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奥様はエリート文官【ネトコン12入賞・コミカライズ予定】  作者: 神田柊子
第二章 「奥様は……?」「エリート文官!」

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ペルトボール辺境伯夫妻、最初の朝

 フィリップは寝返りを打とうとして何かにぶつかった。枕を蹴飛ばしたか、と引き寄せると、なんだか柔らかい。形を確かめるべく撫でると「うーん……」と小さな声がした。

「っ!」

 女の声だと思った瞬間、フィリップは一気に目が覚めた。

 自分が胸に抱き込んでいるのはピンクブロンドの小さな頭だ。

 アニエスはまだ寝ていた。

 叫び声を上げそうになり、どうにか耐える。

 そっと腕を引き抜くと、フィリップは慎重にアニエスから離れる。ゆっくりとベッドから降り、天蓋の外に出たところで、フィリップは床に両手両膝をついた。

 カーテンの向こうが薄明るい。早朝だろう。

 ――そう、朝だった。

(俺は何をした? 何もしていない! いや、そういうことではなく!)

 初夜なのに先に一人で寝入ってしまった。

 アニエスはどう思っただろう。

 話があると言われていたのに、それすら守れなかった。

 フィリップは、やり直したいと心底思った。

 縁談の返事が来たとき、結婚式までは王都にいるように両親から言われたが、フィリップは治安悪化が気になり、辺境伯領に先行することにした。

 婚姻が成立する前に顔を合わせたら怖がられて破談になるかもしれないと不安になった、というのもある。

 その結果、結婚式と披露宴の準備を全てアニエスに押し付けた形になってしまった。

 それに気づいたのは、アニエスから確認の手紙が届いたときだ。アニエスは手紙に苦情は書いていなかったが、雑談の一切ない事務的な手紙を見た部下から、「これ、面倒なこと押し付けんなよってマジで怒ってるんじゃないすかね」「質問の後ろの空白に回答を書いて返送しろって形式ですもんね」と言われて、青くなった。求婚の経緯や自分の思いを伝えるのは今じゃないと考え、差し当って準備を任せてしまった謝罪だけを『その他に連絡事項があれば記入してください』の欄に書き添えた。

(アニエスが怒っているというのは、おそらく間違いだったわけだが……)

 彼女は楽しそうに準備を仕切っていた、と母から聞いた。

 誓いのキスのとき、ベールを上げたアニエスが綺麗で、想像よりもずっと背が低く戸惑っていたら、背伸びして口付けられた。

(それなのに、時間が押すと困るってなんだ?)

 嫌われてはいない。

 それは理解した。

 しかし、夫とも思われていない。

 フェルナンの言う通り、彼女にとって自分との結婚は仕事の一環なのだ。

 フィリップは、初夜の前にアニエスと話し合わなくてはならないと考えていた。それなのに、不覚にも先に寝てしまうとは。

(やり直そう)

 そうだ。初夜も、話し合いも、日を改めて領地でやろう。

 辺境伯領なら自分も逃げ場がない。それに、アニエスが帰りたくなっても簡単にはいかない。

 フィリップは領地を長く留守にしないよう、もともと結婚式の翌朝早くアニエスより先に出発するつもりだった。それはアニエスにも伝えてある。

 予定通り、と心の中で繰り返しながら、戦略的撤退もとい敵前逃亡を選ぶフィリップだった。


::::::::::


 アニエスが目を覚ましたのは、いつも通りの時間だった。大きく伸びをしてから、いつもと違って昨夜は隣にフィリップが寝ていたことを思い出す。

 しかし隣は空。シーツは冷たくなっていて、彼が起きてから時間が経っていることを示していた。

 支度のためにメイドを呼ぶと、フィリップがすでに領地に向けて出発してしまったと聞かされた。

「えっ? もう出発されたの?」

「はい。アニエス様はゆっくりいらっしゃるようにとのことでした」

 メイドは申し訳なさそうに眉を下げる。

 確かに、フィリップはアニエスより先に領地に戻るために騎馬で先行すると聞いていた。それでも少し話をする時間は取れると思っていたのに。

(起こしてくださっても良かったのに)

 気を使われたのだろうけれど、アニエスは早朝に起こされるよりも必要な連絡や報告がなされないほうが嫌だと考えるタイプだ。

 姉たちやポーラなら容赦なく叩き起こしたと思う。コレットも今なら遠慮なく起こしてくれるけれど、知り合った当初だったら遠慮があったかもしれない。これが、長年の慣れがあるかないかの違いってことかしら、とアニエスはひとり納得する。

(これが、お母様のおっしゃっていた『ふたりにとって良い夫婦の形を見つけなさい』ってことね)

 アニエスはそう思いながら、この案件を頭の中の『長期的な課題』の箱に押し込んだ。――要するに後回しにした。


 荷造りは昨日以前にすませてあったので、朝食を取ってすぐにアニエスは出発することにした。

 義理の両親になったウジェーヌとクリステルが玄関まで見送りに出てくれる。

「アニエスさん、フィリップと結婚してくれてありがとう」

「いいえ、お義母様。私のほうこそありがとうございます」

「全くあいつは、こんなときにも先に出立するなど」

「お義父様、私は気にしておりませんから」

 クリステルはアニエスの両手をぎゅっと握る。

「何かあったら、いつでも相談してね。私たちが力になるから」

「ああ。フィリップに見切りをつける前に、相談してくれ」

「え、ええ。何かあれば相談させていただきます……?」

 文官時代の議会の質疑応答などから血も涙もない女とでも思われているのだろうか。冗談とも思えない心配のされ方に、アニエスは顔をこわばらせながらうなずく。

(見切りをつけられるのは私のほうかもしれないし、先のことはわからないわ)

