後悔と招待状
「あら聖也君、いつもありがとう」
「松田のお母さん、こんにちは」
学校から少し離れたところにある築30年くらいのマンションが聖也の家だ。学校から近くはないけど遠すぎない、家賃と交通の便のバランスがいい物件。
聖也の通学のために、育ての親の従妹が契約してくれた賃貸だ。
そして、隣の部屋に住む松田という生徒———2か月前突如不登校になった生徒の所へ、学校の配布物などを届けるのが聖也の日課となりつつあった。
「……松田の様子はどうですか?」
「……相変わらずよ。2か月前からずっとあの調子」
聖也の問いに、松田の母は暗い声で答えた。
松田は明るく人当たりの良い性格の男子生徒だった。
金持ちボンボンやお嬢様が多く通う僕の学校で、同じ特待生枠ということで仲良くなり、不登校になる前は聖也と登下校を共にしていた仲だ。
「ねえ、本当に学校とかでいじめにあったりしてないのよね? うちの子何も話してくれないけど、何もなしにあんな状態になるとは思えない」
「正直僕が知っている範囲では何とも……いじめとかだったらうちの担任黙ってないと思いますし」
それもそうよねえ、と俯いて、2人は響子の鬼の形相を思い浮かべる。
彼女のクラスでいじめなどを起こそうなど、蛮勇もいいところである。
これ以上話せることもなく、夕焼けが差し込むマンションの廊下にカラスの声が良く響いた。
不登校の友人のことは心配だが、これ以上話せることはない。
「何か力になれることがあったら、僕に言ってほしいって伝えておいてください」
聖也はそう言って自分の部屋に帰る。
ありがとう、と手を振ってきたので、聖也もも手を振り返しながらドアを閉めた。
「ただいまー」
暗い部屋へ掛けた言葉に、反応するものはいなかった。
帰った時に誰もいないのは日常茶飯事だ。鞄を自室において、洗面所で手洗いうがいをしてから、聖也はリビングに併設されている、襖に仕切られた和室に入った。
「ただいま、父さん、母さん」
和室の端、仏壇の前に添えられた写真に語り掛ける。
松田の母には突然人が変わったように暗くなることはない。といった趣旨の返事をしたが、本心ではそうは言いきれなかった。
絶望っていうのは意識の外から、思いもしない形で突然降ってくるものだ。
聖也にはそう言った経験が2つある。
1つは両親が無くなった時のこと。
聖也は父と母を、小学校低学年の頃に亡くしている。
死因はボールを拾おうと、車道に飛び出した女の子を、助けようとした聖也――の身代わり。
トラックにひかれそうになった女の子を助けようとした聖也を助けて、聖也の両親は亡くなった。
聖也は母の従妹に引き取られたおかげで、無事に学校生活を送れている。
だが、自分が助けようとしなければ、母さんも父さんも死ぬことはなかったという後悔と、義姉さんにも苦労を掛けることはなかったという罪悪感が常に聖也の頭を巡っている。
それ以来聖也は、何か幸せな思いをしても、心の底から笑えない人間になってしまった。
そういう意味で、人生が終わった一つの瞬間であることは違いない。
そして、もう一つの絶望————『サモナーズロード』が消えた日のことだ。
『サモナーズロード』はプレイヤーが様々な戦士や魔物を召喚できる【召喚士】となって戦う、バトルロワイヤル式の対人アクションゲーム。
プレイのきっかけは、義姉が聖也の誕生日にゲーム機を買ってくれたことだ。
どのゲームが面白いのかよくわからない義姉が「一番人気で」と注文したときに、店員が勧めてくれたのがこのゲームだったらしい。
100名のプレイヤーが現代都市をモデルにした戦場に降り立ち、武器や仲間を呼び出す召喚術を駆使して、勝ち残りを目指すゲーム。
基本は一人用モードで潜っていた聖也だったが、腕前を買ってくれてなのか、ゲームをプレイしているうちに見知らぬプレイヤーからチーム戦の誘いがかかった。
両親を失ってから、どこか他の人と距離を置きがちだった聖也にとって、誰かと繋がって勝ちを目指すという体験が、ゲームへ没頭するきっかけとなった。
熱中しているうちにオンラインランキングがメキメキと上がっていき、常に世界ランキングの1位に君臨する、生ける伝説のプレイヤーとなっていた。
そして1年ほど前にプロチームから招待がかかったわけだ。日本でサモナーズロードは人気だったが、プロリーグの繁栄を他国に比べて遅れたせいで、世界大会の予選も勝ち上がれない状態が続いていた。
招待されたのは日本で2番目のプロチーム。
他のチームが足りない戦力を外国人選手で補強している中、生粋の日本人のみで構成されたチームは国内のゲーマーからの支持を強く集めていた。
そこに投入されるオンライン世界最強の日本人プレイヤー。期待がかからないわけがない。
だが、その世界予選の第一試合で、事件が起こる。
その日目が覚めたら『サモナーズロード』はこの世から消えていて、『VOB』という知らないゲームに置き換わっていた。
聖也は『VOB』の選手として世界への切符を賭けた戦いに挑まされのだ。
初見のゲームを握らされた聖也は、当然チームを敗北へ招待。
国内のVOBファンの期待のかかった1戦で、派手に醜態をさらす羽目になったのだった。
試合が始まる前も、後も『サモナーズロード』について尋ねる聖也を、オーナーはプレッシャーによる精神障害と判断。
『VOB』のプロゲーマーとしての活動は厳しいと判断し、いくつかの手順を踏んだ後クビを通達した。これが第2の絶望だ。
