれど、メイドなら強いって思われるんだ)
この男が弱かったのも事実だが、セシルは騎士になって初めて「強い」と言われたことに感動した。
捕物も行う第三騎士団などではわざと騎士服を身につけずに活動することもあるが、第一騎士団ではなかったからすっかり忘れていた。油断させて敵を倒すなんて、ごく当たり前の作戦だ。
セシルは男に自分は騎士だと言おうとしたが、それより先にアニエスが前に出た。
「あなたがメイドより弱いのよ」
アニエスは「切り札は隠せるうちは隠しておくものよ」とセシルに囁いて、改めて男に目を向けた。
「あら、あなた、ランマット伯爵家のシモン様ではないですか? 学院で同窓でしたわよね?」
「そうだ! お前が学院で俺の邪魔をしたせいで、俺は文官になれなかったんだ! 王太子補佐官になるのは俺だったのに!」
どう考えても逆恨みにしか思えないが、シモンはそう主張した。
アニエスは持っていた書類綴りで口元を隠すと、「まあ!」と大げさに目を見開いた。
(わぁ、夜会なんかで貴族令嬢がよくやる仕草! 普通は扇だけど)
冷めた視線で見下ろすアニエスは実に様になっている。
「邪魔って成績のことかしら? 卒業したばかりのころはよく文句を言ってくる方がいましたけれど、今さらですか?」
「お前は王太子補佐官に相応しくない!」
「異動したのが気に食わないんですか」
にらむシモンにアニエスは怯まない。
「たとえ私がいなくても、あなたは王太子補佐官どころか文官にもなれなかったでしょうね」
「そんなことはない!」
「いいえ」
アニエスはすうっと目をすがめて、
「あなたは学院の成績はほとんど二十位以下でしたわよね? 一度だけ十九位を取ったのが最高でしょう? それで文官なんて笑わせないでくださいますか?」
「な、なぜ、俺の順位を覚えてるんだ……」
それはセシルも疑問に思った。
アニエスは何でもないように、
「上位の常連じゃない方が入れば目につくのは当たり前じゃありません? そのくらい誰でも覚えていますわ」
そんなわけないとセシルは思ったが、シモンもぽかんとした顔になった。
アニエスは構わず、
「あなたは歴史の成績は飛び抜けていたんですから、アカデミーを目指せば良いのに。文官は向いていませんわよ」
アニエスが書類綴りでパンっと手を打つと、話の切れ目をうかがっていた騎士たちが駆け寄り、シモンを引っ立てた。
シモンは項垂れながら顔を赤くしていた。
「俺の成績を俺以外に覚えていてくれた人がいるなんて……」
そうつぶやきながら連れていかれる。セシルの同僚の騎士二人はシモンを一層不審な目で見ていた。
アニエスは言いたいことを言い切ったと満足そうだ。
(打ちのめしたというより、おかしな信者を作ったような気がするんだけど……)
セシルは半ば呆れるようにアニエスを見たけれど、彼女は何もわかっていなそうだった。
事情聴取を頼む騎士に、先に書類を出してきてもいいかなどと聞いている。
「書類提出が遅れると全体の進行に影響しますから」
その日、仕事が終わった後、セシルは食堂でマリーと一緒になった。
「髪伸ばそうかなぁ」
セシルがそう言うと、マリーは身を乗り出す。
「え、何? 恋人でもできた?」
「違う」
「それじゃ片思い? 誰だれ? まさか、王太子補佐官の誰か?」
騎士になったのは好みの結婚相手を探すためと言い切るマリーだ。恋愛から離れない。
セシルは「違うってば」と手を振って、
「メイドで護衛するのが楽しくなってきたんだよねー」
短髪のメイドがいないわけではないが珍しい。もっと違和感なく溶け込んだほうが敵を油断させられると思う。メイドらしい立ち振る舞いや仕草も研究したほうがいいだろう。
(何を『自分の力』にするか、だね)
セシルはなんとなく向かう方向がわかった気がした。




