コレットとアニエスの出会い
※第一章より前の話です。
コレット・ランドルクは王宮メイドだ。
王宮には建物がいくつもあるが、コレットは国王夫妻が暮らす薔薇宮の担当だった。
「ねぇ、新しい王妃補佐官、学院を卒業したばかりって本当?」
「ええ、そうよ。って、今さらその話題?」
「あー、サリーは連休取ってたんだもんね」
「今日初めて見たのよ! なにあれ、どこのお嬢様?」
「アニエス・マネジット様」
「伯爵令嬢だって」
メイドの休憩室は数日前から、彼女の話題でもちきりだった。
王妃は政治に関わらないため、元々補佐官の人数は少ない。そのうちの一人が年度末に高齢を理由に退官し、新年度から新しい補佐官が赴任してきたのだけれど、それが新人の女性文官だったため話題をさらっていた。
学院の在学中はずっと首席だったとか、どんな相手からの求婚も断って就職したとか、何日も経たずに噂が駆け巡っている。
メイドの情報収集力は凄まじいけれど、アニエスの噂は何の苦労もなく集められるらしい。
「学院の同期生や先輩後輩は皆マネジット様のことを知ってるんだもんねー」
「学力もだけど、容姿も」
「あのピンクブロンドをひっつめ髪にしちゃうのはないわー。巻いてあげたい! ていうか、巻かせてほしい!」
「わかるー!」
「ほら、こないだ王女様が着てらしたドレス。あれ、着せてみたい」
「あのちょっと大人っぽい黄色の?」
「王女様とマネジット様じゃ、歳が違うわよ。いくらなんでも着れないでしょ」
「でも、マネジット様って若く見えるよね」
「確かに」
今休憩室にいるのはコレット含めて五人だ。休憩時間は持ち場によって変わるためバラバラだが、いつもこのくらいの人数が揃う。
皆が好き勝手にぽんぽん話すから、メイドになったばかりのころは話に入るタイミングがつかめず、コレットは相槌を打つだけで精一杯だった。半年ほど経った今はなんとか会話に参加できるようになった。
王宮メイドは、男爵家や一代限りの騎士爵家などの下級貴族か平民の出身者が多い。コレットも平民だけれど、父親は王都の百貨店を経営しているため、暮らしぶりは『お嬢様』だった。家ではメイドに世話される立場だから、就職前に給仕や掃除などを一通り習ってきたのだ。
そこまでして王宮メイドになったのは、父の指示だった。
コレットの実家は裕福なので働く必要はない。結婚に向けて箔をつけたいなら、どこかの貴族家で侍女でもすればいい。
しかし、父は「何でも下積みから」といって、コレットを王宮のメイドにした。
(今のところは何も言われていないけれど、どうせ数年したら辞めさせられて結婚させられるんじゃないかしら。下積みのまま終わるわよ)
コレットは父が何を期待しているのか、よくわからない。
アニエスの話題で盛り上がっていたメイドの一人が、「あ、そうだ!」と手を叩く。
「新人って言えばさー。新人騎士と新人侍女が庭でさっそく密会してたんだって」
「まぁ! どこの所属?」
恋愛話にはコレットも身を乗り出した。
(王宮メイドのいいところは、いろんな人の恋愛模様を見れることね)
王宮にはたくさんの人が働いているが、身分も職種も幅広い。恋愛小説よりもおもしろい実話なんていくらでもあった。
興味のある聞き手がいたことで気をよくしたのか、話題を出したリラはにんまりと笑う。
「中央棟の」
と、そこで、ドアがノックされた。
メイドは誰もノックなんてしない。
その場にいた五人は顔を見合わせた。
メイド長か、侍女か。
(休憩を中断して呼び出されるなんてこと、ありませんように)
一番近くにいたサリーがドアを開けた。
すると、そこにいたのは、アニエスだった。
「マ、マネジット様……」
サリーの声に動揺が現れる。コレットは顔に出さないように務めた。
(危なかったわ。話題が変わっていて良かった……)