 ふたりに挨拶して、馬車に近づくと、結婚式にも参列してくれていたコレット・ランドルクと、王城で護衛をしてくれていたセシル・ヘリターが立っていた。セシルはなぜかメイドの格好だ。

「え? ふたりとも、どうしたの? 見送りに来てくれたの?」

「ずっと秘密にしてたけれど、私、大奥様の元で侍女修行してたのよ」

 コレットがそう言うと、セシルも、

「私はメイド修行していました!」

「え? それってもしかして」

「アニエスについて行くためにね」

「本当に?」

 アニエスはふたりに駆け寄る。

「いいの? 辺境よ?」

「もちろん。だって、アニエスがいないと王宮メイドも楽しくないのよ。それに、アニエス版『あいはて』を特等席で鑑賞できる機会は逃せないわ!」

「結局それ? でも、うれしいわ! ありがとう!」

 侍女は、貴族令嬢や夫人の付き添いや話し相手がメインで距離も近い。他人の目があるときは一線を引かないとならない場面もあるだろうけれど、辺境で過ごす分には今までと同じような関係を保てると思う。

「私も、アニエス様の護衛メイドが楽しかったので」

「セシルもありがとう!」

 ひとりで向かわないとならないと思っていたところだったから、頼もしい仲間がふたりもできて、アニエスはうれしく思った。

 そうしていると、「奥様、ご挨拶させてください」と声をかけられた。

 辺境騎士団の黒い制服を着た騎士がふたり。

「エリク・バニックと申します」

 濃茶の髪の青年が敬礼をした。アニエスと同じくらいの年だろう。

「ブリス・メゾラダ、二十二歳です!」

 もうひとりは年も教えてくれた。人懐こそうな笑みだが、フィリップに負けないくらい縦にも横にも大きく厚みもある体格だ。

「初めまして、アニエスです。辺境伯領までの護衛、よろしくお願いします」

「奥様、丁寧に話していただかなくても大丈夫です」

「あら、ありがとう。それならそうさせていただくわ」

「私たちは元第三騎士団の騎士です。フィリップ様が副団長になる前からの部下で、我々以外に元副官と私の同期と、四人が第三からついて行きました」

 エリクが話してくれる。

「それなら、フィリップ様はそのふたりと一緒に戻ったの?」

「いいえ、副官は領地に残して来たので、供はひとりだけです」

「まあ、大丈夫なの?」

 アニエスのほうは荷馬車――クリステルが用意してくれた服が荷物の大半だ――もあるため、公爵家の護衛もさらについて来てくれる。

「団長ひとりいれば、俺ら三人くらいの戦力なんで、全然余裕っすよ」

 アニエスの心配に、ブリスが親指を立てた。

「それならいいけれど」

 とアニエスはうなずいてから、

「ちょうどよかったわ。聞きたいことがあるの。本当はフィリップ様とお話する時間があれば良かったんだけど、もう出発されたと聞いたから……」

「ゆうべは話する暇なんてなかったっすか?」

「おい、ブリス!」

 ブリスはからかおうとしたのだろうけれど、アニエスは何も考えずに普通に答えた。

「そうね、フィリップ様はお疲れだったみたいで、私が寝室に入る前に寝てらしたわ」

「ええっ!?」

「やっぱり『あいはて』じゃない!」

 前の騎士ふたりも、後ろのコレットとセシルからも驚かれたが、今その件はどうでもいい。

「あの、奥様。団長は、領地でもずっと忙しく飛び回っていてですね……」

 取りなそうとするエリクに、アニエスは、

「大丈夫よ。わかっています。私も疲れてたからちょうど良かったわ」

「ちょうど良かった……?」

「そんなことより、質問していいかしら?」

「そんなこと……?」

 エリクもブリスも戸惑い顔だ。

「質問しても?」

「は、はいっ!」

「どうぞどうぞ」

 アニエスは「ありがとう」と礼を言ってから、

「フィリップ様は屋敷の方は整えていらっしゃるかしら?」

「あー、全然まだっすね。騎士団にかかり切りって感じです。団長も騎士団の寮で生活してますし」

「それなら使用人もまだ採用していないの?」

「団長は採用していませんが、前から勤めている家政婦長と執事と、メイドが何人かいたと思います」

「ああ、そうなのね」

 暫定の直轄領は、屋敷の管理費が支給されるから、そこから給料を出しているのだろう。

「管理官には会ったことがある?」

「管理官? って、ああ。あの離れのおっさん」

「中年の男性、でした。一度、団長に挨拶に来ていました」

 騎士団はフィリップが見てくれるだろうが、それ以外は領地に行って確認してからになりそうだ。

「わかりました。ありがとう。それで、治安の方はどうなのかしら? 盗賊が出ているんですって?」

 アニエスがそう聞くと、ふたりは顔を見合わせた。

「任務上の秘密などで答えられないなら、それでも構わないわ」

「そういうわけではないのですが……。実態がつかめず、難儀しておりまして」

「申し訳ありませんっ!」

 ブリスが勢いよく頭を下げるのに、アニエスは首を振った。

「謝ることではないわ。そちらはフィリップ様や騎士団にお任せすることになると思うから。ただ、私が何も知らないままというわけにはいかないので、情報共有の手順や程度は、また改めてフィリップ様にご相談することにします」

「あ、はい……? 情報共有……?」

 首をかしげるブリスの隣で、エリクは神妙にうなずいていた。

 アニエスは聞きたいことだけ聞き、言いたいことだけ言うと、「さあ!」と手を叩く。

「そろそろ出発しましょうか」

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