フィリップと王太子
フィリップは、アニエスと一緒に王城の夜会に出ていた。
自国の夜会にふたりで参加するのは初めてだ。
先にアレグロ王国の夜会に参加してしまったが、あれは無効でいいんじゃないかと思う。――あのときはダンスも踊らなかったし。
ペルトボール辺境伯家は王都に屋敷がないため、フィリップたちはミナパート公爵家に世話になっている。
母クリステルが嬉々としてアニエスを着飾らせて、兄嫁も一緒に観劇や茶会に連れまわしていた。フィリップは毎日付き合わなくていいと言ったが、アニエスに言わせれば「姉たちに比べたら全然」だそうだ。
今日のアニエスのドレスもクリステルが決めた。フィリップにはわからないので、余計なことは言わないようにしている。実際、アニエスは何を着てもかわいいのだから、フィリップは口を出す部分がない。
クリステルが選んだドレスは、明るい青の光沢のあるドレスで、裾が段になって広がっている。髪は結い上げていたけれど、いつもより華やかだ。修理してもらったあのオパールのブローチをつけていた。
アニエスは、今、学生時代の友人だという夫人たちに囲まれている。セシルとコレットもついているから大丈夫だろう。
「フィリップ、聞いているか?」
「ん? ああ」
アニエスを見つめるフィリップの横から、王太子フェルナンが声をかける。
「お前、ずっとマネジットを見ているなぁ。前は夜会で見かけても素通りしていただろ? 変わりすぎじゃないか?」
アニエスをなんて呼ぶかしばし迷ったフェルナンは、今まで通りの呼び方に決めたらしい。ペルトボールと呼ばれたら紛らわしいし、アニエスと呼ぶのは許しがたいから、フィリップも反対はしない。
「あのころは彼女に迷惑をかけたくなかったからな」
遠慮しないでいいのだと思ったら、たがが外れたようだ。
ふたりで話していると国王もやってきた。
「フィリップ。オリヴィエ王子の件はありがとう。ミュリエルが嫁ぐのに、大きな心配ごとがなくなって良かったよ」
「それは、アニエスに言ってください」
アニエスは、オリヴィエにもミドリーザ公爵にも恩を売っていた。
あの夜会の場はオリヴィエが整えた盤上で、王弟ランベールが何か決定的な行動を起こしたら即座に制圧されることになっていた。アニエスの安全が確保されていることは事前に聞かされていたが、フィリップは気が気ではなくメイドに連れられて行ったアニエスを追いかけ、オリヴィエとマクシミリアンに止められた。その際に作戦変更を聞かされていなかったことについて苦情を言っておいた――脅すような言動が多少出てしまったのは仕方ないと思う。
「私はほとんど何もできていないですね……」
「盗掘団を捕らえたのは君だろう?」
「そのくらいしかできていないじゃないですか。アニエスに頼られるような夫になりたいんですが、先は長そうです」
フィリップがそうため息をつくと、フェルナンが笑った。
「マネジットは王太子補佐官だったときより生き生きしてるんじゃないか? ミュリエルから聞いたが、オリヴィエ殿にひどい味のチョコレートを食べさせたんだって?」
アレグロ王国に出向いた名目がミュリエルからオリヴィエへの贈り物を届けることだったため、フィリップたちは今度はオリヴィエからミュリエルへの贈り物を預かってきた。
それを夜会に先んじて届けた際、ミュリエルはアニエスが事の顛末を話すのを楽しそうに聞いていた。
「マネジットが自由に振る舞えるのはお前の功績だろ。誇っていいんじゃないか?」
「『だめですか?』って上目遣いで聞かれると却下できないんだ……」
身長差があるからどうしても上目遣いになるのは仕方ない。アニエスがわざとやっているんじゃないのはわかっているが。
フィリップがうなだれると、フェルナンに背中を叩かれた。
「私はほとんど事後承諾だったから、可否を聞かれるなんて相当頼られていると見ていいぞ!」
王太子が笑って言うことか、と思いながらアニエスに目をやると、彼女はこちらに気づいて一瞬だけ微笑んだ。
周りの者が確かめるように何度も振り返るが、アニエスの笑顔はもう消えている。
自分は結構な頻度で妖精の笑顔に遭遇している気がする。
フェルナンの言うこともそれほど間違ってないのかもしれないと思うフィリップだった。




