滅びる前の世界⑥
とぼとぼと歩きながら、中央塔の出口に続く通路へ差し掛かった時、アーサーがリウラの前に割って入り、その足を止めさせた。
「あー、ストップ。出るなら暫く待っててくれ」
「……? 何かあったのか?」
耳をすませば、出口の方から大勢の喧噪のような声が聞こえる。
制止するアーサーを引きずりながら出口の方を覗き込むと、アーサーの部下である警備兵たちが、大勢の民衆を敷地から外に出そうと奮闘していた。
「心力の独占をやめろー!」
「富裕層のみならず、下町の者にもっと余裕のある心力の分配をー‼」
どうやら、レイルの政治に不満を持つ、下町の者たちが起こしたデモ活動らしい。
掲げているプラカードには、心力の基本配布量の見直しを願うものや、王座を譲らずにずっと心力の分配権を掌握し続けるレイルに対しての不満を挙げたものが見受けられる。
違うんだ皆。レイルだってそうしたいんだ。それができないから苦しんでいるんだ。
今のリウラに、目の前の光景はあまりに胸が痛い。
飛び出そうと身を乗り出した時、リウラのマントを力強く引っ張って、アーサーがそれを阻止する。
「馬鹿! お前が行くと事がややこしくなるだろうが! 引っ込んでろ!」
「しかし、黙ってみておれん! レイルだって皆の生活を良くしようと必死だ! 必死に頑張って今が限界なんだ! それを皆に理解してもらわねば——」
「んなことわかっててあいつらは文句言ってんの!」
わかってるのに何故文句を言いに来るのだ。
説明を求めるよう睨むリウラに、アーサーは呆れたように息を吐いてから続けた。
「あいつらのプラカード見ろ! 不満は上げても、改善案なんか書いちゃいねえ。皆知ってんだどうしようもないってことは! でもそれを黙って受け入れてちゃ、自分の尊厳を保てねえから、わざわざ意味のねえ文句を大勢で言いに来ているんだ!」
「……!」
アーサーの言う通り、プラカードのみならず、王の間へ向けて飛ばされるヤジも、レイル政権へ不満や、心力の分配量を見直すように求めるものばかりだ。そうしたことで世界がどう良くなるのかなんて誰も説明できてはいない。
要は不満や要望をデモという形で発散しているだけだ。
やりきれない表情でデモ隊を通路の影から見つめていた時、一枚のプラカードが目に入った。
『リウラを王にしろ』
その一文が目に入った時、リウラはデモの光景から逃げるように通路に身を引っ込め、壁に背を当てながら、力なくその場で座り込んだ。
身を小さくし、背中を丸めたリウラに寄り添う形で、アーサーもその場で身をかがめた。
「真に受けんなよ。別にお前じゃなくたっていいんだ。お前が王になってどうしようもなかったら、手に平返して、別なやつを王にしろって言うんだ。あいつらは」
「……俺はどうしたらいい」
「どうしたらいいって話じゃなくて、そういうもんだって話なの」
諭すようなアーサーの言葉が、逆に胸に刺さって辛い。
「秩序がなかったら1年生きれるか怪しかった雑魚が、取り敢えず10年生きられる世の中になったんだ。そんな中で俺みたいな『他人を護れるだけの雑魚』や、ファルモーニみたいな『歌えるだけの雑魚』に長生きできるチャンスができた分、平和だよ。それでいいじゃねえか。もう改善していくんじゃなくて、受け入れていくフェーズなんだよ。今の世界を」
「……」
「だからあまり駄々こねんな。……デモが収まるまでここにいとけ。俺は仕事してくるからよ」
よっこらせ、と気だるげにアーサーが立ち上がり、のそのそとデモの群衆に向かって歩いていく。
「はいはいはい! 性懲りもなくまた来やがって! 本気で政権に不満があるなら、武器でも持ってきてクーデター一つでも起こしてみろってんだ!」
大きな盾で、大勢の群衆を真正面からアーサーが押し返していく。
アーサーに続いて警備兵たちも、ゆっくりとデモの群衆を中央塔から押し返し始めた。
「うるさい、王の犬め! 俺たちが10年しか生きられないのは、今の王のせいだ‼」
