『速記修行者、ばくちに負けて売られること』
京のほうから東国に修行に来た速記者が、武蔵国にとどまって、『速記が書ける』などを読み聞かせて教えていたが、ばくちで負けて、『速記が書ける』どころか、我が身までもとられてしまった。勝った男は、この速記者を、陸奥国に連れていって、売り飛ばすことにした。これを聞いた、面識のない男たちが、気の毒に思って、手持ちの原文帳を出し合って、勝った男に差し出し、身柄と引き換えてくれるように頼んだ。勝った男は感心して、では、半分だけちょうだいしましょう、といって、男の身柄を自由にすることを約束してくれた。助けてくれた男たちが、私たちは小谷式の速記者なのだ。見たところ、早稲田式速記の修行者とお見受けするが、今後は、小谷式の修行にお励みなさい、と言うと、早稲田式速記の修行者は、涙を流しながら、私は早稲田式速記の修行者だ。たとえ陸奥国に売られようとも、『速記が書ける』を捨てて『V式でらくらく合格速記入門』を手にすることはできない、と言ったので、小谷式速記の速記者は、興ざめになり、原文帳を出してやるのをやめてしまったので、男は、改めて、借金のかたに、陸奥国へ売られていくことになった。
教訓:男が売り飛ばされたのが陸奥国であるのは、日本の速記の創始者、田鎖綱紀が陸奥国(陸中、岩手県)の出であることを踏まえてのことか。早稲田式速記修行者は、V式(旧小谷式)を初めとして、単画式にあこがれを持っており、男の涙は、単画式へのあこがれをかみ殺しているのだと思われる。早稲田式速記のテキスト『速記が書ける』(川口晃玉著)を教えていた男が、『V式でらくらく合格速記入門』(小谷征勝著)の書名をすらすら言えるところが、いかにもあやしい。