アニエスと王太子妃
王城の夜会である。
友人たちと別れたアニエスはフィリップと合流した。
王太子フェルナンから「エマニュエルがマネジットと話したいと言っていたから、あとで付き合ってやってほしい」と言われた。
アニエスには断る理由がないから承諾したものの、どんな話か少々不安だ。
「何を言われても私がついている」
「フィリップ様、ありがとうございます」
アニエスはフィリップとダンスを踊った。
もともとアニエスがダンスが得意ではないのも原因だけれど、身長差がありすぎて非常に踊りにくい。アニエスの手がフィリップの肩に届かないので格好がつかない。
「お手本通りの形を目指そうとすると無理がありますね」
「すまない……」
「いいえ、私は私で小さいのでお互い様ですわ。逆に何でもいいと開き直れるので、これはこれで楽しいですよ。もういっそのこと手はつないでしまいましょう」
うなだれるフィリップの手をつかんで、アニエスは軽く振った。
「あとは、フィリップ様が私を持ち上げてくるんと回してくだされば、ダンスらしく見えるかもしれません」
「こうか?」
「きゃっ! 待ってください、待って。回しすぎですからっ」
ぐるぐると振り回されたアニエスがふらついて踊れなくなり、ふたりのダンスは終了となった。
壁際で休んでいると、見知った顔が近づいて来た。王太子妃エマニュエルの侍女だ。
彼女のあとについていくと、小サロンに通された。迎賓館の中でも格の高い部屋で、小規模で私的な集まりに使われる。
円卓を囲む椅子に座って待っていると、エマニュエルが入ってきた。立ち上がって礼をすると、彼女は大きなおなかを抱えながら椅子に座った。来月が産み月だと聞いている。
「どうぞ、楽にして」
「ありがとうございます」
「できれば、アニエスさんとふたりでお話したいのだけれど」
エマニュエルはそう言ってフィリップを見た。
フィリップは眉間にしわを寄せながらアニエスを見る。
アニエスはフィリップに「大丈夫です」とうなずいた。
「君がそう言うなら……」
フィリップはエマニュエルに一礼して彼女の侍女と一緒に出て行った。
部屋にはアニエスとエマニュエルが残される。
今までふたりだけで話したことはないから、アニエスも緊張する。
「お話があるとお聞きしました」
「ええ。そう……何から言えばいいかしら」
エマニュエルは少し疲れているようだった。天真爛漫なお姫様といった感じの彼女しか知らないため、アニエスは少し心配になる。
(妃殿下の出産に皆が注目しているのだから当然よね……。グレース王妃殿下がいらっしゃったら心強かったでしょうけれど……)
現在、王族の女性は王太子妃のエマニュエルと王女のミュリエルだけだが、有り体に言えば、ふたりはあまり仲が良くない。ふたりは同い年なのだが、ミュリエルはエマニュエルの無邪気なところにイライラするらしく、エマニュエルは気の強いミュリエルに委縮しているような感じか。表立って喧嘩することはないが、個人的な付き合いは最低限だった。
ミュリエルは来年にはアレグロ王国に嫁ぐため、そうしたらエマニュエルも気が楽になるのだろうか。
アニエス自身も気が強い方だから、婚家の家族とうまく行かなかったとしてもさほど気に病まないと思う。――ミナパート公爵家の義両親も義兄夫妻もアニエスによくしてくれるため、全くそんな心配はなかったが。
アニエスも、エマニュエルと意気投合するような性格ではないから、本当の意味で分かり合えることはない気がする。
(性格が合わない人がいることは、仕方ないことだもの)
皆仲良くと思わないところが、また、エマニュエルと合わない部分なのだから、どうしようもない。
アニエスが待っているとエマニュエルは、
「あなたを辞めさせるつもりはなかったのよ」
「はい。それは理解しております」
「王妃殿下やフェルナン様に頼りにされているあなたがうらやましかったのは、その通りだけれど。別に浮気しているなんて本気で思っていたわけじゃないわ」