「その10年を、100年にも1000年にもできるやつもいるんだ。王のせいにするな」
ブーイングを受けながらも、アーサーは群衆を傷つけないように、丁寧に中央塔から引き剥がしていく。
「自分の人生、人のせいに出来る程度の温い生き方してきた奴らが、偉そうに文句だけたれに来てんじゃねえよ。ほら! さっさと帰って働け!」
こういう時に、レイルの盾となって汚れ役に徹するのは、決まってアーサーだった。
文句を言うだけ言って、何もできないリウラは、鏡を見ているようで、デモ隊の群衆たちの様子は真っすぐと見ていられなかった。
デモが収まるまで、リウラは外の喧噪から体を背けながら、誰も通らない通路で一人、膝を抱えていた。
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デモが収まった後も外に出る気にはなれず、何も考えないまま、リウラは来た道を引き返した。
そして、行く当てもなく、なんとなしに王の間の前まで来てしまった時だった。
「レイル様。いつもにましてお疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「……ああ、気にするな。いつも心労をかけてすまないな、スカーレス」
レイルの傍にいるのは、ラクナと共に、皆の心力の管理業務に従事している、スカーレスという者だ。
レイルに対して、高い忠誠心を抱いており、仕事の合間を縫ってはレイルの様子を機にかけ、顔を出している。
「……お茶でも入れてきましょうか? 少し息抜きをするべきです」
「嗜好品は民に回してやれ。私が嗜好品を嗜んでも、要らぬ反感を買うだけだからな」
レイルは王になってから、自分の為に心力を利用して買い物をしたり、食事を嗜んだりしたことはない。
生きるために必要な最低限の心力を貰った後は、心力に苦しむ下町の者の支援に宛てている。
リウラを窘める手前、公にはしていないが、レイルが身を削って世界の維持に尽力していることをラクナもスカーレスも知っていた。
「……まあ、疲れていたのは事実だ。少し休息をとるとしよう。一人にしてくれないか?」
「……ごゆっくり」
スカ―レスの心配を汲んだ提案に、スカーレスは深々と頭を下げ、王の間を後にした。
出てくるときにリウラと目が合った。
スカ―レスはリウラを睨んでから、その場を何も言わずに立ち去っていく。
スカ―レスの姿が見えなくなった時だ。
「——疲れた」
弱弱しく、重いレイルの声が、王の間から聞こえてきた。
何に疲れたか。
全てにだろう。
先の無い世界にも。
その世界で秩序を守る立場にも。
不満を一手に引き受ける責任にも。
その責任を任せられる後継ぎがいない現状にも。
何もかもだ。
俺も皆も、全部背負わせてしまっている。
そんな罪悪感に狩られ、リウラは王の間へ足を伸ばそうとして——
「……」
やめた。
行ったところで、何ができるわけでもなかった。
結局自分は、今の世界で皆の願いを叶えることも、レイルの代わりに王になることもできない。
いくら気持ちだけ慰めたところで、無駄なんだ。
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アーサーが言っていた。もう受け入れていくフェーズなんだと。
その言葉に反論できなかった。だからわかっていたんだ。ここがもう、今の世界の限界なんだと。
皆で永遠を生きることなど叶わないんだと。
変化が必要だ。
この世界の在り方を変える大きな変化が。
少なくとも、それを起こせる可能性は空にある。
空に渦巻く、虹の渦。その中には大量の心力がある。
そして、それを制限する力を持った何かも同時に。
その何かが、俺たちの世界に希望をもたらすものであってくれ。
デモが行われた数日後、リウラは監視の目を縫って、空に渦巻く虹の渦の中に【次元跳躍】を使って忍び込んだ。