隠密作戦と最強の召喚
「グルオオオオオオオオオオオオ‼‼」
カウントが5になった時、下の階からけたたましい咆哮が響いてきた。恐らく松田が召喚した契約戦士のものだ。
この聞き覚えのある遠吠えは【影狼 ウィンガル】———匂いや音で相手の位置を把握し、陰で生み出した分身体とともに、鋭利な爪で得物を追い詰めるキャラクターだ。
(読み通り……!)
聖也はレジの台の下で、心の中でガッツポーズを決める。
匂いや音での索敵に対策を絞った聖也は、まず【砲・ウォーター】のカードで自身を水浸しにし、匂いを薄めた。水道水のようにカルキ臭が混じった水だった。
そして【煙・白煙】のカードで煙幕玉を召喚し、それを天井に設置してある火災報知機に向かってぶつけた。6階一帯を埋め尽くすかの如く、勢いよく煙が発生したとほぼ同時、スプリンクラーの水が勢いよく放射され、階全体に水を勢いよくばらまき始めた。
煙幕は水のせいか、ほどほどの時間で消えてしまったが、真の狙いはスプリンクラーの作動。
どこかの階でスプリンクラーが作動すれば、建物全体のスプリンクラーが作動する仕組みだったこと。スプリンクラーは、煙が収まってもしばらくの間水をまき続けるシステムなのは、マップの特徴として把握していた。(たしか建物に閉じこもっている敵を、建物ごと焼いて戦わず勝利するコスい戦法が流行った際の、対策アプデだったはずだ)
振り続けるスプリンクラーの水で、聖也の匂いは極限まで薄まり、床を跳ねる水の音は、聖也の呼吸音を消してくれる。
ウィンガルの得意とする聴覚、嗅覚に頼った索敵を一気に対策した形となる。
だが、一方で聖也は完全にこの場から動けなくなった。
匂いが薄まったとは言え、ウィンガルの鼻はかなり効く。
聖也の匂いでもカルキの混じった水の香りでも――何か動くにおいが存在していたら一発で居場所がばれてしまうし、水浸しのフロアを移動すれば、移動したときの水音を聞いて飛んでくるかもしれない。
つまり聖也はこの場で7分間見つからないよう、レジ下で座して祈ることしか出来ないわけだ。
下の階で大きな破壊の音がした。ドゴオン‼ という破壊の音に混じって、ゴロゴロと瓦礫の転がる音や、硝子の砕ける音、棚や机などのインテリアが破壊される音が響き渡る。
どうやら手あたり次第辺りを破壊しながら、上ってくるつもりらしい。
(念入りにフロアごと調べてくれるなら好都合……‼)
狙い通りに事が進む半面、1階ごとに迫ってくる破壊音に、心臓の音が高鳴った。
今建物内で行われている破壊行動。壁を抉るような強力な攻撃が自身に向けられたら?
そもそも完璧に匂いは誤魔化せているのか? 相手が丁寧に1階ずつ調べてくれる保証は?
1分1秒がとても長い。唇を噛み、心臓を強く手で押さえて、聖也は俯いたまま時が過ぎるのを待つ。
1階、1階と確実に敵は迫ってくる。
リウラのカウントはまだ溜まっていない。死神の鎌がゆっくりと喉元をなぞるような感覚に、思わずつばを飲み込んだ。
そして、松田が6階に到着した時だった。
「……ようやく観念したか」
フロアの中心に立つ聖也を見て、松田が安堵の笑みを浮かべた。
ようやく見つけた得物を目に、ウィンガルがグルㇽと低く喉を鳴らした。
全長5メートルはあろう漆黒の巨体。細めの胴体とはアンバランスに太く強靭な四肢。闇の中で鈍い光を放つ鋭利な金の爪。
ゲームでは何度も見かけた存在だが、こうして実体となって目の当たりにすると、人間を越えた圧倒的な存在としてオーラを放ってくるように感じる。
万が一にも、戦って勝ち目のある相手じゃない。
「観念……? 違うね。隠れる必要がなくなっただけさ」
だがそれは、聖也が戦えばの話。契約戦士召喚に必要なカウントは既に溜まりきっていた。
「見せてもらおうじゃないか‼ 伝説の戦士の力を‼」
聖也はリウラのカードを勢いよくスキャナーにスラッシュした。
目の前に巨大な魔方陣が発生し、魔方陣から溢れ出す巨大なエネルギーに、ゴゴゴゴと空気が震えだす。
「伝説の戦士⁈」
「カウント12‼ 【戦神 リウラ】‼」
名前を呼ぶと同時、轟音と共に視界がスパークし、散らばった光が魔方陣の中心に収束し、形を取り始めた。
「「「…………………」」」
そして、光が晴れ、現れたキャラクターを――ゲーム中最強と謳われた伝説の戦士を、聖也たちは見下ろした。
これは……そういうキャラクターなのか?
現れたのは長く雄々しい黄金の髪を携えた、宝石のように深い赤と緑の瞳を持った、褐色の男だ。
凛とした切れ長の瞳は凛々しさとともに妖艶に魅力を持ち合わせ、鼻筋や輪郭もきれいな曲線美を描いており、いかにも整った顔立ちだ。
そして、そこから下の情報が存在しない。
首元に飾られた、美しい首輪のような装飾品、そこから下が完全に地面と接している。
つまり目の前にあるのは、人間型のキャラクターの生首だ。
「ようやく、この俺の初陣というわけだな」
生首が何か自身気に語りだした。どうやら戦闘の意思はあるらしい。
もしかしたらこれがデフォで、このまま戦うのか?
「相手は巨人と、それを越える巨狼か。主に俺の実力を見せるにはおあつらえ向きの相手だな」
とか考えていたら、何やらずれたことを言い始めた。
……これ、もしかしてヤバいやつ?
聖也の首筋に、冷や汗が流れ始める。
「リ……リウラだよね? 僕の契約戦士の」
「うむ、その声はわが主だな! すまない、面と向かって挨拶をと思うのだが、いかんせん首から下の感覚がなくてな、体が上手く動かんのだ」
「あの……右の方見れる?」
リウラが視線だけずらして窓を見ると、夜空を背景にした硝子窓が、うっすらとリウラの現状を映し出していた。
「――なるほど」
呆けた声を漏らしたリウラは、「ところで主よ」と一呼吸おいてから尋ねた
「……俺の体を……知らないか……?」
「知るかそんなものおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお⁈」
唯一の希望、伝説の戦士【戦神 リウラ】――の召喚失敗。
聖也の大きな悲鳴が館内に木霊した。