閑話:農村お仕事デート
村に新しい辺境伯とその夫人がやってくる日、村人は皆、広場に集められた。
『新しい』といっても、ダンは『古い』辺境伯も夫人も見たことはない。新しく代わったのも今日知ったくらいだ。
広場に止まった馬車から降りてきたのは、大きな男性だった。
「辺境伯様? あの方が?」
「でけぇ!」
村人が皆ざわつく。
村一番のネスより大きいのだ。顔も怖い。
隣村に出た盗賊を辺境伯が退治したらしい。そう聞いたときは、辺境伯自身じゃなくて彼が率いた騎士団が退治したんだな、と思ったけれど、実際に見ると本当に辺境伯自ら退治したんじゃないかと思えてくる。強そうだ。
辺境伯が馬車の扉に向かって手を出すと、その手に支えられて夫人が降りてきた。
「うわぁー」
「お姫様みたい……」
また皆がざわつく。今度は感嘆の声だ。
夫人のきっちりまとめた髪は花びらみたいなピンクで、小さい顔は見たことがないくらい綺麗だった。
(妖精? 妖精と熊??)
辺境伯夫妻が並んで立つと違和感がすごい。
ダンの視線は、背丈の違うふたりの間を何度も往復した。
「新しくペルトボール辺境伯になったフィリップだ。こちらは妻のアニエス」
「よろしくお願いいたします」
夫妻が挨拶すると、皆がわぁっと盛り上がった。村で一番長生きのダンの曾祖父ですら、今までの辺境伯には一度も会ったことがないらしいから、こうやって村を訪れる辺境伯なんて滅多にいないのだろう。
「さっそくですが、今日この村に来たのは、収穫や取引の報告書の件です」
妖精みたいに綺麗な夫人が、にこりともせずにそう話し始めたから、皆がぽかんとした。
辺境伯は夫人の隣で、うんうん、とうなずいている。
「この村の代表の方は?」
「あ、はい。私です」
ダンの父が手を挙げた。
曾祖父が長老だから、なんとなくダンの一家が村をまとめる流れになっていた。
「報告書は書き方が決められています。今年からそれに従って記入してもらうことになります。そのことは知っていますか?」
「いえ、全く……すいません……」
「いいえ、大丈夫ですよ。今から覚えればいいのです」
「はあ……覚える……?」
頭をかく父に、夫人は「大丈夫です」と繰り返した。
「村ごとにひとりずつ報告官を選んでもらいます。その方には領都の辺境伯邸で報告書の書き方を学んでもらいます。その報告官が村に帰って、皆さんに指導したり、最終的に報告書をまとめたりします」
「報告官……」
「ええ。誰でもかまいませんが、読んだり書いたり計算したりが苦にならない方が望ましいです。文字や計算がわからなくてもやる気があるなら、同時に教えます」
文字が習えると聞いて、ダンは手を挙げた。
「はいっ! 子どもでもいいですか?」
「お、おい、ダン!」
父が焦った声を出したけれど、夫人はダンに返事をしてくれた。
「ええ。大丈夫ですよ。ひとりで領都に行くのが嫌じゃなければ」
「俺、行きたいです!」
きちんと文字を習ったら、作物の名前以外も読んだり書いたりできるようになる。
ずっと前に行商人が忘れて行った文字ばっかりの本が自分で読めるかも。
「いいですよ」
夫人はダンの希望を認めてくれた。
「他にいなければ、彼にお願いしますけれど、どうですか?」
「あの、本当に子どもでもいいんですか?」
父が聞く。
「私は構いません。ただ、今後は報告官の指示に従って報告書を書いてもらうことになるので、大人のあなた方が『子どもに教わるなんて嫌だ』と思うのなら、大人もひとり参加してください」
大人に変更しろ、ではなく、ダンともうひとり、と夫人が言ったことに、ダンはうれしくなった。
父や他の大人たちが顔を見合わせる。
ひとりが「俺はダンでいいと思う」と言うと、他の大人も認めてくれた。
こちらの話がまとまると、夫人はダンを見た。
「それでは、あなた、ダンと言ったかしら?」
「ダミアンと申しますっ!」
「では、ダミアン。あなたをこの村の報告官に任命します。秋までに正しい報告書が書けるように、一緒にがんばりましょう」
「はいっ!」
ダンは背筋を正した。
夫人は隣に立つ辺境伯を見上げた。辺境伯が何か言うと、夫人はふわっと微笑んだ。
えっ、と目を見開いたときには、夫人はもう真顔に戻っていた。
ダンは目をこする。周りの皆も同じようにしていた。
――夢だったのかもしれない。
そのあと、今までの報告書について、夫人がいろいろ質問した。
作物の名前が正式なものじゃないと言うのだ。
実際の作物を見て、統一された名前に直していく。
もう報告官だからと言われて、ダンは父と一緒に、畑の作物を確認する夫人について歩いた。
夫人の後ろには辺境伯がずっとついていた。日よけのつもりなのかな、と思ったくらい、ずっと後ろにいた。少し怖い。
夫人には、中年の男性と若い男性もついていた。管理官だそうだ。ダンは領都に行ったら、このふたりに報告書の書き方を習うと聞いた。
「どうして、『シーシィービーレズ小麦』じゃだめなんですか?」
ダンは思い切って、一番話しやすそうだった若い管理官ジルに聞いてみた。
「そういう決まりだからだよ」
「決まりだから、ですか」
ダンがそのまま繰り返すと、横から夫人が、
「そうね。例えば、あなたはこの村ではダンって呼ばれているわよね」
「はい」
「でも、私に名乗るとき、ダミアンだって自己紹介したでしょ?」
「はい。あ!」
「同じことよ。『シーシィービーレズ小麦』は愛称で、本当は『耐冷小麦三十五号』って名前があったの」
「でも、全然違いますよね」
ダンとダミアンはわかるけれど、『シーシィービーレズ小麦』と『耐冷小麦三十五号』は共通点が『小麦』しかない。
ダンがそう言うと、夫人はため息をついた。
「そうなのよね。なんでこんな呼び方になったのかしら。経緯が気になるわ。あなたのひいおじい様は長老なんでしょう? 何かご存じないかしら?」
「じゃあ、俺、領都に行くまでにひいじいちゃんに聞いて調べてみます!」
「ありがとう。楽しみに待っているわね」
夫人は真顔でうなずいた。
やっぱりあの笑顔は夢だったのかな、とダンは思った。




