意志と選択
結が帰ってから、聖也はまた布団の中に包まって、時が過ぎるのを眺めていた。
布団に入る前に、冷蔵庫に入っていた麦茶を何となく飲んだ。
飲まず食わずでいた中で飲み物を飲む気持ちになったのは、死にたくないという生き物としての本能がそうさせたのか、結の言葉に思う部分があったのか、その時は分からなかった。
夕暮れから夜へと差し掛かる時間帯。
玄関からガチャガチャと慌ただしい音がして、ドアが勢いよく開けられた。
「聖也!」
肩を置きくゆらしながら、ビジネススーツを着込んだ女性が、聖也の顔を覗き込む。
「義姉さん……? 何で? 出張に行ってたんじゃ」
「おかしな様子で学校を出ていったまま、連絡が取れないって先生からきたから、帰ってきたのよ! ごめん、新幹線が遅れちゃって……!」
息を荒くしながら向かい合う義姉―― 成神美月の姿に、聖也は目を丸くする。
余程急いできてくれたのか、着ているスーツは乱れていて、体は汗だくで白シャツから肌が透けて見えていた。
一週間ほど出張に行くと言って、まだ2日しか経っていない。
どうやら無理に仕事を切り上げてくれたらしい。
――僕はまた誰かに迷惑をかけてしまったようだ。
「職場に……義姉さんに迷惑かけてごめんなさい」
「職場なんかどうにでもなるわよ。それより何かあったの? 話せる?」
美月が優しく肩を掴む。心配そうに見つめてくる視線に負けて、聖也はボソボソと口を開いた。
「……『サモナーズロード』ってゲーム、知ってる?」
「…………ごめん、わからない」
「じゃあ話せない。話しても意味がない」
更に深く俯く聖也。
美月は少し考えた後、質問を変えて話を続けた。
「何に悩んでる?」
「…………生きてていいかどうかわからない」
答えが返ってきて嬉しかったのか、美月は優しく微笑んだ。
「僕のせいで父さん母さんが死んで、義姉さんが僕を引き取ってくれて……、それ自体には感謝しているけど、でもそれは義姉さんのお金とか、自由とかを奪っているんじゃないかって、思っている。せめてお金の面だけでも尻ぬぐいができないか考えて入ったプロチームは、僕が試合で使えなかったから、迷惑かけた。……そして、僕が判断を、間違えたせいで……友達が、……消えた」
友達が消えた、という部分が理解できなかったのか、美月は一瞬眉を顰めたが、聖也が言葉を全部吐き出すのを待った。
「僕があのとき飛び出さなきゃ、父さん母さんは死ななかった。……義姉さんの時間を奪うことはなかった。僕がお金の為プロチームに入るなんて決めなきゃ、チームの皆は迷惑しなかった。僕が話を聞いてあげていれば、僕の友達は、今も近くにいた。……僕のしたことの尻拭いを、僕の大切な誰かがやり続けている……! 僕は、僕は」
聖也の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ始めた。
「皆が生きる邪魔ばっかしてる……‼」
今まで感じていた罪の意識が、大粒の涙となって溢れ続けた。
みっともない声を上げて泣き続ける聖也を、美月は優しく抱きしめた。
スーツ越しに感じる美月の体温が暖かかった。
聖也が泣いて、泣いて、泣きつくすまで、美月は何も話そうとしなかった。
「話してくれてありがとう」
涙が落ち着いてきたときに、美月が抱きしめるのをやめて、聖也の姿勢を真っすぐと正した。
「ねえ聖也。私があなたの犠牲になっているように見える?」
聖也は少し考えてコクリと頷くと、美月が困ったように笑う。
「そう思うのはきっと、あなたが自分を大切にしてないからよ」
美月が聖也を強く抱きしめる。
「義務感とか同情なんかであなたを引き取ったりしない。姉さんの代わりに私が育てたいって思ったの。私からあなたへ……皆からあなたへの愛は、皆が自分自身で選んだこと」
「……選んだこと?」
「誰かが自分で決めたことに、あなたが責任を感じる必要はない。……でもあなたは誰かの幸せを思う一方で、あれをしなきゃとか、こうしないととか、自分の選択を誰かのせいにするような生き方になっていない?」
