獅子里 豪(ししざと ごう)という人間
響子に呼び出され、案内されたのは進路指導室だ。
基本的に、用もなしに立ち入る生徒も教師もいないので、人に聞かれたくない話をするには、うってつけの場所である。
「豪の顔の怪我。あれお前だろ」
席について開口一番に指摘され、聖也は思わず噴き出した。
そのリアクションを、響子は肯定の意で受け止めたようだ。
「やっぱなー。本人は転んだって言ってたけど、転んでできる怪我じゃねえもんアレ」
そこから自分という人間に線を結びつけるまで、どういった考察が行われたのだろうか。
いずれにせよ、この先生勘が鋭すぎる。
聖也が観念したように、恐る恐る頷いた。
「ま、とりあえず経緯を聞こうか」
「……実は」
こうなっては、しらを切っても無駄だろう。
ゲームのことを上手く誤魔化しながら、聖也は豪とのやり取りを説明した。
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「ダ―ッハッハッハ‼」
そして聞き終えた響子が、堰を切ったように大爆笑した。
笑って良いのか。あんた教師だろ。
聖也がどう反応して良いかわからず、困惑した様子で固まっている。
「お前喧嘩強かったんだな~」
「普通、僕の暴力を怒るところじゃないんですか……」
「いや、それはそうだけどさ。向こうも殴られるだけのことはしてたわけだし……!」
呆れる聖也をよそに、響子が口を押えてクククと笑いをこらえる。
「……あの、先生」
そんな担任に、聖也は少し間をおいてから、真剣な表情で向かい直った。
「教えてくれませんか。豪の事」
「……豪の事って?」
「全部。何でもいいから、知ってること」
聖也の質問に、響子は調子を整えながら、態度を改めて顎に手を当てて考える仕草をした。
響子からすれば、本人の許可も得ず、明け透けと人の事を話して良いものか悩んでいるのだろう。
それは聖也も分かっているのだろう。「話しにくいかもしれないけど……」と、前置きをしてから聖也は続ける。
「豪って人間を知らないと、どうしていいかわからないんです。仲直りするとか、しないとか。……そのほかの事とかも」
自分の知らないことが原因で、今の関係が起こっているのなら、その原因について知らなければどうすることもできない。
それがどんな内容であるにしても、アクションを起こすためには、知らなければならない。
聖也の神妙な様子に、響子は観念したように小さく息を吐き、「私が話したことは内緒な」と笑う。
「聖也、お前から見て、豪はどう映る?」
「え? どうって……」
突然の質問に戸惑いながらも、響子の質問に答えようと、眠さではっきりしない頭を働かせる。
「口の悪いスポーツマン崩れ……とかかな」
違っちゃいないな。と響子が苦笑する。
「それに加えて、誰よりも負けず嫌いで、誰よりも努力家な人間だと私は思ってる」
「努力⁈ 豪が⁈」
負けず嫌いはそうかもしれないが、努力だなんて、そんな素振り見たことない。
嘘だ、と言わんばかりに口を開ける聖也に、そういう反応になるよなあ、と響子が返した。
「努力っつっても、コソ練するタイプのな。あいつ人前で努力するの嫌いなのよ。勉強の質問も、誰もいなくなった放課後とかにこっそりしてる。……おかげでテスト期間は残業確定」
残業のことを思い出したのか、響子が少し遠い目をしながら、乾いた声を漏らす。
「なんでそんな手間なことを……」
「比較されたくないのと、底を知られたくないから」
聖也の疑問を予知してたのか、響子が声をかぶせた。
「父は世界でも名を轟かす実業家。母は有名な舞台女優。あいつの3つ上の兄は、若くして海外のプロリーグで活躍するサッカー選手だ。何をするにしても、幼少期から同年代だけじゃなくて、身内に比較されて育ってきた。あいつの母さん言ってたよ。前は明るい性格で、あんな捻くれてなかったって」
聖也も、豪の家庭の事情は聞いたことはあった。
凄い家系だな。という感想が浮かんだだけで、それ以外の感想は浮かばなかったが。
「豪は豪だから、比較してくる奴らなんて放っておけばいいのに」
「お前に見たいに割り切って考えられる方が少数派なんだよ」
そうかなあ、と天井を仰ぐ聖也に、響子が優しくチョップした。
「学校に行けば、嫌でも他人と成績を比較されて、同じカリキュラムを受けさせられる。比較しない方が難しいのさ――他人のことも、自分のことも。あいつはどんなこともそつなくこなすが、家族のように、何かに特化した人間じゃない」
「器用貧乏ってことですか」
「言ってしまえばそう。だからお前が羨ましいし、ムカつくんだよ」
響子の言葉に、聖也が首をかしげる。
「勉強も運動も何でもできて、プロゲーマーっていう、スペシャルな個性まで持っているお前が。何でも持っているくせに、本気で生きてないように見えるお前が」
「本気で生きていないって、そんなことは」
「聖也。私と結以外に、両親の事……誰かに話したか?」
被せるような響子の質問に、聖也はハッと言葉を失った。
「お前も豪のこと知らないけど、豪もお前の事、知らないんだよ」
豪の眼に、自分という人間はどう映っていただろう。
両親を失ってから、誰かの邪魔にならないよう、どんなことでも一人前にこなせるよう、努力してきたつもりだった。
だけど両親のことも、そんな自分の背景も、豪は知らない。
学費の為と言って勉強をこなし、金の為と言って、プロの世界に興味はないくせに、プロゲーマーになった自分。
見方を変えれば、本気にならなくても、自分が望みさえすれば何でも叶えられるような、特別な人間に見えなくもないだろう。
だからといって、自分が悪口を言われる筋合いはないが、嫉妬や悪態の背景は、全く理解できないわけじゃない。
黙って考え事をする聖也に、響子が続けた。
「あいつはオンリーワンな存在になりたいのさ。でもオンリーワンと、スペシャリストを勘違いしてしまっている。無意識の内に、自分と誰かを比較している。オンリーワンは生き方の話であって、誰かと比べた才能の話じゃない」
「生き方……ですか?」
「何を大切にし、叶えるためにどう行動するか。周りがどうとかじゃない。自分の意志に、選択に揺るがない軸を持つこと」
「【意志と選択】……」
かつてリウラが教えてくれた言葉が、ふと口から洩れた。
「それ……教えてあげないんですか?」
「今私が教えても、意味がないんだよ」
豪のことを思うなら、成長のきっかけに教えてあげればいいとは思ったが、響子からすれば、まだその時じゃないみたいだ。
「教師の仕事は水を与えることであって、種をまくことじゃない」
あいつに準備ができたら、その時話す。
そういって響子は、ポケットから飴を取り出して口に頬張った。飴を口にしたということは、ここで話は終了ということだ。
「話してくれてありがとな。……ほら」
響子が聖也に飴をパスする。
カフェイン成分が含まれた、ミント系の口元がすっきりする飴玉だ。
口に頬張ると、ミントの清涼感が、はっきりとしない頭を目覚めさせてくれる。
「何してるか知らんけど、あんま無理すんなよ」
どうやら、疲労困憊の自分をねぎらってくれているらしい。
聖也は飴玉を舐め切ってから、進路指導室を一礼と共に後にした。