「あ、あの、何かございましたか? 王妃殿下のお召しでしょうか?」
「いいえ、違います。お邪魔してもいいかしら?」
アニエスは小首をかしげるようにして、サリーに尋ねた。
(笑わないって本当なのね)
アニエスが無表情だから、なにか不手際でもあったのかと皆にさらなる緊張が走った。
「ど、どうぞ」
避けたサリーにもう一度アニエスは首をかしげてから、「ああ」と納得したように声を上げた。
「紛らわしくて、ごめんなさい。何か問題が起きたわけではないの。私もここで休憩させてもらいたいのよ。補佐官には控室がないでしょう?」
「え、ここでですか? あの、侍女の控室は……?」
「王妃殿下の侍女は高位貴族の方ばかりですもの。皆様ベテランですし。私なんかじゃ気後れして、休憩にならないわ」
確かに王妃の侍女は王妃と同年代の夫人ばかりだが、アニエスの家と同じ爵位の伯爵夫人もいる。それに、アニエスは相手が誰でも気後れしそうには見えないが、そんなつっこみは誰もできない。
「メイド長と王妃殿下には許可をいただきました。メイドの皆様のほうが侍女の方々より歳も近いからいいんじゃないか、と王妃殿下も仰せでしたわ」
アニエスは遠慮なく空いている椅子に座った。
「今日はご挨拶代わりに差し入れを持ってきました」
そう言うと、テーブルの上に紙袋を載せ、器用に手で破って開いた。皿のようになった紙袋から出てきたのは大量のクッキーだ。下町の素朴な菓子屋で量り売りで買ってきたような――。
「さあ、どうぞ」
アニエスはテーブルの真ん中に紙袋を押し出して、自分が一枚手に取った。
「アカシア通りの黄屋根菓子店の新作。クルミとキャラメルですって。ん、おいしいわ」
コレットの実家でもクッキーを紙袋のまま出すことはない。メイドの控室では当たり前だけど、初参加の伯爵令嬢がやるとは思わなかった。
コレットたちは顔を見合わせながら、それぞれクッキーを手にした。
「いただきます」
「お気遣い、ありがとうございます」
戸惑いながら食べたけれど、クッキーはおいしい。
「おいしいです」
「黄屋根菓子店、人気ですよね」
「ええ、姉が学院生だったときにお土産によく買ってきてくれて気に入ったの」
「伯爵令嬢も行かれるんですね……」
「私は学院時代に通いすぎて顔を覚えられているくらいなの」
「まあ、それは……」
しかし、このあとどうしたらいいのだろうか。
アニエスがいる前で先ほどの続きを話すのは難しいだろう。
コレットにアニエスの相手をしてほしい、という皆からの無言の圧力を感じる。
(何か話題ないかしら? でも本当はリラの話が聞きたい。新人騎士と新人侍女って、くっつくの早すぎない? まだ着任して三日くらいでしょ?)
コレットはリラにちらっと目を向けたけれど、彼女はぶんぶんと首を振った。
(リラと私の休憩が重なるのって当分ないのよ? リラは寮暮らしじゃないから、夜に話すのも無理だし)
紙袋からクッキーを食べるアニエスを見て、コレットは心を決めた。
「リラ、さっきの中央棟の新人騎士と新人侍女が密会してたって話だけど……」
「コレット! それ、後で」
小声でたしなめられたけれど、それより先にアニエスが口を開いた。
「もしかして、アッサー伯爵令息とダマンド伯爵令嬢のことかしら?」
コレットたちはばっとアニエスを振り返った。
「え! マネジット様、ご存知なんですか?」
「まだ噂になってない話ですよ!」
「さすが首席!」
「首席は関係ないでしょ」
「そうね、関係ないわね」
「リラ、マネジット様のおっしゃった方々で当たってるの?」
「大当たりよー!」
予想外の展開のせいか、皆も恋愛話に興味があったせいか、それまでの様子見が一転して皆が一斉に話し始めた。
(待って。マネジット様、もう普通に会話に参加できている……? 伯爵令嬢なのになぜ?)