「……そんなことは」
「ない、って言いきれる? それならあなたはもっと胸を張って生きているはずよ」
否定したかったのに、言葉に何も返すことができなかった。
「もっと自分に正直になりなさい。自己犠牲的に皆を助けることがあなたにとって――あなたが大好きな皆にとってのベスト? 聖也は苦しい道を選ぶふりして、自分の意志で何かを選ぶ責任から逃げていない?」
優しく心を擦りながらも、諭すような声で美月は語り続ける。
「どうすべきじゃなくて、どうありたい? どんなことが起こっても、大切にしたいあなたの意志は何?」
「意志……?」
「生きる自信も、幸せも。あなたの意志と、選択の先にあるわ」
言いたいことを全部言い終えた美月は、聖也を抱きしめるのをやめ、にっこりと向かい合う。
「わからないや……」
「今はまだ、ね。じっくり悩みなさい」
暗い部屋の中、美月の後ろのドアから洩れる、廊下の明かりが眩しく見えた。
胸の痛みは柔らかくなったのに、不思議と涙は溢れ続けた。
部屋の闇の中真っすぐと自分を見つめる美月の瞳は輝いて見えた。
どう生きたらそんな目ができるようになるんだろう。
女々しく鼻をすする聖也の背中を、活を入れるように美月がバシバシ叩く。
「まずはエネルギー補給! その顔だと何も食べてないでしょ? 前向きに悩むのは腹ごしらえの後でってね!」
聖也が何も食べてないことを予測していた美月は、あらかじめ大量のコンビニ弁当を買ってきていた。得意げに弁当が詰まったビニール袋を掲げて見せる。
レンジでチンして食べたお弁当の味が、手作りじゃないのに真心を感じたのは初めてだった。
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「見違えたな。聖也」
ご飯を食べ終えて部屋に戻ると、リウラが生首で床に鎮座していた。どうやらリウラ自身の意志で実体化ができるようだ。
自分がどんな顔をしているかはわからないけど、さっきまでより目元がしっかりと開いているのは確かだ。
「俺ではお前を励ますことができなかった。素晴らしい友や家族を持つお前が羨ましいぞ」
「リウラ……」
リウラは記憶喪失だと言っていた。自分のことさえも分からない中、自分を励まそうとし続けてくれていたことに、今更ながら申し訳なくなる。
「ごめん……一人で勝手にふさぎ込んで」
「気にするな。お前が混乱するのは当然だ。……立ち直って早々なんだが」
リウラが聖也のデスク上にあるスキャナーに視線を配る。
「次のゲームが迫っている」
スキャナーの画面で、1:56:42.34……とカウントダウンが進んでいる。
次のゲームは約2時間後。
2時間後に聖也は命を懸けた――いや、『存在』をかけたデスゲームに駆り出されることになる。
「戦うことはできるか?」
「……それは、わからない」
戦うってことは、誰かの存在を奪うということだ。相手のライフが1だった場合、その人は存在が消えてしまう。
自分が襲われたとき、自分が消えそうになった時、ライフを奪う選択肢を取れるかは、今の聖也には決められない。
「だけど、ゲームのことは知りたいと思う。生きて生きて、生き延びて、ゲームの真実を突き止めるまで、僕は死にたくない」
「……うむ、今はそれでいい」
欲しかった答えと違ったのか、リウラが少し考える素振りをしてから、リウラ自身を納得させるように頷いた。
「まずは生き延びるぞ。聖也よ」
カウントダウン10分前、聖也は服を着替えてスキャナーを腕に装着し、開戦の時を待った。
不思議と気持ちは落ち着いていた。
――義姉さんの言っていた生きる自信なんてまだわからない。だけど義姉さんは言っていた。じっくり悩みなさいって。
――悩むためにはこんなゲームで消えるわけにはいかない。
カウントダウン終了とともに、聖也は因縁の戦場に再び降り立った。