「ええ。殿下からもうかがっております。周りの方が心配されていたと」
「今までと同じ軽い気持ちだったの。前はフェルナン様だって真面目に取り合わなかったでしょう?」
「はい。惚気として何度も聞かされましたわ。……今回はいろいろ重なりましたから」
エマニュエルは小さくため息をつくと、「何を言っても言い訳にしかならないわね」と言った。
アニエスは、
「本日、妃殿下とお会いして、妃殿下の心労はいかばかりか、と改めて思いました。私が辞めることでわずかでも懸念事項を減らせたのでしたら、良かったと思います」
「そう思うの? 本当に?」
「ええ。妃殿下を追い詰める意図はないのですが……、妃殿下に代われる人はおりませんが、私の代わりはいくらでもいます。文官は代わりがきくからいいのです。特定の個人にしかできない仕事があってはいけないのですよ。実際に今、王太子殿下の執務は滞っていないですよね?」
「そういうものなの?」
「ええ、そういうものです」
それに、とアニエスは続ける。
「私の場合は、フィリップ様のお気持ちを陛下や王太子殿下が汲んでくださった結果でもあるので、妃殿下だけが理由ではございません」
「それは、フェルナン様からお聞きしたわ。フィリップ様がずっとあなたのことを好きだったって、本当なの?」
「ええ、そのようですわ。私も驚きましたけれど……、今では仲良くやっておりますので」
アニエスは社交用の笑みを浮かべる。
「仲が良さそうなのは見てわかりました。あの『氷の妖精』が辺境伯に笑いかけていると、皆が驚いていましたわよ」
今度はエマニュエルも微笑んだ。
「まあ、お恥ずかしい限りですわ」
アニエスは自覚がないのだけれど、最近領地でもよく言われる。
エマニュエルは少し気持ちが晴れたのか、用意されていたハーブティを一口飲む。
「父があなたにお詫びがしたいと言っているわ。何か欲しいものがあって?」
エマニュエルに尋ねられ、アニエスは考える。
彼女の父はカラエラ侯爵だ。
(何か頼んでさっさと精算してしまいたいけれど、欲しいものなんて……)
そこでアニエスは思いつく。
「ああ! そうですわ」
「なぁに?」
「私は議席が欲しいのです」
「え? 議席?」
「侯爵家でお持ちの議席を譲れということではありませんわ。私は、領地が落ち着いたら任期付きの席に立候補しようと思っています。そのときにお力添えください」
宰相ドナルドにも依頼したことだった。
アニエスが言うと、エマニュエルは呆れたように笑った。
「議席が欲しいなんて。あなたは本当にこういうことが好きなのね」
「ええ。楽しいですよ」
エマニュエルはため息をつくように、
「あなたは私と全然違うのね」
「それは当たり前ですわ」
アニエスは社会に出たい人でエマニュエルは家庭にいたい人だろう。
アニエスは続ける。
「一方が正しくてもう一方が間違っているわけでもありません」
「そう」
エマニュエルはベルを鳴らして侍女を呼ぶ。フィリップも一緒に入室してきた。
「私、今日を記念日にしようと思うの。ペルトボール辺境伯夫人との記念日よ。来年また同じ日にいらして?」
あなたは忘れないでしょう? とエマニュエルは言った。
「フェルナン様に聞きました。アニエスさんが、正直に話せと言ったんですってね」
「申し訳ごさいません。余計なことを」
「いいえ、おかげで遠慮なく言いたいことが言えるようになりました。あなたには感謝しています」
エマニュエルは侍女に介添えされて立ち上がった。
「もったいないお言葉でごさいます」
アニエスも立ち上がり頭を下げる。
「来年はペルトボールのオパールをお持ちします」
「あら、涙が出るほど辛いミントチョコレートでもよろしくてよ?」
エマニュエルは声に出して笑い、「楽しみにしているわ」と出て行った。
アニエスは後ろに来てくれたフィリップを振り返って見上げる。
(妃殿下の気分が晴れたようで良かったわ)
アニエスが微笑むと、フィリップも笑い返してくれた。