そして、聖也はまだサモナーズロード消失の原因を突き止められていない。
こんな理由でプロゲーマーを解雇されては、将来について投げやりになってもしょうがないじゃないか。なんて思いが聖也の頭をよぎる。
「……このチャンネルももうおしまいだな」
スマホの、『サモナーズロード』のプレイ動画を上げていたYouTubeのチャンネルを見て重い息を吐いた。
凝った編集もなく、プレイを簡素な字幕で解説する動画を上げてるだけのチャンネルだったが、ガチ勢御用達のチャンネルだったこともあり、動画広告での収益が上がっていた。
お世話になっている義姉の為に、家の収入を増やそうと始めたチャンネルだ。
聖也は特段、プロゲーマーという肩書に興味はない。それでも若くしてプロの道を志したのは、一日でも早く、苦労を掛けている義姉にお金を入れたかったからだ。
だが、投降した動画は全て『VOB』の動画に置き換わっていて、先日の惨敗をきっかけに低評価とアンチコメントが飛び交う無法地帯と化した。
スマホの画面を切り、理不尽な現実から目をそらすように暗い天井を仰ぐ。
――高校から大学の学費って幾らだっけ。
――早く自立して独り立ちしないと
――チームの皆、今調子悪そうだけど大丈夫かな。
何もしていないときによぎるのは、自分を支えてくれた人たちのことだ。
義姉は自分の仕事も大変なはずなのに、嫌な顔をせずに自分の面倒を見てくれている。
チームのメンバーも、迷惑をかけた自分を責めるどころか、心配して今でも連絡を取ってくれる。
皆いい人たちばかりなんだ。
なのに僕の失敗のツケは、僕の大事な人たちばかり払ってるんだ。
――義姉さんは大学までの費用を払うつもりでいる。
でも両親の財産はどれくらい残ってるのか教えてくれない。
子どもの僕に余計なことを考えさせたくないのかもしれないけど、もし遺産が足りなくて、義姉さんが学費の一部を負担するつもりでいるなら申し訳なさで頭がいっぱいになる。
――僕が抜ける前までチームは僕をエースに想定した練習をしていたため、戦法の大幅な変更を余儀なくされた。
まだチームの連携が完成していないためか、今は国内リーグの勝ち上がりすら難しくなっている。
それだけ僕の腕を、僕のことをチーム全体が信頼してくれていたということだ。
雪崩のように溢れる思いに、聖也は仏壇の前で強くこぶしを握り締めた。
大好きな人の役に立ちたい。
大好きな人たちに支えてもらうだけじゃなく、お金とか、実績とか。
気持ちじゃないちゃんとした形のあるもので恩を返したい。
「サモナーズロードがあれば……」
学費の補助ができる。僕のプレーで勝利に貢献できる。
誰かの人生の邪魔をしない、胸を張って生きていける人間になれる。
行方の知れない、自分の記憶の中にしかないゲームの名前を呟いたその時だった。
ゴトン
玄関の方から音がした。
玄関に向かうと、ドアの前に、無造作に中くらいの小包が落いてあった。
カギは間違いなくかけてあった。ドアの郵便受けの幅を小包は通らない。
不審に思いながら、聖也は恐る恐る小包を持ち上げた。
だが———
「……サモナーズロード⁉」
小包に刻まれたロゴを見て、不信感より好奇心が勝った聖也は、勢いのまま小包を開けた。
中に入っていたのは作中でプレイヤーが装備していた『スキャナー』と呼ばれる、腕に装着できる液晶タブレットとカードリーダーが合体したようなマシン。
そしてプレイヤーがモンスターや武器を召喚するときに使うカードが入った『デッキ』だ。
「なつかしー!! 再現度高いよこのサプライ!!」
半年という期間を経て久しぶりに目にしたゲームのタイトル。柄にもなく童心に帰ってはしゃいでしまう。
早速身に着けて起動スイッチを置くと、タブレットの画面が明るくなり、爽やかな起動音が鳴った。
「……?」
そして聖也は首を傾げた。
ゲームではタブレットで、プレイヤーのステータスとか、カードの情報が見れたのだが、タブレットの画面は『welcome to first Game』のまま動かず、その下では32秒、31秒と謎のカウントダウンが進んでいる。
「端末の起動準備ってことかな?」
機械の初回起動時によくあるヤツ。と思って、カウントダウンが進むのをその場で待つ。
カウントダウンは着々と進んでいき、
「……3……2……1……」
最後は少しだけ声のトーンが上がった
「0!」
終了と同時に視界がスパークし、「うわっ⁈」と叫び後ろに転んでしまった。
腰に手を当てながら目を開けると――
「………………は?」
聖也の口から思わず間抜けな声が漏れた。
確かに自宅にいたはずだ。
ゆっくりとあたりを見渡すと、目に映るのは巨大な駅校舎とそれに併設された大型ショッピングモール。
聖也はその建物の前にある、大きな広場の中心に佇んでいた。
見知らぬ土地に感じるはずのない、妙な既視感がを襲ってくる。
そしてその既視感の正体は夜空に浮かんでいた。
暗い世界を優しく照らす幾千の星々。……ここまではいい。
空に浮かぶのはあからさまに現実世界とはかけ離れた、空想上の異物。
星々を繋ぐように描かれた魔法陣。
空の中心に位置している、虹色の輝きを放つ、深く深くどこまでも続いていそうな大渦。
目の前に広がる、ファンタジーな光景に、聖也はすぐさま一つの結論を導き出した。
「『サモナーズロード』の世界だこれ……‼」
現代都市を舞台にした戦場——『召喚都市・夜』
バトルロワイヤルゲーム『サモナーズロード』におけるフィールドマップの一つに、聖也は存在していた。