コレットだって慣れるのに時間がかかったのに、アニエスはメイドの会話の勢いに驚いた様子もない。
「アッサー伯爵令息とダマンド伯爵令嬢は、学院のころからお付き合いされていたのよ」
「そうなんですか?」
「婚約者とか?」
「婚約間近ですって」
「えー、王宮で知り合ったんじゃないんだ? なるほどねー。三日であの親密さってどんなスピード展開って思ったのよー」
「学院って騎士はコースが違うんですよね?」
「ええ。だから、アッサー様は休み時間のたびにダマンド様の教室まで会いに来ていたのよ」
「わぁ、マメだわ!」
「それで、リラ、密会ってどんな?」
「ふふふっ! それがさー。何してたと思う?」
「抱き合ってたとか?」
「口付け?」
「膝枕でしょう?」
「マネジット様、大正解!」
「なんでわかるんですか!?」
「さすが首席!」
「首席は関係ないわよ。お二人は学院の庭でもよく膝枕してたから、皆知ってるわ」
「わー! 学院的にありなの?」
「校則違反!」
「そんな校則ないわ」
ふと気づくと、皆はアニエスの持ってきたクッキーをパクパク食べ、いつものように話している。
(マネジット様、もう馴染んでいるわ……)
コレットもアニエスがいることに違和感がなくなっていた。
アニエスは新人騎士と新人侍女の学生時代の仲睦まじい話を披露して場を盛り上げた。
休憩時間の終わったメイドが順に退室していくと、最後にコレットとアニエスが残った。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はコレット・ランドルクと申します」
「アニエス・マネジットよ。改めてよろしくね」
アニエスは礼をしてから、
「ランドルクさんはランドルク百貨店とご関係があるの?」
コレットが名乗ればたいていそう聞かれる。
(それほど珍しい家名ではないから、無関係のランドルクさんも毎回聞かれているなら申し訳ないわね)
コレットは苦笑しつつ、
「父が商会長です」
「まあ! ランドルク商会のお嬢様ならメイドじゃなくて侍女にもなれたのでは?」
また予想通りの質問に、コレットは「父の意向です」といつも通りに答える。
「下積みから始めろ、と言われました。どうせ上に立つようになる前に嫁ぎ先を決められると思うんですが」
なんとなく流れで、コレットは他の人には話さないことを付け加えた。
すると、アニエスは少し首をかしげて、
「結婚相手を自分で見つけなさいってことではないかしら?」
「え?」
「王宮はたくさんの人と知り合えるもの」
考えてもみなかった。
父からそれらしき探りを入れられたこともない。――逆に父から誰かを紹介されたこともないが。
「下積みからって言うくらいだから、ランドルクさんがメイド長を目指したいから結婚したくないって言えばお父様は許してくださるんじゃない?」
「そう、でしょうか?」
「さあ? 私の勝手な想像だわ。お父様にお聞きになったほうが確実よ」
アニエスは肩をすくめると、そこで初めて笑顔を浮かべた。
ふわりと花が開いたような柔らかい笑顔だった。
いくつも縁談があったという噂は嘘ではなさそうだ、とコレットは思う。
ただ、開いた花は一瞬で閉じてしまったけれど。
後日、アニエスと仲良くなってから聞いたことだが、アッサー伯爵令息とダマンド伯爵令嬢の件はふたりから噂を流して欲しいと頼まれたのだそうだ。
「別の誰かに見初められるんじゃないかって、お互いに心配してたのよ。ふたりから別々に相談されたわ。噂を流してほしいって言われても、私も着任したばかりだから、困って……。だから、王宮のどこかで学院時代みたいにイチャイチャしたらいいじゃないってアドバイスしたのよ。誰かに見られたらすぐに広まるでしょ? リラが目撃者で、私が彼女に直接話せたのは幸運だったわね」
学院時代から隠していた関係じゃなかったから、知っている人がさらに補足して、ふたりの熱愛ぶりはすぐに周知のことになった。
ふたりとも後継ではなかったから、結婚してからも仕事を続けていて、今でも時々王宮の庭で膝枕しているのが噂になる。
「ふたりから別々に相談されるって、アニエスはアッサー様とも仲が良いの?」
コレットがそう聞くと、
「私が引き合わせたようなものだから。――学院のころ、ふたりから別々に勉強会に誘われたから合同勉強会にしたの」
「それは……」
アニエスの返答にコレットは苦笑する。
(ダマンド様はともかく、アッサー様はアニエスに気があったんじゃないの?)
今さら指摘することではない、とコレットは口をつぐんだのだった。




